迷いと出逢い
ヨハンとの話の後、義一郎は自室へと案内される。
執務室から部屋までの道中を見るに扉や階段、廊下屋根に至るまで全て木製で作られており、曲がりくねった道や階段を下りていくうちにそれなりの大きな建物だということがわかった。
案内された部屋はそれもまた見事なものだった。まず一人で使うには大きすぎるというほどに広く、リビング、寝室、トイレに風呂、さらにはプライベートようであろう部屋まで完備されていた。
もちろん生前にあったテレビやパソコンなどの娯楽機器はないものの、使い方のよく分からない謎の道具が様々なところに置かれている。
そして極めつけは各部屋に置かれている鈴のようなもの。
ヨハンいわくこの鈴を鳴らせば数秒と経たぬうちに使用人が駆けつけるらしい。
兎に角至れり尽くせりのこの対応だが、義一郎は全くといっていいほど喜べなかった。
自分の置かれた状況は理解した。だがそれを割り切ることは全くできない。
この世界には義一郎が知る人は誰一人として無く、そして思い入れるようなものもない。
そんなこの世界でいきなり英雄と祭り上げられても、何一つ心に響くことはないし、どう生きていけばいいというのだ。
義一郎は寝室のベッドに死んだように倒れこむと仰向けになり天井を見つめる。
あぁ何も考えたくはない。今日は疲れた…。
体は軽いのに心は鉛のように重い。今日見たもの全てが夢のようなそんな気さえしてくる。
このまま消えてしまえたらいいのに…
そんな思いが義一郎の中で延々と駆け巡っていた。
義一郎はまるで海の底に沈んでいくような感覚を味わいながら、その瞳をゆっくりと閉じる。
がんじがらめの頭がクリアになり、スーっと遠くなっていく。ほどなくしてその意識は水の中の塩の如く溶けるように途絶えた。
「んー今何時じゃ…」
そこまで言って義一郎は勢いよく起き上がるとキョロキョロと周りを見回す。
そうか…夢ではないか…
義一郎は目を瞑り深く深呼吸するとゆっくりと立ち上がる。
寝室の小窓に歩み寄り外を覗き見ると早朝の青白い光が少しづつエルフの集落を照らし始めていた。
「朝は変わらんのじゃな…」
義一郎は踵を返すとおもむろに部屋を出る。
特に何かをしようと思った訳ではない。ただ外の空気を吸えば少しは気分が解れるのではと考え、気がつけば行動していた。
外に出るのは思いの他簡単で大きな木製の螺旋階段を下りるだけですんなり一階へ、そしてそのままエントランスのような広間に出口の扉はあった。
これまで早朝のせいか他のエルフに出会うことはなく、その静かな空間は不思議と義一郎の気持ちを落ち着かせていた。
義一郎が扉を開ける。朝のひんやりとした、湿度を含んだ新鮮な空気が広間に入ってくる。
窓から見る限り森が広がっていただけはある。山の朝の空気じゃ。
義一郎はそれを思いっきり吸い込むと、そのまま広間を出ていく。
木々に囲まれた集落は一見田舎の寂れた村を思い描くかもしれない。しかしこのエルフの集落は自身の暮らしを高いレベルにもっていきつつ完全に自然と同化していた。
この集落にある木というのは見渡す限りみな大木でその幹の太さは人が十数人円陣を組んだのと同等以上、大きさは5階だてのマンションほどもある。
エルフの家はその木を利用し、幹の中をくりぬいて住んでいたり、ツリーハウスを作ったりして暮らしているようだ。
エルフの集落を歩く義一郎の眼前には早朝にも関わらずちらほらとエルフの人を見かけるが、皆義一郎の姿を認めると礼儀正しく頭を下げ再び自身の作業に戻っていく。
どこかに人のいない静かなところはないかなっと。
やはりエルフたちの対応に慣れない義一郎は人気のない場所を探し始める。
木々の間を抜け、人一人がかろうじて通れるような整備されてない道を歩いていく。見たことのないような大木が乱立し、瑠璃色に輝く蝶や純白の大輪を開く花など、初めて見るものばかりで義一郎はいつの間にかその宛てのない散策を楽しんでいた。
やがて宛ても無く方々を歩き回っているうちに人気のない開けた静かな場所についた…のだが。
「ここはどこじゃ…?」
気がついたときには迷っていた。
木々の開けたその場所は森の中に空いた空洞というのが相応しいだろう。周りは大木というほどの木々はなく、そこに生える雑草は芝生といっても差し支えないほどに低い。
まだうっすらと感じるほどの日の光を一身に受けるその空間はいっそ神々しささえ感じられた。
義一郎はその空間の中心に立つと、糸の切れたマリオネットのように倒れる。
細い剣のような冷たさの雑草が肌にスーっと浸透していく。
体全体に広がったそれは朝の涼しさも相まってか寒さを感じるほどであったが何故か義一郎はその冷たさを心地よく感じていた。
「おや? 珍しいな、この時間に先客がいるとは」
頭上から突然かけられた言葉に義一郎は勢いよく起き上がる。
「あぁすまない、驚かせるつもりはなかったのだ。ただこの場所に人がいるのが珍しかったものでな」
そう言って声の主はその長い髪を払うように掻き上げる。
年は二十ほどだろうか。背は170いくかどうか、ブロンドの髪を胸の辺りまで伸ばし、腰に帯刀と背に弓を背負っている。武人のような出で立ちをしたキリッとした顔つきの女性である。
義一郎が呆けたようにそのエルフの女を見ていると女のほうも義一郎の顔を見ている。
やがて次の反応をしたのもエルフの女だった。
「あなたはもしかすると昨日の…」
そこまで言うとなにか納得したかのようにウンウンと首を振る。
「間違いない、あなたは英雄殿ですね?」
義一郎は息を吐くとゆっくりと立ち上がり、服についた土を払うとエルフの女と向き合う。
「あぁ、そうじゃ。実感はあまりないが如何にも、わしはあんたらの言う英雄殿じゃ」
義一郎がそう言うとエルフの女の目に微かな驚きが映るが、すぐに元の力強い目に戻る。
「こうして直に話せるとは光栄です。私はリアルス=レクイメント と言います。周りのものはリアと呼びますのでそれで構いません」
「これはご丁寧どうも、私は日ノ宮 義一郎という。義一郎で構わんよ。」
二人は軽く会釈を済ますとその場に腰を落とした。
義一郎はリアの出で立ちを見ながら口を開く。
「リア…はどうしてこんな時間にこんな場所へ? もしかして何か用でもあったかね」
義一郎の言葉にリアは顔を横に振る。
「用というほどのものではないのですが、私は一応騎士ですので。ただ日課で朝にここで訓練をしているのです。静かで広いし、誰に見られることもほとんどないですしね」
そう言ってリアは微笑みかける。
義一郎は苦笑しつつ申し訳なく頷くとリアは満足気な表情を浮かべた。
「それにしても私はともかくあなたのような英雄殿が何故ここに?ここは集落の外れですし、滅多にないですが危険な動物も出ます。一人で出歩くのはいささか物騒ですよ」
リアの言葉に少し義一郎の顔が曇る。
「何か事情がおありですか?」
その言葉に義一郎は答えるべきか迷う。
彼らからすれば英雄として召喚されたわしはこの国を救うものとして認識しているじゃろう。 しかしわしはこれから何をどうしたらよいのか全く考えておらん。 そんなことを伝えても良いのだろうか…
口をつぐむ義一郎にリアは静かにその場を立つと腰に差していた剣を抜く。
突然のことに目を見開き驚く義一郎だったが、リアはそれを意識していないかのように数歩だけゆっくりとした動きで前に足を進めた。
リアは義一郎から人二人分ほど距離を空けると、その剣を空に向かって高々と掲げる。
剣の刀身が朝の光にあてられうっすらと輝く。 煌めく刃の光は何か不思議な力が込められているかのような、そんな魅力を周囲の空間に与えていた。
次の瞬間、その剣は既に振り下ろされた後であった。 リアは掲げた剣を凄まじい速度で振り下ろすとそのまま刃を返すかのように袈裟斬りを繰り出す。
何もない空間にも関わらず、その場にあった何かが斬られたかのような錯覚に陥る。そんな重さがその動きから感じられた。
リアはそこから次々と技を繰り出していく。 横凪ぎの一閃から舞うような回転逆袈裟斬り、下段から隙のない切り上げに刀身が見えなくなるほどの唐竹など、それは演舞ではあるがより実戦を元にし、 敵を倒すことに特化したものだというのが一目で見てとれた。
リアの一挙一動からその真剣さが伝わる。それは技に磨きをかけ、見るものを魅了する一種の芸術の段階にまで足を踏み入れていた。
やがてリアは剣の動きを止めると流れるような動きでその刀身を鞘へと戻す。
パチパチパチパチ… 気がつけば義一郎はリアに敬意の拍手を贈っていた。
リアはこちらを向くと 少しはにかみながらその称賛を受け止める。
「私は一介の騎士です。剣を振るい、民を守るためこの命を捧げる。その一念を持ってこの道を選びました。 そして今日まで私がこの道を選んだことを悔いたことは一度もありません。」
リアはそう言って義一郎の前にくると向かい合うように座りこんだ。
「義一郎殿、どのような悩みを持っているのか私に話しては頂けないでしょうか。先ほど会ったばかりの私ではありますが騎士として、この国のものとして力になりたいのです」
リアは義一郎の顔を覗き込むようにして、懇願するような口調で話す。
少しの沈黙、しかしその空間の時間はより長く感じられた。
「わしには何もないんじゃよ。いままで守ってきたものも何もかもがの…」
義一郎の口から微かな声が漏れでる。
それは小さな声であったが義一郎からでた確かな本音であった。
その言葉にリアは強く胸を射たれるような衝撃が走る。
それはエルフの民全てが想像もしてこなかったことだからだ。
今の義一郎を大幅に占める思い。それは悲しみでも怒りでもない。
ただ虚しいのだ。
何かを失ったわけではないが、何もなくなった。それはある種の地獄ではないだろうか。
剣の道に殉じるリアにはその底知れぬ闇の深さにかける言葉を失い、自身の軽率さを呪った。
しかしリアは考えるのを止めることはしない。
このままでは義一郎殿は永遠に苦しみ続ける。そんな予感がリアにはしていたからだ。
重い空気が二人の間に流れる。そのときふとリアの口がゆっくりと開かれた。
「あの…義一郎殿がよろしければ…なのですが、本日私とともにエルフの集落を見回ってみませんか?」
たどたどしい口調ででた言葉。それは義一郎の悩みの解決になるものでは決してない。
しかしリアの言葉には懸命に絞り出した思いが感じられ、義一郎もそれに逆らおうという考えは全く沸くことはなかった。
「すみません…私は…何の…」
「行こうか」
気弱になるリアに義一郎は被せるようにそう言うと服についた土を払いながら立ち上がる。
「どうした、行かんのか?」
ポカンとしているリアに義一郎は手を差し伸べるとリアは慌ててその手をとった。
「是非案内させていただきます!」
リアは立ち上がり義一郎の横に立つと、嬉々とした足取りで森を下り始めた。