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〈暴食〉のアル  作者: ゆうと
第1章『始動編』
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第12話

 リーゼンドがその左手に持つ杖を構えて、呪文を唱え始めた。


「――させるか!」


 それを見て、アルがリーゼンドへと駆け寄る。その腕や足には、殴られたような青痣が幾つもできていた。

 アルの脚力は十代前半の少女とは思えない、というより人間とは思えないほどの速さを瞬時に生み出し、あっという間に大股で15歩はあった二人の距離を詰めていった。

 そしてアルは地面を蹴ってほんの少し宙に浮くと、何の躊躇いも無く彼の頭めがけて右脚を振り下ろした。

 しかしそれが当たる直前、リーゼンドはその空間に溶け込むように、すぅと消えた。結果、右脚は空を切るだけに終わった。


「ちっ!」


 悪態をついたアルは着地をすると、目を皿のように細めて周りの景色を睨みつけた。

 しかしリーゼンドの姿はまったく見えず、アルの視界に映るのは薄暗い広場と本棟と遠くにある外塀、そして祈るように両手を胸の前で握りしめるバニラの姿だった。


「――ったく、どこ行った……?」


 アルが呟いたその瞬間、

 がっ!


「ぐ――!」


 アルの後頭部に、強い衝撃が走った。

 脳が強く揺さぶられる感覚に、アルの意識が一瞬遠のいた。膝から力が抜けて、彼女の体が前のめりに倒れていく。

 地面が、迫る。


「アルちゃん!」

「――このおっ!」


 バニラの声で我に返ったアルは、気合いで意識を強引に手繰り寄せると、足を地面に叩きつけた。体が倒れるのを防いだのと同時に、その衝撃が足から背骨を通って頭に伝わり、ぼんやりしていた脳を覚まさせた。

 そしてすぐさま体を反転させると、その勢いのまま右脚を薙ぎ払った。

 手応えは、無かった。


「くっ!」

「アルちゃん! 右!」


 バニラの声に、アルはほとんど反射的に振り向いた。

 そこにあったのは、炎だった。


「――――!」


 アルはすぐさま後ろへと跳んだ。

 それとほぼ同時、アルが直前までいた場所にその炎が着弾し、空間をごうごうと燃え上がらせた。炎は強烈な紅い光を撒き散らし、月明かりを容赦なく潰していく。

 アルはその炎を横目に、炎が飛んできた方へと体を向けた。

 そこにいたのは、不気味な笑みを浮かべて杖をこちらへと向けるリーゼンドだった。その杖の先端には微かに黒い煙が上がっていたが、風に吹かれてすぐにそれは消え去った。


「ふふふ、意外とやりますね。もっとあっさりとやられると思ってましたが」

「残念だったね。こっちだって、魔術師との戦いは初めてじゃないもんね」


 リーゼンドの挑発に、アルは口元に笑みを浮かべて返した。


「成程、魔術師とは戦い慣れてるということですか。いったい、どういう事情で魔術師と戦っているんでしょうね? これはますます、きみをここに住まわせるわけにはいかなくなりましたよ」


 リーゼンドの視線が、まっすぐアルを捉えた。その目はまるでガラス玉のような、とても血が通っているとは思えないほどに冷たいものだった。


 ――ったく、何か良い方法は無いの?


 表情ほど余裕ではない状況に、アルは思わず歯ぎしりした。



 *         *         *



「アルちゃん……」


 アルとリーゼンドの戦闘が始まってから、バニラはすっかり蚊帳の外となっていた。

 リーゼンドは学院の教師ということもあって、魔術師としての腕は確かなものだ。教職科の教師とはいえ、戦闘科の教師と比べてもその腕に遜色は無い。

 そんなリーゼンドに対して、劣勢とはいえ、アルはまともにやり合っているのである。

 リーゼンドの魔術に翻弄されてはいるものの、攻撃された後に素早く対処することで決定的なダメージを受けずにいる。それにより戦いは長期化し、互いにちょっとしたミスが命取りという切迫した状況にまでなっている。

 そんな2人の遣り取りに、バニラが入り込む余地はまったく無かった。


 ――アルちゃんを助けたいのに……。


 しかしバニラは、リーゼンドの言う通り“落ちこぼれ”。自他共に認める学院一の劣等生である。ほとんどの魔術を失敗させ、唯一の持ち技である魔術も皆に馬鹿にされるようなものでしかない。


 ――私に、もっと力があれば……。


 今まで何度も想い描いていたことだが、今ほど自分の無能さを呪ったことは無かった。大きく膨らんでいく悔しさに、バニラは思わず歯ぎしりをした。



 *         *         *



 リーゼンドが呪文を唱えると、彼の体が徐々に色を失っていき、背景と同化していった。

 何度も同じ光景を見ているために消えるまでの時間が分かっているアルは、今から駆け寄っても間に合わないと判断し、その場から動かずにそれを見つめていた。

 やがて、リーゼンドの姿が完全に消えた。

 アルは舌打ちをするも、すぐに冷静になって考えを巡らせていく。彼が得意とする、自分の姿を消す魔術。あれをどうにかしない限り、自分に勝機は無い。

 ちなみにアルは、姿を消したリーゼンドに自分の攻撃が当たるかについては、さほど心配はしていない。むしろ彼女は、ほとんど100パーセントの確率で、自分の攻撃が通用するとさえ思っている。

 なぜならば、リーゼンドは姿を消した状態で一度、バニラの攻撃を避けているからである。

 最初にアルにのし掛かって首を絞めてきたのは、間違いなくリーゼンドだろう。そしてバニラが箒で攻撃したとき、彼はわざわざアルの体からどいてまでそれを避けたのである。

 つまりそれは、物理的な攻撃が当たるということを意味している。

 ならば、リーゼンドがいる場所さえ特定できれば、攻撃を加えることができる。

 しかし、たったそれだけのことが非常に難しい。受け取る情報の大部分を視覚に頼っていると言われる人間にとって、目に見えないものを知覚するというのは至難の業なのである。

 ならば、視覚以外の方法を使えば良いのではないだろうか?

 アルはそこまで頭を巡らせ、


 ――そういえば、“あいつ”も同じようなこと言ってた気がするな……。


 ふと、昔自分に対して熱心に語っていた或る少年の言葉が脳裏に浮かんだ。

 彼曰く、普段から視覚に頼った生活をしている自分達は、視覚以外の情報を無意識に軽んじる傾向にあるらしい。もし視覚以外の感覚――例えば聴覚や嗅覚などを鋭敏にしておけば、目を瞑ってても相手の位置が手に取るように分かるようになるのだという。


「よぅし」


 物は試しだ、とアルはそっと目を閉じた。

 まぶたを閉じたことで、当然目の前は真っ暗になる。そして視覚が途絶えたことで、それ以外の感覚が研ぎ澄まされていくのが彼女には分かった。

 遠くから聞こえる風の音。

 風に吹かれてざわめく芝生の音。

 肌を撫でる風の感触。

 明日の分の仕込みでもしているのだろうか、どこかから漂ってくる、食欲をそそる美味しそうな匂い。

 そして、


 ばきっ!

「ぐえっ」


 アルは右頬を思いっきり殴られた。彼女は数歩後ろへとよろめき、そのまま地面に倒れて体を強かに打ちつけた。


「アルちゃん!」


 悲痛な叫び声をあげて、バニラがアルの傍へと駆け寄った。アルの手を取り、ゆっくりと立ち上がらせる。


「ははは、昔の友達の真似をしてみたんだけど、やっぱり思った通りにはいかないね……」


 そういえばその少年も、散々偉そうに講釈を垂れていたものの結局それを実現することはできず、最終的には魔術の力を借りていたことを、アルは今更になって思い出した。


「ふふふ、どうやら手をこまねいているようですね……」


 前方から、リーゼンドの声が聞こえてきた。2人がそこへ顔を向けるのとほぼ同時、2人から離れたところに彼は現れた。相変わらずの完璧な擬態と余裕の笑みに、アルは思わず顔をしかめた。


「ふふふ、いくら人よりもちょっと運動神経が優れているからといって、所詮魔術が使えなければ何の意味も無い。魔術を使えない人間なんて、何にもできないクズなんですよ」


 リーゼンドの言葉を聞き流しながら、アルは地面に唾を吐き捨てた。その唾には若干赤が混じっていた。どうやら先程の殴打で口の中を切ったらしい。

 たまたまその唾が視界に入ったバニラが、秘かに拳を握りしめた。魔術を使えないアルが傷ついているのに、魔術を使える自分が何もせずただ見ているだけというのが、とても悔しかった。


「さてと、私もあまり暇ではないんです。そろそろきみらに、現実の厳しさってやつを教えてやるとしましょうか」


 リーゼンドはそう言うと、再び姿を消した。バニラは睨みつけるようにその過程を観察するが、それでも他の景色との見分けがまったくつかなかった。


「バニラ」


 アルが声を掛けた。静かで、落ち着いた声だった。


「あいつの言う通り、このままだったら、多分わたし達は負ける」


 事実だけを見据えたその言葉に、バニラは息を呑んだ。

 アルがバニラへと顔を向けた。まっすぐで、どこまでも真剣な表情だった。


「わたしは魔術が使えないから、バニラの力だけが頼りなの。――何かあいつの居場所が分かるような、そんな魔術は無い?」

「え――」


 その瞬間、バニラの時間は確かに止まった。

 生まれてから今まで、期待されたことなど一度も無かった。実の両親は常に自分と他の兄妹を比べて溜息をつき、他の人達も自分の実力を知ると失望したような、それでいて同情するような目を向けた。

 半ば追い出されるようにこの学院に入った後も、教師達は、級友達は、自分のことを馬鹿にし、蔑み、罵声を浴びせた。

 誰も自分を頼ってなどくれなかった。

 誰からも、必要とされなかった。

 そんな自分が今、自分がどういった人間なのかを知らないとはいえ、頼られている。

 それがバニラには嬉しくて、――悲しかった。


「――ごめん」


 突然の謝罪に、アルは訝しげに眉を寄せた。


「ごめん、なさい……」


 それでも、バニラの言葉が止まることはなかった。


「ごめん……、今まで、アルちゃんに言えなくて……。アルちゃんのこと、騙してて……」


 一言口に出す度に、目から涙が零れ落ちてくる。最初は水滴だったそれも、だんだんと一つの筋になっていった。


「私……、落ちこぼれなの……。魔術なんてほとんど使えない……、誰からも馬鹿にされるような……、駄目な人間なの……」


 拭っても拭っても涙は途切れず、頬を伝って地面へと落ちていく。


「ごめんなさい……。今まで黙ってて……。落ちこぼれのくせに……、偉そうに先生の真似なんかして……」

「……さっき、『ほとんど魔術が使えない』って言ってたよね。ということは、少しは使える魔術があるってことだよね?」


 アルの問いに、バニラは涙を袖で拭いながら、首を縦に小さく振った。


「……1つだけなら、できるようになったよ……。でも、先生に見せたら、『そんなクズみたいな魔術しか憶えられないのか』って言われたの……」


 はは、とバニラは自嘲の笑みを浮かべて、


「そりゃそうだよね……。“タンポポを咲かせるだけの魔術”なんて、憶えたって使い道なんか無いもんね……」

「…………」


 アルからの返事は無かった。

 バニラは顔を俯かせた。アルがどんな顔をしてそれを聞いていたのか、バニラは怖くて確認できなかった。

 すると突然、ばん! と気持ちいい音をたてて、バニラの両肩にそれぞれ手が置かれた。置かれたというよりも、叩きつけられたの方が正しいかもしれない。

 バニラは「ひっ!」とか細い悲鳴をあげ、怖々とアルの言葉を待った。

 いったい次の瞬間、どんな言葉を掛けられるのだろうか。

 自分を騙していたことへの怒りだろうか。

 落ちこぼれだということへの侮蔑だろうか。

 それとも『いつかは使えるようになるよ』などといった、中身など無い空っぽの同情だろうか。

 しかし、アルの反応は、それらのどれでもなかった。


「やっぱりバニラは凄いよ! さすがわたしの先生!」


 それを聞いたバニラは、そういえば“皮肉を言う”って選択肢もあったっけ、などと思いながら顔を上げた。

 しかし彼女がアルの表情を見たとき、その考えは消えた。

 バニラを迎えたのは、目映いばかりの、満面の笑みだった。馬鹿にするような感情は一切籠もってない、純粋にバニラを尊敬するようなものだった。


「――へ?」


 バニラは、思わず間抜けな声をあげた。

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