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〈暴食〉のアル  作者: ゆうと
第3章『陰謀編』
36/83

第36話

 崩れ落ちていくアルの体を、クルスはスッと腕を伸ばして支えとした。そして流れるような動きで自分の右腕を彼女の背中に、左腕を彼女の膝裏にそろりと潜り込ませて彼女を抱え上げた。いわゆる“お姫様だっこ”というやつである。

 そんなことをされても、アルからの反応は無かった。

 アルの意識は、完全に飛んでいた。


「……クルス、どういうつもりだ?」


 皆が唖然としている中、いち早く我に返ったシルバが、忌々しそうな表情を浮かべてクルスに尋ねた。


「暴れられると困るので、気絶させました」


 クルスは無表情で淡々とそう答えると、教師達へと視線を向けた。とっさに杖に手を伸ばしかける彼らだったが、


「皆さん、随分と熱心に話し合っていたようですが、そんなことよりも前にやることがあるはずですよ?」


 彼女の言葉に、彼らの手が止まった。


「……やること、だと?」

「衛兵の話では、誰かが学院を出入りした様子はないのですよね? つまり“トンビ”は、まだこの学院内のどこかに必ずあるはずです」


 はっとしたように、教師達は目を見開いた。

 そう。シルバがアルの処遇ばかり話題にしていたために気づかなかったが、盗まれた“トンビ”はまだ見つかっていないのだ。もしこのまま彼女を殺してしまったら、永遠にその場所が分からなくなる恐れすらある。


「おそらく“トンビ”は、彼女だけが知ってる場所に隠してあります。盗んですぐに逃げなかったところを見ると、頃合いを見計らって学院を出る計画だったのでしょう」

「成程! つまり、“トンビ”の在処をそいつから聞き出す必要があるというわけだな!」


 1人の教師の言葉に、クルスはこくりと頷いた。


「というわけでシルバ先生、彼女から“トンビ”の在処を聞き出す役目、ぜひ私にやらせて頂きたいのですが」

「……貴様が、か? そんなこと、許可できるわけがないだろう。貴様がこいつの一番の協力者だったんだぞ、こいつを学院の外に逃がす危険すらあるんだ」


 シルバのその言葉に、クルスはうっすらと笑みを浮かべた。しかしそれに反して目つきは一切笑っておらず、それを見た使用人や教師から一斉に「ひぃっ!」と小さな悲鳴があがった。


「だからこそ、ですよ。先程シルバ先生もおっしゃっていたでしょう? 『自分の失態は、自分自身でケリをつけるのが筋だ』と。それに――」


 クルスはそこで一旦言葉を区切ると、静かに目を閉じて眠るアルをじっと見つめ、


「私、本当に彼女を信じていたんですよ。彼女はそれを分かっていながら、私の想いを踏みにじったんです。私はそれが、とても我慢ならなくて仕方ないんですよ」

「…………」


 シルバはクルスの話を聞きながら、じっと彼女の目を睨み続けていた。少しでも怪しい所があったら即座に見抜いてやろう、という執念がありありと感じられるほどに。


「…………」


 そしてクルスはその視線を、ただ微笑みを浮かべて受け止めていた。

 やがてシルバが、口を開いた。


「……“白の塔”の地下に、今は使われていない倉庫がある。そこを使えば良い」

「ふふ、ありがとうございます」

「宜しいんですか、シルバ先生?」


 教師の一人がシルバにそう尋ねると、


「ふん、ようやくこいつも、事の重大さが理解できたということだろう。少しでも自分の罪を軽くしたくて必死なんだ。好きなようにやらせてあげたら良いではないか」

「ええ、そうさせて頂きます。それでは、行きましょうか」


 クルスはそう言うと、1歩足を踏み出し――


「あ、あの、マンチェスタ様!」


 かけたそのとき、背後から突然声を掛けられた。クルスはぴたりとその足を止め、視線だけをそちらに向ける。

 そこにいたのは、オルファだった。


「え、えっと……、その……」


 わざわざクルスを呼び止めておいて、オルファはそのまま口籠もってしまった。びくびくとクルスの顔色を伺いながらあちこちに視線を飛ばす彼女は、先程シルバに立ち向かった少女と同一人物とは思えなかった。


「……ふん」


 クルスはつまらなそうに彼女から視線を背けると、再び出口に向かって歩き出した。使用人はおろか、教師ですら自然と道を空けた。


「…………」


 クルスを、そしてその後ろに続くシルバの背中を見送りながら、オルファは先程のように拳を強く握りしめ、ぷるぷると小刻みに震わせていた。



 *         *         *



「ど、どうしよう……」


 厨房の入口から一連の騒動を見ていたバニラは、あまりの展開に半ば混乱していた。

それと同時に、今までに見たことのないクルスの姿に恐怖していた。

 生徒達の中でクルスは、常に生徒と真摯に向き合ってくれる教師として、その見た目の美麗さも相まって絶大な人気があった。男子生徒はもちろん、女子生徒にも彼女のファンは大勢いた。そこまで熱狂的ではないにしろ、バニラも彼女のことを好ましく思っていた。

 だからこそバニラは、今厨房にいる女性が本当にクルスなのか疑わずにはいられなかった。それほどまでに今の彼女は、普段からは想像もつかないほどに恐ろしく見えた。

 なのでバニラはその混乱のあまり、クルスがすぐそこにまで迫っているにも拘わらず、その場から離れることができなかった。


「あら、バニラさん」


 厨房のドアを開けたクルスが、バニラの存在に気づいた。

 その声を聞いただけで、彼女に視線を向けられただけで、ぶるり、とバニラの体が大きく震えた。


「マ、マンチェスタ先生……」

「何してるの? 自室にいなきゃいけない時間よ? さっさと戻りなさい」


 その視線に耐えきれず、バニラは思わず彼女から視線を逸らしてしまう。

 すると今度は、彼女に抱えられているアルが目に映った。目立った外傷は無いものの、まるで死んだように体をぐったりとさせて目を閉じている。


「せ、先生……!」


 精一杯に声を出したつもりだったが、実際は蚊の鳴くようなか細いものだった。


「何かしら?」


 しかしそれでも、クルスはしっかりと反応してくれた。


「……わ、私も、アルちゃんがやったとは思えません! その“証拠”だって、きっと何かの間違いです! お願いです! アルちゃんを信じてあげてください!」

「…………」


 目に涙をうっすらと溜めて頭を下げるバニラを、クルスは黙ってじっと見つめていた。

 と、そのとき、


「残念だったな、バニラ。クルスはようやく目が覚めたのだよ。所詮乞食は乞食、我々とは住む世界が違うんだ。そこに信頼関係や友情など生まれるはずがない」


 厨房から出てきたシルバが、得意気な表情を浮かべて2人に割り込んできた。バニラは思わず彼を睨みつけるが、何も言い返すことができずに口を噤んだままだった。

 そんな中、クルスが口を開いた。


「……そういうことよ、バニラさん。私はこれから用があるから、バニラさんもさっさと部屋に戻りなさい。――それと、ここで見たことはさっさと忘れなさい」


 そしてクルスはとうとうその無表情を崩すことなく、くるりとバニラに背を向けて歩き出してしまった。

 未だに目を開かないアルの姿が、クルスに阻まれて見えなくなる。


「ま、待ってください!」


 バニラが必死に呼び止めるも、2人が歩みを止めることはなかった。3人の姿がどんどん小さくなっていくのを、彼女はただ黙って見守ることしかできない。

そして視界に誰もいなくなった頃、彼女はへなへなと腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。


「……どうしよう、このままじゃアルちゃんが――」



 *         *         *



 イグリシア魔術学院を構成する五つの塔の内、中心にそびえ立つ一際大きな“白の塔”。

 その建物の最上階には学院長室があり、その真下の階に宝物庫が存在する。それより下の階は吹き抜けとなっていて、正面玄関のホールはかなり開放的な造りとなっている。

 しかしそんな玄関ホールに、地下室の入口が存在していた。

 階段の裏手にひっそりと隠れるように扉があり、そこから地下へと向かう階段続いている。しかしその扉は普段固く閉ざされており、滅多に使わなくなった備品などを出し入れする以外に開かれることはなかった。

 なのでいつしかそこには誰も近づかなくなり、生徒はおろか教師ですら地下室の存在を忘れ去っていったのである。


 しかし今は、その扉の前に3人の人影があった。

 その内の1人・シルバが鍵を差し込んで捻ると、がちゃり、と大きな音をたてて錠が外れた。ぎぃ、と留め具を軋ませながら、扉がゆっくりと開かれる。

 その扉の向こうは、真っ暗になっていてよく分からなかった。

 シルバは杖を取り出すと呪文を唱え、その先端に小さな火を灯した。そしてその火を、自分の横にある壁にそっと近づけた。すると次の瞬間、その火が何かに燃え移ったように壁沿いを走り、壁に備えつけられた蝋燭に次々と明かりが灯っていった。

 そうして目の前に現れたのは、下へ下へと続く長い階段だった。シルバが先頭を歩き、アルを抱えたクルスがそれに続く。

 階段を下りた先にあったのは、これまた分厚そうな扉だった。シルバが全体重を掛けるようにして、ゆっくりとそれを開ける。

 壁際に布の掛かった荷物が置かれている以外何も無い、だだっ広い部屋だった。窓が無く四面を壁で囲まれているために、広さの割には息の詰まるような圧迫感がある。


「……ここならどれだけ泣き叫ぼうと、けっして上に漏れることはない。だからといって、くれぐれもやりすぎるなよ。殺してしまったら元も子もない」

「ええ、分かっていますとも」


 シルバの言葉をクルスは微笑んで受け流すと、抱えていたアルを乱暴に放り投げた。かなりの衝撃があったにも拘わらず、彼女は一向に目を開けない。

 シルバはアルから目を背けると、クルスに忠告する。


「……一応我々の方でも“トンビ”は探してみるが、もしそいつが在処を吐くようなことがあれば、速やかに教えるんだ。――くれぐれも、逃がそうなどと考えるなよ」

「まさか、そんなことはしませんよ。何ならそこで見守ったらどうです? アルが何か吐いたとき、真っ先に伝えられますよ?」

「ふん、私にそんな趣味は無い。――では、私はこれで失礼する」


 シルバはそう吐き捨てると、踵を返して入口へと歩いていった。扉に手を掛けたときに一瞬こちらを振り返るが、すぐに前を向いて部屋を出ていった。

 階段を昇る足音がだんだん小さくなり、やがて消えた。


「さてと、これからどうしようかしら……」


 クルスはそう呟くと、先程放り投げたアルへと視線を向けた。

 不機嫌そうにこちらを睨みつけるアルと目が合った。


「どうしたのよ、アル? その顔は」

「ねぇ、あのとき本当に気絶させる必要はあったの? しかもここに来たとき、思いっきり床に叩きつけてくれるし。思わず声出しそうになったんだけど」

「ごねんなさいね。こうでもしないと、あの場を切り抜けられないと思って。それともアルは、あれ以上に素晴らしい案を思いついてたのかしら?」

「……まぁ、別に良いけど」


 アルは大きく溜息をついて立ち上がると、服や体についた埃を手で払った。それが済むと、ざっと部屋の中を見渡した。


「何か、殺風景な部屋だね」

「ほとんど倉庫代わりに使ってるからね」

「何日くらいで、出られるだろうね?」

「さぁ、分からないわ。すぐに終わってくれると良いんだけど」

「……シルバさ、絶対に気づいていたよね? わたし達が芝居してたこと」

「あの人も馬鹿じゃないからね。他の先生方はどうか知らないけど」


 あっさりとそう言ってのけるクルスに、アルは自分の命の瀬戸際にも拘わらず、他人事のように苦笑した。

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