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〈暴食〉のアル  作者: ゆうと
第1章『始動編』
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第14話

 ちょっとした庭園にもなっている、“黄の塔”の屋上。


「ふん、理論だけの研究馬鹿が……」


 そこで先程までの広場での戦いを見ていたシルバが、忌々しそうにそう吐き捨てた。

 なぜ彼がここにいるのか。それは彼が今の今まで、広場に対して或る“細工”を施していたからである。

 その細工とは、気流を操ることで周囲に音を漏らさないようにする、《ノイズ・キャンセル》という魔術である。リーゼンドが2人に制裁を行っている間、誰かが騒ぎを聞きつけてやってくるのを防ぐためだ。

 しかしそこまで協力してやったにも拘わらず、肝心の結果はリーゼンドの惨敗だった。食堂で話していたときにはあれだけ自信満々だったくせに、魔術を使えない乞食と学院始まって以来の落ちこぼれに負けた彼に、シルバは心底失望していた。

 シルバは身を乗り出すようにして、広場に目をやった。その視線の先には、気を失ったバニラを抱えたアルの姿があった。

 シルバはそれを見て、ますます苛立たしげに青筋を立てて、


「やはり、私がやるしかないか……」

「何をやろうとしてるのですか?」


 背後から掛けられたその声は、特筆することのない、とても軽いものだった。疑問に思ったからただ尋ねてみただけとも受け取れる、特別な感情など一切無い声色だった。

 しかしそれでも、シルバの顔を引き攣らせるのには充分だった。彼の頬を冷や汗が流れ、後ろを振り返ることすらできないほどに体が硬直している。

 なぜなら彼には、誰が声を掛けてきたかの方が重要だったからだ。


「が、学院長……」


 シルバが、ぽつりとその者の役職名を呟いた。その声は先程までの傲慢無礼な態度が嘘のように怯えたものであり、そしてどこか恭しささえ感じるものだった。


「い、いつからご覧になっていたのですか……?」

「初めから、ですよ」

「……と、おっしゃいますと?」

「あなたとリーゼンド先生が食堂で何やら良からぬことを話し合っていたときから、とでも答えましょうか」

「…………」


 からん、と杖が落ちた。シルバの右手に握られていたものだった。一切の力を失った右手はぷるぷると震え、ほんの少し開かれたまま固まっていた。


「あの子のことが、信用できませんか?」


 そんなシルバに、学院長の声が掛けられた。

“あの子”がいったい誰を指すのか彼には分からなかったが、たとえ誰だったとしても、シルバの答えが変わることはなかった。


「……信用、できません。この学院はあなたが創りあげた神聖なものです。そんな学院に、彼女のような“不純物”が混ざるのは、私にはどうしても我慢なりません……」


 力の籠もってない弱々しいものだったが、それは紛れもなく、シルバの本心だった。

 それを聞き、学院長は「成程、そうですか……」と相変わらず無感情な声で呟いた。

 そしてそれきり、学院長は黙りこくってしまった。シルバはその間、まるで自分が判決を待つ重罪人になったかのような気分だった。

 実際には30秒ほどもない無言の時間を経て、学院長は口を開いた。


「それでしたら、こういうのはどうでしょうか?」


 そう前振りをして告げられた“提案”に、シルバは驚きに目を見開いた。そして先程までの恐怖も忘れて、ばっと後ろを振り返った。

 そこには、月明かりに照らされた庭園が広がっているのみだった。



 *         *         *



 保健室の隣にある部屋は、シン専用の研究室となっている。

 部屋をぐるりと取り囲むように設置された棚には、専門的な分厚い本や、ガラス製のビンに入った毒々しい色の薬品などが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

 そして部屋のあちこちに置かれているテーブルの上も、それに負けず劣らず異彩を放っていた。

 二股の試験管にそれぞれ入れられた赤紫の粉末と青い薬品がゆっくりと混ざり、ゴム製の管を通ってビーカーに移動、それが蝋燭で熱せられて煙となり、隣のメスシリンダーに透明な液体となって溜まっていく――。いったい何の実験なのか理解に苦しむようなそんな装置が、各テーブルに1個か2個は配置され、活動していた。


「まったく、相変わらずここは不気味な場所ね……。これじゃ生徒達も寄りつかないわけだわ」

「ははは、まぁ僕としては、下手にいじり回されたりしなくて済むから良いけどね」


 苦々しい表情で装置を睨んでいたクルスに、シンが苦笑混じりで答えた。

 そんな彼は現在、部屋の一番奥にある机を漁っていた。そこにだけは実験装置が無く、その代わりに棚から引っ張り出したと思われる本がこれでもかと山積みになり、散乱していた。


「ええと、確かここに纏めて置いてあったと思うんだけどな……、――あ、これだ」


 おそらく彼でなければ見つけられなかったであろうその紙を拾い上げると、くるりと体を回転させてクルスへと向き直った。


「さてとクルス、“魔力値”についてはどこまで知ってる?」

「何よ、一人前に先生でも気取る気?」

「茶化さないでよ、大事なことなんだから」


 シンがあまりにも真剣な表情だったので、クルスは溜息混じりながらもその質問に答え始めた。

 魔力値とは、この世界の人々の体内にある魔力の量を、分かりやすく数値化したものである。最近とある人物によってその測定方法が確立され、研究機関や企業などでも急速に普及しつつあるものだ。

 魔力はこの世界に住む者ならば生まれながらにして持っているものであり、そしてその量が変化することはまず無い。そんな魔力の量を、採取した血液から特殊な方法を用いて数字に算出するのである。基準は、魔術師ではない一般人1万人の平均値を100としている。なぜ一般人に限定しているかというと、魔術師もサンプルとして加えてしまうと、一般人の結果があまりにも低くなってしまうからである。

 ここで注意しなければならないのが、以下の2つ。

 1つ目は、魔力の量が大きくなるにつれて、数字としてその差が現れにくくなっていること。例えば2人の魔力値がそれぞれ100と110である場合と、それぞれ300と310である場合とでは、数字上では同じ10の差であっても、実際には後者の方がその差は大きいことになる。

 そして2つ目は、魔力値の結果がそのまま魔術師の実力と結びつくわけではないこと。確かに強力な魔術ほど多くの魔力を必要とするが、技術を磨くことでその消費量を抑えることができる。言うなれば、どれだけ体力があろうとマラソンで勝てるかどうかはまた別問題、というわけだ。


 クルスがここまでを一気に述べると、シンは「さすがクルスだね」と言って、手に持っていた紙を彼女へと渡した。

 そこに書いてあるのは、とある少女の魔力値を測定した結果である。

 その少女とは、アルである。

 実はアルが保健室で寝ていたとき、こっそりと彼女の血液を採取したのである。元々は何か病気に掛かっていないか検査するためだったのだが、クルスがついでに彼女の魔力値の測定をシンに頼んだのである。


「さっきクルスが話していたことを頭に思い浮かべた上で、その結果を見てね。――その異常性に、すぐ気がつくから」


 随分と大げさに前振りをするな、と思いながらクルスはその紙に書かれた数字を見て、


「え――?」


 クルスは、言葉を失った。



 被験者:アル

 魔力値:0.000



「な、何よこれ……」


 そう言うクルスの声は震えていた。目の前の現実を素直に受け止められず、縋るようにシンへと顔を向けた。

 しかしシンの表情は、あくまで冷静だった。


「最初クルスの話を聞いたときは、感じ取れないくらいに魔力の量が小さいだけかと思ったよ。でもその結果を見てびっくりしたよ。まさか、限りなくゼロに近いんじゃなくて完全にゼロだったとはね」

「だ、だって、ありえないじゃないの! この世界の人間だったら、魔力を持ってるのは当たり前なんでしょ! それなのに、なんでアルには魔力の欠片も無いのよ!」

「それは僕にも分からないよ。こんな結果は初めて見たし。――あるいは、この世界の人間じゃなかったりしてね」


 ふざけるな、とでも言いたげにクルスはシンを睨みつけた。大抵の人間ならば震え上がるような恐ろしいものだが、昔からそれを向けられ続けてきたシンにとっては慣れたものかというとそんなことはなく、大抵の人間と同じように背筋を凍らせて後ずさりした。


「……まぁ、測定結果は小数点第三位までしか出ないから、ひょっとしたらそれ以下の桁にゼロ以外の数字があるかもしれない。――まぁ、たとえあったとしても、そんななけなしの魔力で魔術が使えるかは甚だ疑問だけど」


 シンが説明する最中も、クルスは手元の紙をじっと見つめていた。

 しかしどれだけそれを見つめたところで、その数字は変わらず“0.000”のままだった。


「正直に、答えて」


 ふと、クルスが口を開いた。


「あの子が……、アルが、魔術を使えるようになる確率は?」


 その質問に、シンは唇を噛んで、目を逸らした。


「もちろん、こんなのは初めてだからね。ひょっとしたら何かの拍子に魔力が生まれるなんてことがあるかもしれな――」

「結論だけ、ちょうだい」

「……今のままだったら、魔術を使えるようになる見込みは、まったく無い。魔術を使うために必要な魔力がそもそも無いんだ。使いようがないよ」

「…………、そう」


 クルスの返事は、それだけだった。

 シンがクルスへと顔を向ける。

 彼女はただじっと、険しい表情で紙を見つめていた。

 そのとき、


「すいませーん」


 こんこん、と乾いた音と共に、少女の声が聞こえた。しかし自分達が今いる部屋のドアが叩かれたわけではない。どうやら、隣の保健室を訪ねに来たらしい。

 こんな時間に誰だろう、と思いながら、未だ険しい表情で黙りこくっているクルスを横切って部屋のドアを開けた。顔だけ外に出して、隣へと向ける。


「あれ? 君は……」


 保健室の前にいたのは、昼間にクルスがここに連れてきて、そしてたった今話題にしていた少女、アルだった。

 そして彼女は、クリーム色の柔らかい癖毛に赤縁の眼鏡を掛けた少女を仰向けに抱えていた。その様子から、その少女はどうやら眠っているらしい。

 アルはシンの目をまっすぐ見て、


「バニラのこと、診てくれる?」

「バニラっていうのは、その子のことだね? いったいどうしたんだい?」

「えっと……、広場で練習してたら……、その……、バニラが魔力を使い切ったみたいで……」


 言葉尻を濁して顔を逸らすアルに、シンはくすりと笑った。彼女達がつい先程まで何をしていたのかは知っているし、それについて彼女達を咎める気はまったく無い。

 それよりも、


 ――本当にクルスの言う通り、勝ってきたね……。しかも“無傷”だ……。


「分かった。それじゃ、ベッドまで運んでもらえるかな?」


 シンは驚きを笑顔で隠して、ポケットから保健室の鍵を取り出し、ドアの取っ手に差し込んだ。そしてドアが開くや否や、アルがバニラを抱えたまますたすたとベッドまで歩いていき、彼女をそっとそこに寝かせた。

 その後ろ姿を眺めながら、ふとシンが尋ねる。


「ところで、広場で倒れたってことは、まさかそこからずっとその子を抱えてきたの?」

「うん、そうだけど?」


 何てこともないように答えたアルだが、それを聞いてシンの笑顔が微かに引き攣った。いくらバニラが少女とはいえ、気を失った人間はかなり重い。大の男でさえ持ち上げるのに苦労するそれを、アルのような小柄な少女が1人で抱えて運べるはずがないのである。


 ――何もかもが、規格外ってわけか……。


 シンは目の前の少女に、畏れにも似た何かを抱いていた。しかしそんなことはおくびにも出さずに、ベッドに眠るバニラの診察に入る。

 まぶたを開けて瞳孔を診て、手首に手を添えて脈を測る。腕や足や腹などを触ってもバニラが痛がらないことを確認する。


「うん、やっぱり魔力を使い切って気絶したみたいだね。でも一応念のために、魔術で治療はしておこう」


 シンはそう言うと懐から杖を出し、その先端をバニラの頭上にかざした。彼が呟くように呪文を唱えると、彼の右手がうっすらと光り、それに合わせてバニラの表情が微かに和らいだ。

 彼の横で心配そうに覗き込んでいたアルが、ほっと胸を撫で下ろした。

 そんなアルの肩に、ぽん、と手が置かれた。


「あらあら、私から逃げ出したかと思ったら、いったい今までどこで何をしてたのかしら?」


 聞き覚えのある、そして何かを抑えつけようとしているからこそ穏やかなその声に、アルは体をびくっと跳ねさせて、恐る恐る後ろへと顔を向けた。

 案の定、そこにいたのはクルスだった。その口元には一応笑みが浮かんではいるが、それはひくひくと引き攣っているし、何より目がまったく笑っていない。


「どう、アル? 気分転換はできたかしら?」

「えっと……、うん、できたよ……」

「そう、それは良かったわ。だったらこの後、朝になるまで続きをやっても構わないわよね?」

「あ、朝まではさすがに……」

「構わないわよね?」

「ハイ、ワタシハゼンゼンカマイマセン」


 冷や汗を垂らしながらアルはそう返事をすると、兵士が行進するように、頭のてっぺんから爪先までぴんと伸ばしながらドアへと歩いていった。

 そして、アルが取っ手を握りしめたそのとき、


「そうそう、アル」

「何?」

「もし私が部屋に戻ってきたときにあなたがいなかったら、承知しないから」

「……分かった」


 がちゃり、とドアが開かれ、ばたん、とドアが閉められた。どたどたと響く足音が小さくなり、やがて消えた。

 その一部始終をバニラへの治療の手を止めることなく眺めていたシンが、クルスへと視線を移して口を開いた。


「クルス、君――」

「分かってるわよ。可能性が限りなく低いことくらい」


 シンの言葉を遮ってそう言うと、クルスは彼へと顔を向けた。

 そのときの表情は、戦っているときのそれでもなく、誰かを威圧しているときのそれでもない、何かを決意したような凛々しいそれであった。シンならば、おそらくそれを“教師の顔”と表現するのだろう。


「それでも、私はその限りなく低い可能性に賭けたい」

「……それは、彼女の実力に惹かれて?」


 シンの問い掛けに、クルスは首を横に振った。


「あの子が、“変える力”を持っているからよ」


 クルスはそう言い残して、部屋を後にした。

 シンはしばらくの間、固く閉ざされたそのドアをじっと見つめていた。


「……まったく、これからどうなることやら」


 胸をさわさわと撫でつける嫌な予感を自覚して、シンはそれを吐き捨てるように呟いた。

 その問いに答える者は、誰1人いなかった。

第1章 終了

ここからは少し更新ペースを落とします。

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