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人形姫 -海溝の魔女-  作者: コーラル
3/11

03

祖母パールが語った恐ろしい警告は、まるで冷たい呪縛のようにセレーネの可憐な肩に重くのしかかりましたが、それは同時に、彼女の胸の内に燻っていた決意をより強固で鋭利なものへと変質させていきました。

人魚の姿のままでは、地上の人間たちにとって彼女は理解不能な異形であり、恐怖の対象でしかありません。彼らにとって異質なものは、排除されるべき化け物として追い回され、鋭い槍の餌食になるだけ。パールが語った惨劇を回避し、愛する王子の隣に立つための唯一の道は、もはや彼女の瞳にはっきりと映し出されていました。


『そうよ、人間のように二本の足を持てばいいのよ』


心域の淵から湧き上がってきたそのささやきは、あまりにも滑らかで理知的な響きを持っていました。それは外側から押し付けられた命令などではなく、まるでもともと自分自身の魂が導き出した最善の答えであったかのように自然に、そして抗いがたい力強さで彼女の背中を押し、迷いを断ち切らせます。

セレーネは尾びれを激しく打ち振り、暗く静まり返った海中を、水の抵抗を切り裂くように突き進みました。彼女が向かったのは、王宮の最深部、潮の流れさえも届かないほどに隔絶された古びた図書館でした。


そこは巨大な真珠貝の骨組みを幾重にも重ねて作られた、静謐という名の重圧が支配する空間でした。数千年にわたる海の一族の記憶が、特殊な保存処理を施されたケルプ紙や、重厚な石板に刻まれ、棚という名の檻に閉じ込められています。

セレーネが図書館の重い扉を押し開けると、長い間かき乱されることのなかった水の澱みが、古い書物の匂いと共に彼女を包み込みました。彼女は書架の間を縫うように泳ぎ回り、埃にまみれた記録を片端から手繰り寄せます。

古い歴史書、複雑な魔法薬の処方箋、さらには歴代の貴族たちの家系図。彼女の指先は、禁断の知識に触れようとする高揚感と、背徳的な恐怖によって小さく震えていました。


「どこかにあるはずだわ。おばあ様たちがひた隠しにして、それでいて決して消し去ることのできなかった真実が」


彼女は独り言を漏らし、金の瞳を爛々と輝かせながら膨大な文字列を追い続けます。しかし、調べていくうちに彼女はある奇妙な、そして背筋が凍りつくような違和感に突き当たりました。それは、魔法薬学に関する輝かしい功績をいくつも遺した、ある類まれな才女に関する記述でした。

その学者は祖母パールと同年代に生きており、一時は王宮でも最高の地位を約束されるほど重用されていたようですが、ある時期を境に、彼女に関する記録が不自然なほどぷっつりと、意図的に断ち切られているのです。


セレーネは息を詰まらせ、さらに執拗にページをめくり続けました。すると、ある薬学書の中で、あからさまに鋭い刃物で無慈悲に切り取られた跡がある箇所を見つけました。その前後の脈絡や、残された僅かな文言から推測するに、そこには「足を得るための究極の薬法」に関する記述があったはずでした。

セレーネは戦慄し、破片のように残された数文字を、震える手で拾い集めていきます。そこには、人魚の誇りであり命の源でもある海の加護を一時的に断ち切る必要があること、そしてその行為がいかに自然の理を逸脱し、冒涜的であるかを示す、禍々しい深紅の禁忌印が押されていました。


「おばあ様。あなたが隠していたのは、これだったのね。この学者の存在そのものが、私たちの歴史の傷跡だというの?」


セレーネの問いに答える者はなく、ただ図書館の奥底に沈殿する冷たい静寂だけが、彼女を嘲笑うかのように取り囲んでいました。

彼女はその学者の名前を、唇を震わせながら何度もなぞりました。コーラル。かつて王宮の至宝と呼ばれ、今は名前さえ禁じられたその魔女の名は、セレーネの運命を決定づける響きを持っていました。


セレーネは視点を変え、その学者が姿を消した年代前後の医療記録や、王宮裁判の判決文を執拗にあさり始めました。歴史の闇に葬られた真実に一歩ずつ近づくにつれ、周囲を流れる水の冷たさが、まるで細い針のように彼女の透き通った肌を刺すように感じられます。

図書館の静寂はさらに重みを増し、時折聞こえる海流の低い唸りが、誰かが耳元で警告を発しているかのような錯覚を彼女に与えました。そして、ついに彼女は、何層にも重ねられた重厚な記録の最下層から、決定的な一頁を見つけ出しました。


公式な記録の大部分は無慈悲な墨によって塗りつぶされ、その生涯は暗黒の中に消し去られていましたが、彼女は石板に残された筆圧の跡を、指先でなぞるようにして丹念に読み解いていきました。そこに浮かび上がったのは、「コーラル」という、かつての栄光を感じさせる響きの名でした。

海の加護を自ら拒絶し、神への冒涜とも言える禁断の薬を精製した大罪人。歴史からその名を抹消され、永遠の深淵へと封印されたという伝説の薬学者の正体が、いま、セレーネの金の瞳の奥に鮮烈に焼き付けられました。


「コーラルとおばあさまの間には、いったいどんな繋がりがあったのかしら。おばあさま、あなたがあの時、あんなに悲しげな顔をして口を閉ざしたのは、この方のことを隠したかったからなの?」


独り言を漏らしたセレーネの脳裏には、先ほど珊瑚の庭で見たパールの、凍りついたような横顔が鮮明に蘇ってきました。慈愛に満ちた祖母が「一緒に行った友達」と称し、その死さえも仄めかさなかった人物。それは、もしやこの失われた薬学者のことなのではないかという疑念が、彼女の心の中で確信に近い重みを持って沈殿していきます。

図書館を立ち去ろうと身を翻し、複雑な思いを抱えながら尾びれを一振りしたその時、彼女の鋭い感覚が、周囲の澱んだ空気の中に奇妙な違和感を捉えました。古びた本棚の奥深く、長い年月によって歪んだ背表紙と冷たい石壁の間にできた、わずかな隙間の暗闇の中で、何かが淡い、青白い光を放ったような気がしたのです。


『そこに何かあるわ。貴女が求めている真実の続きが、その闇の中で待っているのよ。』


逃してはならないという激しい焦燥感に駆られ、セレーネは細くしなやかな腕を、不気味なほど冷気が漂う暗い隙間へと無理やり押し込みました。石の角が彼女の腕を擦り、微かな痛みが走りましたが、彼女はそれを厭うこともなく指先を伸ばし続けます。

やがて指先が、海水に晒されながらもその柔軟さを失っていない、硬く滑らかな感触に触れました。それを慎重に手繰り寄せると、それは古びた革表紙の小さな手帳でした。海水の侵食を免れるような特殊な魔術的処理が施されているのか、その表紙には古風で優雅な書体で「コーラル」という名前が、まるで昨日刻まれたばかりのように、はっきりとその形を保っていました。


『それが鍵よ。大切な手がかりだわ、誰にも見つからないよう、今すぐここから持って行かないと。』


いつものように響く心の声が、これまでにないほど切迫した、熱を帯びた調子で彼女に告げました。セレーネはその手帳を、宝物を守るかのように胸元へ深く隠し、心臓の鼓動が激しく高鳴るのを感じながら、誰の視線にも触れぬよう図書館の濃い影に紛れて泳ぎ出しました。

この手帳の中に記された禁断の知識こそが、愛する王子の待つ輝かしい地上へと続く、唯一の希望の道であると信じて疑うことなく、彼女は暗い水の迷宮を抜け出していくのでした。

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