姿見
「こりゃいったい…?」
穴に入った途端、目の前の景色が一変する。
先ほどの祭壇は屋外であったが、今いる場所は完全な屋内の一室。二十畳はあるであろうその部屋は、見るからに高そうな金の模様の描かれた赤絨毯が敷かれ、周りにある木の棚にはびっしりと分厚い本が詰まっている。部屋の中央には木の枠に獣の皮か何かで作られたソファーが対になるように配置され、その間には相当大きな大木から切り出したであろう大きなテーブルが置かれている。
そしてその部屋の最奥には恐らく仕事するためのものであろう書斎机が、整理された紙の束とともに佇んでいた。
どうやらこの黒い穴は別の場所と場所を繋ぐ扉のようなものみたいじゃな。わしの知るもので例えるならさながら某人気アニメのどこで◯ドアと言ったところか。
黒い穴の考察を終えたころ義一郎に声がかかる。
「ようこそ、我が執務室へ」
「ふむ、立派なものじゃ。国の代表なだけはある」
義一郎の言葉にヨハンは軽く会釈をする。
穴から完全に義一郎が出ると、後に続いて隠密が姿見を脇に挟みながら現れる。
「ヨハン様、遅くなりましたが姿見をお持ちいたしました」
隠密はそう言うと姿見をその場に立てるとその姿を音もなく消した。
「さぁ義一郎殿、どうぞ自分のお姿をご覧ください」
特に何かした訳ではないのだが自信たっぷりに促すヨハン。
「はぁ、ありがとうございます」
義一郎は軽く会釈を入れて姿見の前に立つ。
いままで見える範囲で体の様子を確かめてはいたがどう考えても先ほどのような年寄りの体には見えない。
義一郎は少し緊張した面立ちで目の前の鏡を視界にいれた。
「………あ…これ…は…!!」
鏡に映るその姿に義一郎は声を失った。
確かに老体では無くなっているのだろうと覚悟はしていた。しかし頭で考えるそれと現実に映るその衝撃は全く異なる。
「若返っとる…じゃと…!!」
これまでの体の不調が消えるのも当然である。義一郎の体は90を越えた老体でなく、自身が死地へと赴いていた若かりし頃へと戻っていたからだ。
服装こそ先ほどまでの白い介護服のままであったが、中身は鍛え上げられた軍用ボディ。白髪混じりの髪の毛は黒い艶のある短髪に変貌し、シワだらけの顔は少しキツイ目付きが特長の凛々しい好青年へと変わっていた。
顔や体を引っ張ったりつねったり一通り触り終えると義一郎は後ろで控えているヨハンに詰め寄る。
「いったい何が起こっとるんじゃ!?わしは家で確かに死んだ!!なのになぜわしは若返ってこんなところにおるんじゃ!!」
「お、落ち着いてください。それに関してはこれから説明致しますゆえ」
ヨハンはたじろぎつつも義一郎をソファーに座るよう促す。
納得が出来ないといった表情をしつつ義一郎は大人しくソファーに座るとその対面にヨハンが静かに腰を下ろした。
「さて、説明しなければいけないことは多々ありますが、まずは何故あなたがここにいるのかを話しましょう」
神妙な面持ちになるヨハン。今まで見せていた穏やかな印象とは違い、眉間に皺をよせその目は眼前の義一郎のみを映していた。
先ほどとは違う迫力に義一郎はごくりと唾をのむ。
「今回私どもエルフはある大儀式を行いました。その名も三月の儀と呼ばれる儀式です」
「…はぁ?」
突然意味のわからない事を言われ、義一郎の口から思わず声が零れる。
しかしヨハンはそれを手で制すとそのまま話を続けた。
「この儀式は膨大な魔力を消費するとともに特定の条件下でしか発動できない儀式で三つの条件があります。まず一つは千を越えるエルフがある呪文を唱えること、二つ目は半径二百メートルを超える魔方陣の形成、そして最後に三つの月が揃う夜にその二つを行うこと、これが儀式の条件になります」
「…」
もはやなんの話しをしているのかも分からず、義一郎は頭にはてなを浮かべる。
しかしヨハンはそれを気にするでもなく話し続ける。
「本日がその月の三つ揃う夜、すなわち儀式の日です。この三つの月が揃う夜というのはかなり稀な例で、伝承では五百年に一度といわれています。我々はこの日のために数年前から星の動きを観測し、準備を続けてきました」
ヨハンは少し興奮した様子で手を拳にして力強く話す。
「ヨハンたちがその三月の儀式かなんかに力を入れてきたのはよーくわかった。が、それと俺にどう繋がるんだ?」
首を傾げる義一郎にヨハンはふむ、と頷く。
「義一郎殿の疑問はもっともです。前置きはこの位に本題へと入りましょう。この三月の儀にはある古くからの言い伝えがあります。民、窮地に紛す時。現れし天の人その力を振るいそれを救わん。と、つまりこの儀式は召喚の儀式。それも我々をお救いくださる神を召喚する儀式なのです!!」
話しを聞いていた義一郎は顔を青くしながら口を開く。
「……………もしかしてそれって?」
「そうです!あなた様こそ我々を救う神。英雄なのです!!」
ヨハンの言葉に義一郎はソファーに力無く倒れうなだれる。
つまり何だ?わしは全く見ず知らずの者たちに勝手に呼び出されて、そのうえこの民族を救わねばならんというのか!?
義一郎は自分に置かれた状態に少なからずのショックを受ける。そしてそれと同時に確信に近い疑問が義一郎の中で出来上がった。
それを確かめるため頭を上げると、顔を手で抑えながら小さな声でヨハンに尋ねる。
「ヨハンよ、その儀式とやらはどのような人…つまり死んだ人間でも呼び出すことはあるのか?」
「わかりません。ただこの儀式は英雄と呼ばれる者を呼ぶ大儀式です。それが生きている人であれ死んでいる人であれ我々をお救いできる力があるというならば、召喚出来ぬ道理はないと私は考えております」
ヨハンの毅然とした口調に義一郎は肩を落とした。
つまりわしはやはりあのとき死んだのだ。そしてそれは普通なら永久に意識することはない。少なくともわしは死の瞬間、何かを見たわけでも感じたわけでもなかった。ということはすなわち死とは永劫の眠り。その後の世界などは無く、何人たりとも知覚することのできない消え行くものなのだ。
そしてこの儀式で目覚めたわしは言うなれば甦った状態なのだろう。死んだ瞬間までの記憶をもち、そして甦らされた後再び記憶を刻み続ける。つまり日ノ宮 義一郎は確かに死んだ。ここにいるのはその記憶をもつただの英雄。全くの別の存在なのだ。
義一郎はそっと後ろに置いてある鏡に目を向ける。
そこには若かりし頃の義一郎の姿をしたモノが、暗く濁った目でこちらを見つめていた。
「…義一郎殿どうかお願い致します!!我らを救って…いえ、我らとともに戦っていただきたい!!」
ヨハンは立ち上がると深く深く頭を下げる。
その言葉には先ほどよりも遥かに重く、突き刺さるような凄みがあった。
義一郎はゆっくりと向き直ると、頭を下げたままのヨハンを見つめる。
数秒の沈黙があり、やがて義一郎は一度目を瞑ると一瞬何か痛みでも走ったかのような顔つきになるが、すぐにその目を開いた。
「少し、考えさせてほしい」
大きくはない、しかしはっきりとした声が部屋全体に広がる。
重苦しい空気が漂う中、ヨハンはゆっくりと頭を上げる。
顔をあげたヨハンは先ほどまでの厳しい顔つきが元の柔らかい表情に戻っていた。
俯く義一郎にヨハンは先ほどと変わらぬ雰囲気で口を開く。
「わかりました」
ヨハンはそれ以上何も言わずただ黙ってソファーに掛けなおした。






