◇28マサハル君
思ったより、広い。
それが素直な感想だ。
20代も後半、というか30近くにもなると大抵のことは経験済みで新鮮な感慨にふけることすら難しくなってきてるんだけど。
空間を贅沢に使った、まるでホテルのスイートみたいな雰囲気の部屋がドアをあけるといきなり現れる。廊下からは想像出来ない。内部はさらに豪奢だったんだな。
「こちらです」
「あ、はい」
寝室は別になっているらしくここにはベッドが見当たらない。
まずはソファーセットが置かれたこの部屋を通り抜けた。
10畳くらいは余裕であると思われる。
ここは、その、ただ座るだけの用途で設けられたのだろうか。
うーん…無駄に広い空間のせいで生活感が薄い薄い。ラグジュアリーな印象を与えるよ。っていうか威圧されます。こんなとこに暮らしてるなんて彼は何者なんだ。
場違いなスリッパのぺたぺた音を響かせながら案内されるままに進んでいく。中はフローリングなんですね。
…アレかな。
例えばマサハルくんってどこぞの御曹司とか、はたまた大株主とか。貧弱な私のお金持ち像からはぴんとくるイメージは見つからない。
なんと言ってもあんな手紙を書くくらいだよ?
某大統領夫人に助言していた某占い師とかFBIに捜査協力もしていた霊能者とか。そっち系のお方なのか?
うーん…わからない。
まあ…うん。あれだ。よくわからないからとりあえずスルーしておこうか。
いちいち動揺しても何にもならないしね。動揺したところで、事態は変わりはしないし、むしろ状況把握が遅れてどんどん自分が不利になるだけだ。
仕事するようになって平常心の大切さは常に身を持って知っている…つもりだ。
慌てても仕方ないのだ。たいていのことは、私ごときがどう足掻いたところでなるようにしかならないものだから。
この10年でトシくったぶん性格が落ち着いたというかかなり冷静に…ふてぶてしくなりました。
可愛くない?
別にいい。
もうそんな価値観からは離れて生きていくんだよ。
でもね。
そのぶん…昔のあの暗い情熱に今も惹かれてしまう自分がいるのも認める。
…若い時の勢いはもうない。
その喪失感に振り回されてここまで来てしまった。
「初めまして」
声に引き戻され私は立ち上がった。
ずいぶん待たされていたのだ。
私が案内されていたソファーは、普段お茶なんかをちょこっと飲むスペースらしく、部屋の壁一面にはダークな色目の木調の作り付けの本棚や、パソコンデスクがあったりとアカデミックな重厚感がある。
現れたのは意外なことに私の予想を上回る年代の男性だった。
「マサハルです」
「初めまして…倉橋和音です」
若くは見えるが、落ち着いた雰囲気から言って、30代くらいの男性だ。
細身でメガネの似合うインテリ…職業は…あちこち掛け持ちで教えていて忙しい大学講師です、と言えばそのラフで知的な感じにぴったりくるだろう。
私はマサハル…くんを複雑な想いを隠して見つめた。
マサハルさんと言い直すべきか。この人が、私と数真のことをなんで知っているのかやはり不思議だ。
奇妙な感じだ。
想像していたようなスピリチュアル系な青年でもなければ、エスパー的少年でも、ない。
整った顔立ちだけど世俗的な疲れが表情に滲み出ている。普通のサラリーマンでも通りそうな、くたびれたシャツの臭いがしそうな生活感があるたたずまい。
それが妙な親近感を抱かせる。生真面目に生きてきた人って感じだ。
彼は、にこっと笑った。
まるで、私が観察し終わるのを待っていたかのようなタイミングに内心ドキリとした。
「来てくれて、嬉しいです」
「あ、いえ…そのすみませんいきなり押し掛けまして」
「いえ、どうしてもお会いしたかったので、あんな手紙を書きました。失礼は承知ですがやはりお会いしたかった。その気持ちが勝ってしまいました。だから、謝らせてください。ごめんなさい」
ペコリと頭を45度下げている。
私はその素直さに20%驚き50%感動し、30%退いた。
だってね、謝るのって大人になると難しいんだよ? 仕事とかで立場上謝るのは別として、些細なことで謝るのって…しかも初対面の人に謝るのってかなり難易度が高いんじゃないか?
人間関係をこれから築くって時にいきなり謝るなんて立ち位置を不利にする行為、普通オトナはしない。
「いえ…あの気にしないで下さい」
「許してくれますか?」
ぱっと表情に明るさが走る。
「もちろん。手紙はその、びっくりはしましたが不快ではなかったです」
「ありがとう」
彼はまた、にこっとした。
…なんだか調子が狂う。
見た目のインテリっぽさと反する反応に。
どう返すべきか迷う間もなくさらに彼は。懐かしそうに目を細めた。
「側にいるよ」
「え?」
「彼はあなたを知らない。でもあなたのすぐ側にいる。あなたは会いにいける」
私は固まった。
…何を言ってるんだ?
マサハルくんは私をみてまた口角を緩やかに上げた。
紅茶の入ったカップソーサーを爪先で弾きながら、呟いている。
「戻れないかもしれない。でも、あなたが決めることだ」
私はいったいどんな顔をしていただろう。




