レイモンドとネロ
Bogeymanとは。
土地により言い伝えは異なるがそのほとんどが子供を脅す恐怖が形となった存在である。
ある国ではサタンと呼ばれ、ある国では妖精と言われている。恐怖を形にしている為容姿は想像上で判断する為に国によって女性の場合もあれば男性の場合でもある。
そんな子供から恐れられているブギーマンが、ある町に現れたと騒ぎになっている。
毎日一人ずつ子供が行方不明になったあと殺害されているのだ。犯人が不特定であるせいで警察は犯人を「ブギーマン」と呼ぶようになった。勿論適当に呼んでいるわけではない。殺害方法や誘拐する対象が子供であること、犯人の手がかりが全くないというまるで幽霊が襲ったかのような犯行によりそう名づけた。
この事件を「ブギーマン事件」と呼び捜査官に任命されたレイモンド・アーチャーは部下のアンリー・フェンネルを連れ町へ聞き込み調査に訪れていた。子供が行方不明になっていながらも町は賑わっており何も事件がなかったのでは、と思ってしまう程子供は外で遊び、恐怖心はない。見知らぬ人間にも挨拶をし平気で悪戯をする。子供を守らないのか、とレイモンドは不信感を露にするが変に恐怖を与えてしまっては子供に悪影響だとアンリーが町の状況を援護するようなことを口にする。
確かに、大人が犯人を捕まえてやると殺気立てば子供は大人を恐れ家に籠もってしまうだろう。元気で活発でなければならない子供にそんな恐怖を与えたくないという大人達の必死の思いやりなのだ。勿論子供を守るように大人達は外で過ごし明るく振舞うのだがその目は笑ってはいない。
レイモンドとアンリーは町長の家を尋ね話を聞くと、アンリーの言った通り、子供に恐怖心を与えないための行動だと言った。夜は絶対に子供を外には出さない、戸締りも神経質になるくらい確認を怠らない、なのに子供がいなくなる。鍵を開けたり窓を割った形跡も部屋も乱れていない。そうなってくるとどう対処していいか分からなくなるそうで本当に幽霊が連れ去っているのでは、と信じてしまうほどに町の人達は参っているらしい。
聞き込みをしても無駄かもしれん、と町長が外を眺めながら言った。外では子供が楽しげに走り回っている。ほんの少し前まではもっと子供がいた。五月蝿いと怒鳴られるくらい大勢の子供が外で遊んでいたのに、今は怒鳴ることも減り町長は寂しそうに子供達を見つめている。
「この町に…その、こんな事を言っては失礼なのは承知していますが少し性格が歪んでいるとか…短気な方だとか子供が嫌いな方はおられますか?」
そんな奴は山ほどいる、と町長は言う。逆にいないほうが気味が悪いだろう、と苦笑いしているが警官としてはそういう人が犯人なのでは、と疑いたくなる。子供に悪戯されたから、子供が五月蝿かったから、そんな理由だけ殺害する人間だっているのだ。そんな事をしてしまうような性格の持ち主を疑わないわけがない。
アンリーは町長の言葉に反論しようがない。疑いたいのだろう、という町長の視線が痛い。一方のレイモンドはその町長を疑っているようで部屋の中を見渡す。子供が好きなようなおもちゃやガラクタ、絵本等は見つからない。疑う理由もないが少しも乱さない町長の態度に不信感を露にしている。レイモンドの目からは町長が心から悲しんでいる様子もなければ他人事のようにまるで台本を読んでいるのではないかと思うくらいスラスラと言葉が出てきている。
町長はそんな疑いの目を向けているレイモンドを見て呆れた表情を見せる。これだから若い警官は、と言っているかのように。
結局手がかりという手がかりを見つけられなかった二人はとある家に目をつけた。窓から見える数人の子供と、大人。顔が良く見えない為性別の確認は出来ないが、ブギーマン事件があっても尚子供と接しようとしているその「大人」に疑いをかけようとレイモンドは訪れる。出てきたのはまるで作り物のような、例えるなら彼は「美」。同じ人間とは思えない整った容姿を持つ彼は警官が来た理由を察し家にいる子供達を帰し警官を招いた。
室内は彼の風貌に合った清潔感のある雰囲気、そしてインテリアの数々。その中の本棚には数え切れない程の絵本や子供が喜びそうな本が並んでいる。レイモンドは部屋を見渡しながら凶器や事件の手がかりになる証拠を探すが見つからない挙句にアンリーにやめてください、と小声で叱られる始末。疑いから入るのは仕事人間だからだろう、しかしアンリーの目から彼が犯人である訳がないらしい。彼はとても美しく子供にも優しい、アンリーの目はもう恋する瞳をしておりレイモンドはため息をつく。
バジルティーです、と彼はティーカップを差し出す。バジルティーって飲んだことない! とアンリーは嬉しそうに香りを楽しむ。ピザやパスタに使用されているバジルだが紅茶にも使用出来る。その効能はリラックス効果や消化不良にも良いらしい。アンリーは一口飲む。
「どうですか?」
「スパイシーですね!」
「ああ、でしたら蜂蜜を入れてみてください、飲みやすくなりますから」
穏やかな表情、心地よい低音の声。アンリーは仕事そっちのけで彼に夢中だ。そんなアンリーに渇を入れ事件について彼に問う。すると先ほどまで穏やかだった彼の表情が一気に変わる。悲しそうな、まるで自分の子を失ったかのような苦しんでいるような、見ているだけで胸が締め付けられてしまう。
「ぼくは、ネロといいます」
「え?」
「自己紹介を、していなかったので」
レイモンドはそういえば、自分もまともに名乗ってなかった、と思い出し慌てて自己紹介をする。これっきりの関係だとしても他人を家に招いてくれた以上礼儀は必須だ。訪れた際に軽く名前を名乗っただけだったのに、彼、ネロという男性は丁寧に自己紹介をしてくれた。その紳士的とも言うべき態度にアンリーは頬を染めている。
自己紹介が済んだところで、事件についての聞き込みを開始する。
ネロはボランティアで子供の遊び相手をしているそうだ。子供達から見るとネロは「先生」のような存在で親たちからの信頼も厚い。ネロ自身子供が好きだそうでブギーマン事件が起こった際ショックで気絶してしまうほどだったらしい。死体も殺され方も聞いていないのに、ただ子供が死んだと伝えただけで気絶する男に子供を殺せるだろうか。アンリーはレイモンドを睨みながらバジルティーを飲んでいる。
「ええと、レイモンド。ぼくは疑われている?」
「正直言うと疑っている。子供が好き、という人間は愛情の裏返しで虐待をする場合もあるからな」
「そうか…君の目からはそう見えてしまっているんだね」
確かにぼくが犯人ではない、という証拠はない。突然言い出したネロの言葉にアンリーは絶句する。自供と同じ事ではないか、と戸惑っている。一方のレイモンドは同意する。確かに犯人ではない証拠はない、だが犯人である証拠もない。だがそんな言い方をするネロを疑わないという答えにもならない。
「すみません変なことを」
「確かに変なことを言いましたね、何か情報を握っているんですか?」
「いえ……何故、ただ子供が好きなだけで疑われるんでしょうか、それがとても不思議です」
「それは」
「ぼくは結婚もしていないし子供もいないけれどあの子達を我が子のように愛しているんです。あの時傍にいればいなくならなかったんじゃないかってずっと悔やみ続けています。別に自分を庇うつもりはないですが、突然疑いから入られてしまうとどう反応していいか困るんです」
そう言ってレイモンドを見つめるネロの瞳に心を奪われたのはアンリーだけではなかった。濁りのない吸い込まれそうな程深海のような瞳の色に、まるで溺れて息が出来なくなるほど苦しい、胸が苦しい。魔法にかかったかのようにその瞳を見つめ続け反応しないレイモンドを不思議に思ったアンリーは肩を揺らすが無反応だ。
瞬きするたびに、瞳の美しさが一層映える。レイモンドはネロを疑ったことを心底後悔しながら、その瞳を見つめ続けていた。今まで感じたことのない、胸が高ぶりその瞳の中で溺れてしまいそうな、恋とは違う感情。
結局ほとんど話さずに署に戻ったレイモンドは終始無言だった。あのうるさいレイモンドが……とアンリーは心配そうに様子を伺い、そしてネロに想いを馳せていたのだった。