セブンス ソウル
俺は土曜の早朝――まるで、世界で一人だけになってしまった河川沿いを一人で駆けている。
そして靴底で地面を蹴る度に、アスファルトからはリズミカルな反響音が聴こえてくる。
ただ街並みは、67・11と訳のわからない数字が羅列してある看板があったり、野球の試合ができるような広いグラウンド。
極め付けなのは、ラジコンのサーキットとなっている公園だったりと変わらない街並を久しぶりに見て、少し懐かしい気持ちになっていることに気づく。
休憩がてら、公園に立ち寄って時計を確認する。
時刻はおおよそ6時。今までの俺ならベットの中でぬくぬくと眠っていたのだろう。
だが、俺はある人物に欠点を指摘され、それに反発するかのように昔していたことを再開してみたのである。
毎日ではなく、週一なら投げ出す癖も直るだろうという浅はかな考えもあるが、こうして走り終えた後の余韻が嫌なものではないことに半ば動揺した。
そんな動揺を消し去りたくて、ベンチに座り一息つく。
「やっぱ、昔みたいに行かないか」
そんな弱音を吐きつつも、再びランニングを始めて自宅に着く。
何かを成し遂げたことによる達成感を感じることもできるが、同時に――。
今残っているのは――この肌に当たる刺すような家の冷たさやもうこの家には俺しかいないという事実を痛感する。
「風呂でも入るか」
誰にいう訳でもなく、口にする。
いつもはシャワーしか浴びないが久しぶりに湯船に浸かるのも悪くないと思い、汗まみれになった服を乱暴にバケツに投げ込む。
誰かに見られる心配もないので、産まれたままの姿で浴室に向かう。
そうして――俺の世界は静止した。
なぜ――この場に、着物姿の女がいるんだ?
反射的に、浴室のドアを閉める。
漠然とした思考を何とか冷静にさせて、状況を把握するようにした。
まさか……。古代ローマ帝国と繋がっているどこかの銭湯のように、どこか別の時間軸と繋がっているのか。
それとも、ただ単に入る家を間違えたのか――。
ダメだ、わからない。
もし断言できるとしたら、浴槽にいた少女は凄く可愛くて、ありえないぐらいにスタイルが良さそうという小学生並の下品な感想しかない。
たしかに、濡れる着物は侘び寂びや色気の点で非常に優れているが――。
「すまぬが、少し――」
条件反射で、土下座をしていた(ちなみに、バケツの中にあった汗まみれのパンツ一丁である)。
「拙者は別に怒ってはいないぞ。ただ少し、驚いただけだ」
「ごめんなさい。勝手に他人の家に入ってしまい、浴槽で覗き見をするなどの不埒な」
「ちょっと待ってくれ! それに、ここは拙者の家ではない。もしかして――そなたの家ではないか?」
「あぁ、そうだけど」
「風呂はお借りしてしまったが……。こちらこそ風呂場に上がり込むなどという淫乱な真似をして済まなかった!!」
廊下で土下座し合う二人――端からみたら、この光景はどう映るのだろうか。
「つまり……。君が俺の家の風呂場にいて、俺が君に裸を見られたのは不可抗力ってことで良いんだよね?」
「拙者は……別に、おっとこのソレを見たからといって、変な気持ちになどならぬぞ」
――あぁ、よかった。
そう、安堵したのも束の間。
「済まぬが、今は永禄何年でござるか?」
「いや、今は平成だけど」
俺はそう返事をして、姉のジャージを差し出すと着替えるように指示をした。
そして、真ん中のチャックを閉めないでタオルを腰に巻くという、なんとも斬新な着こなし方をした彼女の姿があった。
出会いはあんな形になってしまったが、自己紹介しなくていけないと思い、俺から会話を切り出すことにした。
会話を切り出す方法として、冷蔵庫から冷えた緑茶と買い置きしていた煎餅を皿に盛り付けて、出すことにした。
「お詫びって言い方は失礼かもしれないけど、どうぞ」
「かたじけない」
彼女は手慣れた手つきで緑茶を飲んだと同時に、ひどく驚愕しているようにも見えた。
「俺は兼坂優太と言いますが、そちらの名前はなんて言うんですか?」
「優太殿、堅苦しい言い方じゃなくていいぞ。そうだな……拙者の名は楓だ。だが、すまぬ。どうしても苗字を思い出すことができぬようだ」
彼女の名前は楓というらしい。タイムスリップの影響なのか苗字は思い出せないそうだ。
けれど、あんだけ持っていた煎餅たちは既に時間旅行を果たしていた。
仕方なく記憶喪失者で今の世界の事情を知らない彼女に、ジャージの着方などの生活に必要なことを一通り教えることにした。
そこで、ある問題が発生する。
――女の子に対し、女性下着について説明しなければならないという、人生最大の困難に直面している。
彼女の時代ではどのような下着を身に付けていたかは不良名である。
だからといって、裸にジャージ(それも腰をタオルで縛る)という斬新で破壊力のある格好をさせる訳にもいかないので。
下着のことは姉の部屋にあったのを用いて説明することにしたが、意地を張らずに唯を呼べばよかったと思わざるをえなかった。
そんなことを説明していると、正午の予鈴が鳴っていた。
いつもなら昼食を食べている時間ではあるが、今日は彼女にこの時代の説明をしていた為に準備するのを忘れてしまっていた。
それに、姉がいなくなってからは出来合いもので済ませることが多く、自分で作るとしても最近は手抜き料理が多かった気がする。
いっそ外食に行こうとも考えたが、自称――戦国少女をいきなり外界に出してもいいのかと考えたが、パニックになるのを考慮して一人で行くことにした。
「今からコンビニに行って来るけど、食べたい物とかあるか?」
「優太殿と同じもので頼む。それよりコンビニとは、どのような所なのですか?」
「年中無休で、24時間営業している食べ物屋って感じかな」
「まっ、誠でござるか!? 失敬、この時代の女子おなごはござるござると言わぬものだと、優太殿が教えてくれたばかりだと言うのに」
――この時代の少女は女子と書いて、おなごとは呼ばないのだが。
まぁ少しづつ慣れていけばいいやと思い、コンビニに行って牛丼2つ、紙パックの緑茶、みたらし団子と昔ながらのものを一通り買って、自宅に戻ることにした。
俺は、リビングのテーブルに買ってきた食材を並べていく。
「なっなんと!? 透明な容器にこうも見事な食べ物が……。こっちに至っては紙でできた容器なのに濡れないときた……。ここは本当に日本なのですか!?」
正座して待ってくれていた彼女は酷く驚愕していた。
早い内から外に出さずにいて正解だったようだ。
「じゃあ、電子レンジでチンして温めるから待っててね」
「優太殿、電子レンジとはなんですか?」
「火を通さずに温められる機械ってところかな」
「400年後の日本が、これほどの進歩を遂げたとは……」
――そこまで驚嘆されると、こっちもなんだか恥ずかしいんだが……。
電子レンジの前で回る牛丼を3分近く眺めている彼女をよそに、食事の準備を始めることにした。
そうして、役目を終えた電子レンジは甲高い機械音を鳴らし、
「ピー、ピーと音がなったが、中に楽器でも入っているのですか?」
「さすがに、俺にもわからない」
そんなソワソワしている彼女をよそに牛丼を2つ、テーブルに並べてコンビニで貰った箸を手渡した。
彼女は俺がする動作を見よう見まねでフタを開け、そこから上がる湯気を全身で味わっていた。
それを割り箸で恐る恐る口にした後に、目が爛々と輝いていた。
たかが牛丼一つでここまで感動する人を目撃してしまうと、戦国時代から来たことに信憑性が増してしまう。
「優太殿! 優太殿! これは美味ですね。こんなに美味しい食べ物を食べたのは生まれて初めてです!! この時代は、こんなにも素晴らしい食事で溢れているのでござるか!!!!」
美味しさのあまりなのか、俺の両肩を非常に強い力で固定し前後に揺さぶってくる。
それを阻止するために、みたらし団子があることを指で説明することにした。
「なっ、な!? 団子まで――しかも大変美味な甘味です……。まさか、優太殿は富豪か何かの類ですか?」
「大した家じゃないし、姉も行方不明になったから天涯孤独で貧乏人っていった感じかな」
「すまぬ。勝手にこの時代にやってきて、失礼なことをぬけぬけと聞いてしまった。本当にうつけ者で申し訳ない……」
ひどく落ち込んでいる彼女を見ると、何故か胸がチクチクした。
「ボロい家だし、金もあんまないけどさ。もし良かったら、元の世界に戻れるまで、別にここで暮らしててもいいよ」
「ほっ、ホントでござるか!! 拙者は何をして礼をすれば良いのやら……」
「この世界のことを知ってから、少しづつ手伝ってくれれば良いからさ」
「かたじけない。もしものことがあれば拙者が命を賭けてでもお供いたします」
――まぁ、記憶喪失とかそういう類なんだろうな。
こうして、唐突ではあるけれど俺達二人の共同生活が始まった。