言葉に焦がれる。
顔も、名前も分からない人から毎日のように言葉が届く。
世界中から賞賛が。罵倒が。
私の作品は私の知らない世の中を駆け巡って行く。私の作品は知らない誰かの五感を刺激していく。誰かの心を燃やし、エネルギーを授ける。
私の作品が気になった人は私について調べる。
そして、私は罵倒される。私はここに居てはいけない。新たな失敗は許されない。過去の間違いは私を許さない。どんなに素晴らしい作品を生み出しても世界は私を許さない。私が作品とともに渡したエネルギーによって、私という人間は燃やされる。音は静かに、しかし見た目は派手に私自身を攻撃する。
顔も、名前も分からない人から毎日のように言葉が届く。
世界中の賞賛の中で私は罵倒しか見つけられない。
私は焦げていく。そして、焦げた箇所は私の身体から分離する。分離したところは煙となり、空気と混じる。
『あーまたこの人か。』
私は手の中にある画面を眺める。この人の作品は世界中で評価されてるし、みんな知ってる。でもこの人は過去に問題を起こしている。
コメント欄は作品に対する賞賛と作り手に対する罵倒で溢れている。この人の作品の良さが広がるのと同時にこの人の人間的な悪さが驚異的なスピードで広がっていく。
私は画面をぼーっと眺める。コメント欄に溢れる言葉を見つめる。私はコメントしない。この人はどうせ他人でしかない。
私は思考する。
悪いことをした人を世界中で袋叩きにしていいのだろうか。一方で本当に悪いことをした人に護られる権利はあるのだろうか。
悪いことをした人が世界中で叩かれている時に私だけは叩かない配慮と美学。悪いことをしたなら護られなくても、その道を選ぶ前に覚悟を持って別の誠実さで武装するしかない。そんな人生を選んだのなら武装して、笑うしかない。選びたくないのなら表に出てはいけない。
だからこそ1番避けないといけないのは冤罪。何も悪いことをしていない、まだ武装できてない、武装する理由も準備もできていない人が世界中から叩かれ、刺され、撃たれたなら。それは本当に取り返しのつかないことになる。冤罪で人を燃やしてはいけない。武装していない生身の人間をを焦がして、削ぎとってはいけない。空気からは二度と抽出できない。
言葉は美しい。だからこそ悪用しないように、されないように私は護る。
『炎上』という言葉や状態にこの1年間で何度触れたでしょうか。それによって潰れていった人は何人いたでしょうか。
それに携わった人は何万人いたでしょうか。
そのうちのいくつがデタラメ、デマ情報で正しい情報はいくつでしたか?
あなたは人生で何度間違い、失敗しましたか。
どうやって軌道修正して生きてきたのですか。
軌道修正出来なかった人はその後どうなりましたか。
もし、足を踏み外してしまった人が戻れない世界なら何人が生き残れると思いますか?
そんな世界であなたは生き残れると言い切れますか。
そんなことを考えて読んでいただきたいです。
全ての言葉が美しく使われることなど望んでいません。人生はこんなに長いのだから、時には暴言だって必要になるでしょう。言葉は時代によって移ろい、その時に使うべき言葉も、流行りの言葉も、なんなら言葉の意味ですら変わっていく。
宗派にもよるでしょうが日本人の大半は火葬されます。結局、死んだら燃やされるんです。
だからこそ美しい言葉に気づけるように。他人から届いた言葉を悪だと切り捨てないで見つめる辛抱強さと知識を持った素敵な人たちで世界が溢れますように。




