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〈暴食〉のアル  作者: ゆうと
第3章『陰謀編』
38/83

第38話

 朝食も終わり、1時限目の授業が始まった頃。

 給仕服を身に纏った10代後半の少女が、誰もいない廊下を1人歩いていた。そして彼女にぴったりと付き従うように、1人分の食事を乗せた盆がふよふよと宙に浮いている。

 このような光景は、ここ学院では特段珍しいものではなかった。何らかの事情で食堂に行けない者のために、こうして給仕が食事を運ぶことは時々あることだ。

 しばらくして、少女は“白の塔”の玄関ホールへとやって来た。こういった場合、その目的地は大抵その者の部屋であり、そのためにはホールの階段を昇る必要がある。

 しかし彼女はその階段には目もくれず、その裏手へと回り込んだ。そこには見るからに分厚い扉が、来る者を拒むように固く閉ざされていた。


「マンチェスタ様の食事を持って参りました」

「よし、通れ」


 ふいに口を開いた彼女に返事をしたのは、シルバだった。彼はどこからか持ってきた椅子に座り、じっと扉を睨みつけていた。

 彼がそうしているのはもちろん、いつ何時アルが逃げ出しても対処できるように監視しているからである。ちなみに彼が今日行う予定だった授業は、すべて自習となっている。

 シルバに見つめられながら、少女は扉を開けて中へと入っていった。下へ下へと続く階段を降りていくと、そこにも同じような扉があった。


「マンチェスタ様、朝食をお持ちしました」

「ありがとう、今から行くから待ってなさい」


 扉を数回叩いて呼び掛けると、中から返事が聞こえてきた。それから数秒後、ぎぃっ、と扉が開きクルスが顔を覗かせる。


「ご苦労様。食べ終わったら表に置いておくから、テキトーに片づけに来てちょうだい」

「は、はい! かしこまりました!」


 柔らかい笑みを携えたクルスを間近で見た少女は、若干頬を紅く染めながら深く頭を下げた。

 そして、彼女は見てしまった。

 クルスの着ている服の袖や裾の辺りに、赤い液体の染みが数滴こびりついているのを。


「――し、失礼します!」


 少女は声を上ずらせて先程よりも深くお辞儀をすると、踵を返して逃げるように階段を昇っていった。少しして、がちゃん、と扉の閉まる音が聞こえた。


「……ふふ、ちょっと怖がらせすぎたかしら」

 クルスはそう呟いてくすっと笑うと、彼女の持ってきた料理と共に部屋へと入った。

 その直後、


「やったー! 食事の時間だー!」


 部屋の奥に潜んでいたアルがクルスの所にまで駆けていき、彼女の持つ料理を奪い取ると、そのまま部屋の真ん中に移動して座り込んだ。

 クルスはそれを見て大きな溜息をつくと、


「……ちゃんと私の分まで残しておくのよ」

「分かってるって! 頂きまーす!」


 アルはそう言って手を合わせると、焼きたてのパンにかじりついた。途端に彼女の口元が綻び、とろけるような笑みを浮かべる。

 そんな彼女の足元には、使いかけのケチャップが転がっていた。それを見つめながら、クルスがぽつりと呟く。


「……今の給仕から、私がアルを拷問してる噂が立つと良いんだけど」


 そう。先程の赤い染みはけっして血液などではなく、単なるケチャップだったのである。ケチャップを血液に見立てるなんてまるで三流喜劇のようだが、見せ方さえ上手く工夫すれば充分通用する仕掛けだ。


「それにしても、ケチャップなんていつの間に用意してたの?」

「シルバ先生達と一緒に厨房に入ったときに、そこに置いてあったのをちょっと拝借させてもらったの。みんながアルの方を向いている隙にね」

「つまりクルスはそのときから、こうすることを計画してたってわけね?」

「ええ、あなたが犯人だなんて最初っから考えてもいなかったわ。でも彼らがそんなこと聞き入れるわけもないし、時間稼ぎするならこういうのが一番かなって思ってね」

「……さすがクルスだね」


 感心しているような呆れているような視線をクルスに向けながら、アルはスープを一口啜った。


「ところでクルス、こうして部屋に閉じ籠もるのは良いけどさ、それでわたしの疑いが晴れるわけじゃないでしょ? 何か当てはあるの?」

「おそらく学院長が盗難の瞬間をご覧になってるはずだから、学院長が証言してくだされば、すぐにでもここから出られるわよ」

「学院長が? 今はどっかに出掛けてて、ここにはいないんでしょ?」

「あら、アルは学院長にまつわる“噂”を知らないの?」

「……それって『学院長が黒魔術で学院を四六時中見張ってる』ってやつ? あれ、本当だったんだ……」

「本当は黒魔術じゃないんだけどね。とにかく今回の騒ぎ自体は、おそらく学院長はとっくにご存知のはずよ。だからいざとなったら、学院長がすぐにでもお帰りになると思うんだけど……」

「いざとならないと、学院長が帰ってこないってこと?」

「そういうこと。学院長って、面倒事はなるべく私達に解決させようとなさるから、この騒ぎを知っててあえて放置なさっている可能性も充分にあるわ」

「うーん……。ということは、学院長がいつ帰ってくるか分からないってわけか……」


 アルは眉を八の字にして、ステーキを一口大に切り分けて口に運んだ。


「それよりも問題は、その間どうやって時間稼ぎをするかよね。拷問なんてしていないって外にばれたら、最悪その場で私刑が行われるかも」

「もしそうなったら、凄く面倒臭いことになるね」

「ええ、面倒臭いわね」


 もしもの状況を想像したのか、2人が揃って溜息を吐いた。そんな状況に対して“面倒臭い”で済ませる辺りが実に2人らしい。


「とりあえず後でわたしも体中にケチャップを塗りたくるとして、あとはなるべく部屋に入れないようにするとか?」

「アルには常に横になってもらって、うっかり見られないように布でも掛けておくとか」

「それで『かなり惨いことになっているから、あまり見ない方が良いですよ』って言ってごまかすとか」

「ああ、それ良いわね。そうしましょう」


 クルスの賛同にアルは笑みを浮かべながら、塩と胡椒で味を調えられたジャガイモを一口頬張った。


「……ところでアル、そろそろ半分食べたでしょ? いい加減こっちに寄越しなさい」

「えぇっ、そんな! まだ全然満足してないのに!」

「どうせ全部食べても満足しないでしょ。私だってお腹空いてるんだから、さっさと寄越しなさい!」


 アルは口を尖らせながらも、渋々と朝食の載ったお盆をクルスの方へ寄せた。クルスはそれを受け取ると、ぱくぱくと早いペースで食べ始めた。


「ああ、こんな生活があと何日も続くのかぁ! そっちの方が拷問だよ!」

「それが嫌なら、誰かがアルの無実を証明してくれるのを祈ることね」

「そんなこと言っても、わたしの味方なんてほとんどいないじゃん。誰かが遊び半分で始めたとしても、絶対に犯人まで辿り着けないだろうし」

「バニラがいるじゃない。アルの危機なんだから、真っ先に何とかしようと動いてくれるんじゃないの?」

「問題は犯人を突き止めたときに、その犯人に口封じをされる危険があることだよね」

「ああ、それもあったわね……。その点に関しては、残念だけどバニラは心配ね……。それじゃ、ルークとかはどう? アルのことを気に掛けてくれてたんでしょ?」

「どっちにしても、まずは犯人捜しだよねぇ。それができなきゃ、そもそも捕まえることができないんだし」


 アルは仰向けに寝っ転がると、まるで何てことないかのように、ぽつりと呟いた。


「ここに来てくれたら、真犯人を教えてあげられるんだけどなぁ……」



 *         *         *



 一方その頃、アルの命運を握るルークとバニラのコンビは、盗難現場ともなった宝物庫へとやって来ていた。とはいえ、さすがに中まで入ることはできず、せいぜい入口の扉を眺めるくらいだが。

 まるで盗難事件など無かったかのように、宝物庫は固く閉ざされ、鍵も何重に掛けられていた。その堅牢な見た目からは、とても昨日破られたようには思えない。

 そしてルークは先程から険しい表情を浮かべながら、扉や周辺の壁を舐めるように観察していた。

 そんな彼の後ろから、バニラが心配そうに声を掛ける。


「……どう、ルークくん? 何か分かった?」

「扉や壁には、修復されたような跡は無かった。つまり犯人は宝物庫を破壊して侵入したんじゃなく、鍵を使って堂々と正面から中に入ったことになる」

「やっぱり、そうなるのか……。1年生のときに授業で聞いたことがあるけど、この学院って壁全体に強力な《セーブ》が掛けられてるんだよね?」


 バニラの言う《セーブ》とは、物をそのままの状態に保つ効果のある緑魔術である。食べ物に掛ければいつまでも腐らず新鮮さを保つことができ、建物に掛ければ物理的衝撃や経年劣化にも耐えることができる。

 そしてこの魔術の強さは、基本的に術者の力量に左右される。つまり強力な《セーブ》の掛かったものを破壊するには、それ以上に強力な攻撃を加えなければならないということである。


「この宝物庫に呪文を掛けたのは〈緑の勇者〉様だ。さすがに犯人も、そこまでの魔術は破れなかったみたいだね」

「でもそうすると、犯人は宝物庫の鍵も盗み出したことになるよ? 鍵は学院長室にしまってあるんでしょ? いくら本人がいないからって、そう簡単に上手くいくかな?」

「あるいは本物じゃなくて、緑魔術で合い鍵をその場で作り出した可能性もあるよ。もっとも、そんな高度な真似ができる人となると、かなり限られるけどね」

「じゃあ犯人は、緑魔術が得意な人?」


 バニラの質問にルークはしばらく考え、首を横に振った。


「残念だけど、今はまだ断定はできない。とにかく聞き込みをして、犯人像を絞り込んでいかないと」

「……よし! それじゃ私は使用人の人達から話を訊くから、ルークくんは授業を受けながらでも良いから生徒の方から聞き込みをしてくれる?」

「良いの、バニラさん? そうすると、バニラさんは授業をさぼることになるよ? 何なら僕が使用人を担当するけど?」

「ルークくんってみんなに人気があるから、話を訊くのに都合が良いと思うんだ。それにルークくんみたいな優等生が授業をさぼるのって、凄く目立つんじゃないかな?」

「……そういうことなら、バニラさんに甘えさせてもらおうかな」


 そう言って頭を下げるルークに、バニラはにっこり笑って応えてみせた。


「それじゃ情報を整理するためにも、お昼頃に一旦落ち合おう。昼食の時間になったら、食堂の入口に集合ってことで良いかな?」

「あ! だったら私が厨房の人に、2人分のお弁当を用意してもらおうか? 食堂みたいにみんながいる場所よりも、人目につかない場所で話し合った方が良いでしょ?」

「確かに、それが良いね。――それじゃ、また」

「ルークくんも、頑張ってね!」


 2人は互いに顔を見合わせて頷くと、それぞれ別の方向に分かれていった。そして階段を降りていったことで、宝物庫の前に人の姿が無くなり、そこは再び静寂に包まれる。

 しかし次の瞬間、何も無いはずのその空間が突然歪み出した。その歪みはだんだんと人間の形を形成していき、そして濃い霧から抜け出したように、すぅ、と色がついていく。


「やはりシルバ先生の言った通り、バニラさんが動き出しましたか……。しかしまさか、あのルークくんが彼女に協力するとは……」


 そして現れたのは、リーゼンドだった。彼もシルバと同じく、宝物庫を監視していたのである。ちなみに彼も、自分の受け持つ授業をすべて自習にしている。


「ふっふっふっ、しかしさすがのルークくんも、私の《トリック・アート》には気づかなかったようですね。自分で言うのも何ですが、やはりこの魔術の効果は素晴らしい……」


 そんな独り言をぶつぶつ呟きながら、彼はルークの去った方向を見つめていた。その表情は普段と同じ、にたにたとした不気味な笑みである。

 しかしその直後、ふいに彼の様子が変わった。口元はぴくぴくと吊り上がり、ぎりぎりと歯軋りが鳴るほどに奥歯を噛みしめる。


「くくく……、そうだ! 私の魔術はこんなに素晴らしいんだ……! あんな乞食にしてやられたのも、何かの間違いに決まってる……!」


 彼の引きつった笑い声が、誰もいない廊下に虚しく響き渡った。

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