7、
こぽこぽこぽ・・・。
ポンプの泡が、水槽の水面を揺らす。
揺らぐ境界線の下を、フナがゆったりと泳ぐ。
その、きょろりとした丸い目玉に、ぐるりと教室が映る。
白い壁に囲まれて並ぶ、白い机。
その上に並べられた実験道具をはさみ、2人一組で席についている生徒たち。
カリカリカリカリ・・・
彼らはひたすら、ノートにペンを走らせている。
時折顔を上げて見つめる先は、黒板。
そこに白墨の魔方陣のごとく図形と文字列を生み出しているのは、白衣を着た老紳士、板谷だった。
彼は音も軽やかに、チョークを躍らせる。
・・・コ、カッ、カッ、コ、コツッ。
一通り書き終え、彼は満足したように笑み、教卓の上の小さな木箱にチョークを入れる。
カタン。
後は、生徒が立てるせわしない鉛筆の音と、おだやかなポンプの音が、室内に響く。
(ああ、なんて静かなのだろう。)
板谷は、かすかな音に、じっと耳を傾ける。
鉛筆の音は徐々に収まりつつあり、顔を上げて彼に注目する生徒が増えてきた。
ころあいを見計らって、彼は切り出す。
「今日は、酵素について、勉強します」
ノートを取りきれていない生徒も、板谷に注目する。
「酵素とは、体内で起こるあらゆる反応を促進する、一種の触媒です。」
朗々と教室中に響き渡る声で、講義する。
「触媒とは、化学反応を速める物質です。しかし、自身は変化をしません。周りの物質だけが変化するのです」
「その変化する物質も、酵素の種類によって異なります。例えば、消化酵素」
板谷は黒板の図を指す。
そこには、簡単に、人間の消化器官が書いてある。
「私たちが吸収する大事な物質として、デンプン、たんぱく質、脂肪があります。
しかしこれらは、このままだと大きな分子ですので、吸収されにくいです。
そこで、これらを吸収しやすい形にしてくれるのが、酵素なのです・・・」
「例えば、50kgのたんぱく質を分解するには、どれくらいの酵素の量で、どれくらいの温度が適切でしょう?」
「加賀美くん?」
「え、あの・・・わかりません」
「先生、」
挙手をした生徒を見て、教室中がざわめく。
本日2回目、いや、転校以来2回目の発言をした拓馬だからだ。
そうした周囲の反応をよそに、拓馬は質問を続ける。
「なぜ、50kgなんですか」
すると板谷は、ふっと笑みを漏らした。
その笑みに、桜は嫌な引っかかりを感じた。
「ぱっと閃いたんだよ」
「そうですか、」
拓馬は挙げっぱなしにしていた手を下ろした。
「僕の考えすぎですね」
それ以降、これが発言することはなく、いたって普通に授業が行われた。