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〈暴食〉のアル  作者: ゆうと
第2章『演習編』
26/83

第26話

「どうした乞食、さっきまでの威勢はどこに行ったんだ? さっさと掛かってきたらどうだ? それとも、今になって怖じ気づいたか?」


 睨み合いから一向に進展しない今の状況に、先に痺れを切らしたのはシルバだった。彼は例の人を馬鹿にするような笑みを浮かべて、アルを挑発してけしかけようとする。

 しかしアルはそれに怒るどころか、くすりと含み笑いをした。シルバの笑みがぴくりと歪む。


「……何が可笑しい?」

「いやぁ、随分と喋るなぁ、て思って。待ちきれないんだったら、別にそっちから攻撃してきても良いんだよ? どうせ避けられるんだから」

「……そのふざけた態度、どうやら死ななきゃ直らないようだな」


 シルバは額に青筋を浮かべてそう言うと、杖をアルに向けて呪文を唱え始めた。戦うことに特化された彼の詠唱によって、瞬く間に呪文が紡がれていく。


「成程、今度は《エア・ウォール》か」

「…………?」


 アルの呟きに、シルバの詠唱が一瞬止まりかけた。先程エア・シールドを発動したときの違和感が少しだけ膨らんだ。

 しかしシルバはその違和感を無視して、呪文を完成させた。杖の先端で空気が渦を描いて集まり、圧縮されていく。

 そして次の瞬間、気体でありながら固体のような硬さとなった空気の壁が、押し出されるようにアルへと襲い掛かった。

 他の人物から見たら目を見張るほどに早い一連の過程が、アルにはひどく遅く見えた。かなりの余裕を持って大きく左に跳ぶ。たったそれだけのことで、空気の壁は彼女のすぐ脇を通り過ぎていった。

 シルバは悔しそうに顔を歪めるが、彼はアルが攻撃を避けた辺りから次の呪文を唱え始めていた。先程の2つとは違う魔術であり、彼女の前では一度も見せたことのない魔術である。

 しかしアルはそれを見ると、笑みを携えながら口を開いた。


「《ウィンディ・シザーズ》」

「――――!」


 シルバの中にあった違和感が、“確信”へと変わった。シルバの頭が一瞬だけ空白になるほどに、その確信は彼に衝撃を与えた。

 それでも本能というのは凄いもので、本人がそんな状況にも拘わらず、彼の口は独りでに詠唱を続け、呪文を完成させた。杖の先端でつむじ風が巻き起こり、鎌鼬へと瞬時に変化、それがアルへと放たれる。

 しかし何も考えられずに放たれたそれは、アルにとっては何ら恐るるに足らないものだった。今度は左に跳ぶだけで、その鎌鼬は何も無い空間を虚しく通り過ぎていった。


「ほらね、簡単に避けられるでしょ?」


 アルが挑発するが、シルバは何の反応も示さなかった。意識ではアルを警戒して睨みつけているものの、頭の中では自問を繰り返していた。


 ――なぜあいつは、こちらが何の魔術を使うのか分かるんだ! しかも、魔術が発動する前に!


 魔術とは、呪文を唱えて必要な魔力を練り合わせることで初めて発動する。そしてほとんどの魔術は、発動して初めてその正体が分かるようになっている。

 確かに、呪文が完成する前に見た目の変化が表れる魔術も存在する。しかしそれで推測できるのはせいぜい系統までであり、魔術を的確に言い当てられるようなものではない。

 シルバも初めの内は、単に当てずっぽうで言っているのだと思っていた。しかし三度も当てられたとなると、さすがの彼も考えざるを得なかった。

 ひょっとしたらアルは、こちらの考えを読んでいるのではないか、と。


 ――いや、ありえない! そんな芸当、黒魔術でも使わない限りできるわけがない! 必ず何か仕掛けがあるはずだ!


 シルバは再び呪文を唱え始めた。そしてそれと同時に、アルを睨みつけるように観察し始めた。もし“仕掛け”が存在するのならば、必ず彼女は何か不自然な行動をするはずだからである。

 しかしアルはただこちらをじっと見つめているだけであり、特に不自然な点は見当たらない。シルバの顔に、ほんの少しだが焦りの色が浮かぶ。


 ――ん?


 しかしそのとき、彼は先程のそれとはまた別の違和感を見つけた。

 アルの視線は確かにこちらを向いている。しかしなぜか、こちらとは目が合わないのである。こちらの目を見ているようで、微妙に視線がかち合わない。

 何やら彼女の視線は、ちょうどこちらの目の下辺りを向いているようにも――


「――――!」


 何かに思い至ったシルバは、空いている左腕で自分の口元を隠した。

 ほんの微かだが、アルの目が見開かれた。


 ――やはり、こいつは私の口を見て、呪文を読み取っていたのか!


 そうと分かれば、どうということはない。シルバはそのまま口元を隠しながら、呪文の詠唱を続けた。

 一方アルはもう自分のやり口が通用しないことを悟ったのか、一気にシルバへと突っ込んでいった。どうやら、呪文を完成させる前に叩く算段らしい。


「甘いぞ、乞食!」


 しかし呪文の完成の方が一足早かった。彼の周囲の空気が意思を持ったかのように突如動きだし、彼を取り囲むように回転し始めた。

 先程アル達を吹き飛ばしたのとは違う、鎌鼬のように相手を斬りつける効果も無い、単なる竜巻だった。

 しかし丸腰のアル相手ではそれでも充分だった。このまま突撃しても弾き飛ばされてしまうと判断した彼女は、一旦後ろに跳んで距離をとる。


 ――やはりな! 所詮乞食の考える小賢しい手品! こんなもの、見破ってしまえば私の脅威ではない!


 シルバは仕掛けを見破ったことで満足したのか、彼女がこの状況下で安定して読唇術を使えること、膨大な数の呪文をすべて暗記していることについて、まったくと言って良いほど考えを巡らせることはなかった。

 しかし彼はこのことで少し余裕が出てきたのか、普段の冷静さを取り戻しつつあった。

 その証拠に、彼は竜巻を発生させている間に別の魔術を仕込んでいた。

 その魔術の名は《ウィンディ・シザーズ》。しかし先程難なく避けられたこともあって、馬鹿正直に彼女を直接狙うような真似はしなかった。

 どさくさに紛れて生み出した鎌鼬は現在、2人から遠く離れたところで待機していた。飼い主に「待て」と言われた犬のようにその場に留まっていた鎌鼬が、シルバの合図でアルに襲い掛からんと動き出す。

 一方アルは鎌鼬に気づいている様子は無く、じっとシルバを睨みつけていた。風系統の魔術は目には見えないという利点が、ようやくここで活きた。


 ――終わりだ、乞食!


 左手で隠したシルバの口元が、愉悦で歪んだ。




 もしここでシルバの失敗を挙げるとしたら、彼はあくまで普段の冷静さを取り戻し“つつあっただけ”、という一点に尽きるだろう。

 なぜなら、もしもこのとき彼が完全に冷静になっていたら、

 上空にいるルークを放っておくなどという失策を犯すはずがないのだから。




 ふわり、とシルバの目の前を何かが落ちていった。それは1つだけでなく、彼の視界を遮るようにちらちらと横切っていく。

 彼が目で追うと、それは雪の結晶だった。


 ――雪?


 今の季節は春。当然ながら雪の降る時期ではないし、異常気象の起こる要因も無い。つまりこれは、魔術によって人工的に降らせたものとなる。

 このときになってようやく、シルバは上空にルークがいることを思い出した。彼は小さく舌打ちをすると、視線を上へと向けた。

 ブラントによって焼き払われたことで、空への見通しはかなり良くなっていた。ルークとブラントは、そんな空のど真ん中にバサバサと留まっている。

 そして彼らの頭上には、明らかに自然のものよりも低い位置にある雲があり、真っ白できらきらと光る雪の結晶を幾十、幾百、幾千と吐き出していた。おそらく、ルークによって生み出されたものだろう。

 シルバはそれを見て、いささか拍子抜けした。確かに局地的にしろ天候を操れるのは大したものだが、こと戦闘においてあまり役に立つとは思えない。

 せっかくシルバの隙を突くことができたのだから、もっと強力な攻撃用魔術を繰り出せば良いものを、これではせいぜい相手の目眩ましにしか――


「――目眩まし?」


 その思考に、シルバは妙な既視感を覚えた。つい最近、誰かの戦いを観ていて同じようなことを考えていたような気がする。

 そのとき、彼の目の前をふわふわと舞い落ちる雪の結晶と、あの落ちこぼれが生み出したタンポポの綿毛が、重なって見えた。


 ――まさか!


「あ、何かある」


 シルバがばっとアルの方へ顔を向けるのと、彼女が声をあげたのがほぼ同時だった。彼女の視線の先を見て、シルバは思わず声をあげそうになった。

 他の雪の結晶が何物にも邪魔されずにふわふわと地面に舞い落ちていく中で、アルの右側、大股で3歩ほど進んだ辺りを漂っていた雪の結晶だけは、あまりにも不自然にぐるぐると煽られ、粉々に砕け散っていた。

 そしてその雪の結晶が、煽られたままアルへと近づいていた。


「ほいっと」


 アルはそれを後ろへ跳ぶことであっさりと回避、雪の結晶はそのまま煽られながら彼女の目の前を素通りし、その先にある茂みへと衝突、彼女の代わりにその茂みが粉々に切り刻まれた。


「き、貴様……、とことん私をコケにしてくれる……」


 こうなったらアルが避けきれないほどに魔術を打ち込み続けて、とシルバが呪文を唱え始めたそのとき、頭上で何やら魔力が膨れ上がる気配がした。

 シルバが上へと顔を向けると、先程から休まず雪を吐き出し続ける例の雲から、今度は雹が降ってきた。

 その雹も当然ルークが生み出したものであるため、上空にいる彼には一切当たらず、地上にいるアルにも一切当たらず、シルバにだけ襲い掛かってきた。しかもその速さが尋常ではなく、まるで大量の矢を頭上から一気に打ち込まれているようである。

 次々と迫りつつある雹の隙間から、ルークがこちらを見つめているのが分かった。彼とシルバの視線が合う。

 彼の口元は、笑っていた。


「――ふざけるな、ガキ共がぁ!」


 シルバが唱えたのは《エア・シールド》だった。圧縮された空気による見えない鎧が、彼に襲い掛かってくる雹をことごとく跳ね返していった。彼の周りに、氷の粒が薄く積み上がっていく。

 それを踏みつけながら、アルがシルバに迫っていた。うっすらと笑みを浮かべながら彼女は右腕を振り絞り、そして思いっきり振り抜いた。


 ずぅん!


「……む?」


 これで終わらせるつもりで繰り出した拳は、シルバに届くすれすれのところで食い止められた。アルは悔しそうに口を尖らせると、すぐさま後ろに跳んでシルバと距離をとった。

 アルの浮かない表情を見て、シルバが口角を吊り上げた。


「ふふ、どうしたんだ、乞食? 『今度やったら貫ける』んじゃなかったのか? そういったことをもの凄く格好悪いことだと言ったのは、はたしてどこの誰だったかな?」


 ここぞとばかりに、シルバはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてアルを挑発する。実は空気の鎧を三重に展開していて、しかもその内の2つを破られてしまったことを、けっして悟られないように。

 アルが眉を寄せる。シルバはそれを彼女が気分を害したと判断して、その笑みをますます深くする。


「頼みの綱だったルークも、そろそろ魔力が枯渇する頃だろう。先程のあれが最後の攻撃だったようだし、いい加減無駄なあがきは止めたらどうだ? 素直に抵抗を止めるんだったら、できるだけ苦痛を与えずに終わらせてやっても良いぞ?」


 シルバの“提案”を、アルは鼻で笑って切り捨てる。


「悪いけど、わたしは別に負ける気はしていないから」


 力強く言い放ったアルに、シルバはわざとらしく首を振って肩をすくめてみせる。


「はぁ、ならば仕方ない。少々面倒臭いが、私の魔術で貴様を葬り去ってやるとしよう。――あの“落ちこぼれ”と同じようにな」


 ぴくり、とアルの体が動いた。


「……それって、まさかバニラのこと?」


 アルの目が細まり、声が僅かに低くなる。

 当然、それを見逃すシルバではなかった。


「おやおや、私は別に“落ちこぼれ”と言っただけで、バニラの名前は口に出さなかったはずだが。やはり、貴様も彼女をそう思っていたようだな。いやはや、せっかく彼女にも友人ができたと思っていたのだが、その友人が陰で彼女を馬鹿にするような陰湿な人間だったとは、実に嘆かわしいものだな」

「…………」


 アルは一切の反応を見せず、黙ってシルバの言葉に耳を傾ける。

 一方シルバはそれを気にする様子もなく、むしろ嬉々とした表情で話し続ける。


「いやいや、そう自分を卑下するものではない。これは仕方のないことなんだ。彼女のあの実力を見たら、誰だって彼女を蔑んでしまわずにはいられないのだからな。残念なことだが、これが現実なのだよ」

「…………」

「しかしまぁ、彼女もつくづく可哀想だとは思うさ。魔術の才能も無く、誰からも見放され、挙げ句の果てにやっとできたと思っていた友人に裏切られたのだからな。あまりにも悲劇的すぎて、むしろ喜劇のようにも感じるな」

「…………」


 ふざけたことを言っているのは、シルバ自身が重々承知している。しかしそれでも、彼が言葉を止めることはなかった。

 それもひとえに、アルを激昂させるためである。

 戦闘で一番大切なことは“常に冷静さを失わないこと”だと、シルバは思っている。頭に血が上った人間は、得てして動きが単調になりがちだ。そうなってしまえば、いかに実力が高かろうとも容易に足元をすくわれてしまう。

 現に先程の戦闘で、シルバは冷静さを失っていたために、アル達にまんまと翻弄されていた。

 なので彼もそれを狙っているのだが、これほど挑発してもアルは未だに目に見える反応をしない。なかなかよく耐えていると言って良いだろう。

 ならばこれはどうだ、とシルバは次の一手に出る。


「だが私は、それが当然だと思っている。この世界では、魔術の才能の無い人間など存在する価値は無い。そんな人間は、無様に地面を這い蹲っているのがお似合いだ。――ふむ、今の表現は我ながら上手いことを言ったものだな。なんせ今のあいつは、本当の意味で地面に這い蹲っているだろうからな」

「……どういう意味?」


 随分と久しぶりにアルが口を開いた。その視線は鋭く、拳を固く握りしめている。

 もう一押しだ、とシルバは思わず笑いそうになる口元を引き締めた。


「あいつに何をしたのか、聞きたがっているようだね。良いとも、教えてやろう。今から30分くらい前だったかな、西門の近くで偶然にもあいつと出会ったんだ」

「…………」

「1発、たった1発だ。たった1発で、あいつはいとも簡単にやられてしまった。私がちょっと風を当てただけで、あいつはボロ雑巾のように吹っ飛んで、あっさりと動かなくなってしまったよ。あまりに呆気なかったから、私が戸惑ってしまったくらいだ」

「…………」

「今頃あいつはどうなっているのだろうな。さすがに今も放っておかれていることはないだろうが、ひょっとしたら打ち所が悪くて死んでしまったかもしれないな。しかしまぁ、別に構わないか。落ちこぼれ1人が死んだところで、学院には何の痛手にも――」


「ねぇ」


 シルバの言葉を遮るように、ふいにアルが声を掛けてきた。


「んん? 何だね?」


 シルバは口元が歪むのを抑えながら、わざとらしく惚けてみせる。アルに悟られない程度に、杖を握りしめる手に力を込める。

 そして彼が見つめる中、アルは口を開いた。



「それがどうしたの?」

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