030 肉食系
「……もう庭師見習いは、しなくて良いだろ」
温室で水やりをしていると、おそらくは鍛錬後で白い練習着のままのヴィルフリートがやって来て揶揄うように言った。
「こうしていると、心が落ち着くんです。普通の貴族令嬢って、意外と大変なんですよ」
私はルブラン公爵家へと戻り、いろいろあって二週間。現在は問題なく、貴族令嬢としての日々を過ごしている。
これまでは、フレデリックとフロレンティーナの二人から嫌がらせを耐えることに、全精力を注いで来た。
あの二人から解放されたら万事上手くいく……なんてことはなく、貴族令嬢としての社交は人間関係が入り組んでいて難しく、これまでには出来てなかったことを全力で過ごす日々。
楽しいと言えば楽しいけれど、やっぱり傷つくこともあったりで、悪者がいなくなっても、お伽噺のお決まり文句のように、幸せに暮らしました……なんてことには、ならなかった。
……もし、どこかに逃げても、同じように何か大変なことが待っている。だから、私はきっと正しい判断が出来たんだと思う。
「普通の貴族令嬢は、嫌なのか?」
「嫌ではないですけど……」
私はなんだか、その時、やけにヴィルフリートとの距離が近いと思った。
これまでの彼は、私と紳士的な距離を保っていたから、余計にそう思えたのかもしれない。
「あの……近くないです?」
危険を感じた私は如雨露を薬草の棚に置いて、彼が迫る距離を保とうと二歩下がった。
「嫌か?」
それを追い掛けるようにヴィルフリートは二歩進み出たので、私の背中は温室の壁際まで追い詰められ居た。
嫌か嫌ではないかと問われれば……嫌ではない。だって、ヴィルフリートは私を助けてくれた人……大事な人だし、素敵な男性ではある。
嫌では、ない……けど。
「……あの、ヴィルフリート、その」
壁際に追い詰められて逃げようとしたら、壁に手を付いて囲まれた……逃げられなくなった。
空気中に漂う甘い雰囲気に、息がしづらい。もしかして、これって、もしかして。
「なんだ。気がついてないのか。おいおい。ブライス。俺がいくら親切な男でも、好きな女以外に、ここまでするわけがないだろう」
すっ……好きな、好きな女? わわわ、私のことで合ってます? そ、そんなこと、今まで何も。
「え。あの……」
今までヴィルフリートにはそんな素振りがまったく見えなかったので、驚くし戸惑うしかない。
「落ち込んでいる女の子に迫る趣味はない。弱みに付け込まずに正々堂々落とせたら……それは、俺の実力だろう?」
「助けてくれた理由って、もしかして、それなんですか?」
え。ヴィルフリート……私のこと、好きだったんだ。わからなかった。
だって、彼はずっと、私のことを尊重して優しくはしてくれていたけれど、色気のあるような目で見たりはしなかった。
あ……だから、私がフロレンティーナから解放されて、こうして元気になったから……? だから、いま迫って来ているってこと……?
「そうそう。どう? ブライスの方は」
「わわわわ……私は!」
私は……ヴィルフリートに好かれるなんて、思ってもみなかった。
だって、彼は完璧にも思える容姿を持っていて、公爵家の嫡男で、素敵な竜騎士で……そんな人が私のことを好きになるなんて、思わないよ……。
「いつからですか……?」
「さあな。いつからだと思う?」
疑問に疑問を返すのは、反則行為だと思います!
「私……その、あのいきなりすぎて……」
「まあ、俺はブライスに今はその気はなくでも良いんだ。俺は待てる男だ。言っただろう? いくらでも、勝機を待てるって」
そうだった。フロレンティーナのことだって、時間をかけて下準備してから、仕掛けていたものね。
だからこその、完全勝利で終わったわけだっただけど。
「その……ヴィルフリート。質問があるんだけど」
「なんなりと」
色気ある流し目に私の心臓は大きく跳ねたけれど、私は大きく息をついて落ち着くことにした。
待って。どれだけ美男でも、肌一枚脱げば、人は皆同じなのよ! 近距離だからって、緊張し過ぎないの。
「……もし、好きな人に好きな人が居たらどうするの?」
ヴィルフリートは私の質問に対し、そんなことを聞かれると思っていなく驚いたようで目を見開き、そして、ゆっくりと微笑んだ。
「それは、潔く諦める。邪魔をして、嫌われたくはない」
「そうなんだ……」
私は恋愛についてこんなにも積極的な彼が、作中あっさりと諦めたことに、なんだか納得した。
だから、作中のヴィルフリートは、本命フレデリックの居るフロレンティーナにはそれほどの熱意なく諦めたんだ。
「……おいおい。なんだよ。この前まで恋愛なんてと言っていた草食系が、もう既に恋でもしているのか?」
「恋なんて……」
私がすでに誰かに恋をしているなんて、何を誤解しているんだかと呆れた私は、そこで言葉を止めた。
……恋なんて懲り懲り、そう思ってた。
それはもちろん、あの元婚約者フレデリックのせいだけど、今はもう彼も無関係だ……フロレンティーナも、私にはもう近寄れない。
そうよ。あんな人のために、これからの人生無駄にするなんて、絶対嫌。だから、そうよ。別にそういうつもりではなくて。
……これは、私の一般的な恋愛論として。
「良い人がいたら、ですけど」
良い人が居たら……恋愛をしても、良いかも知れない。
この人ならって、そう信じられる人が居たら。
それなら。
「……目の前に居るだろ?」
近い距離から、ゆっくりと迫り来る、真っ直ぐな青い瞳。
綺麗だと見蕩れている間に、色々と問題は起こりそうだった。
……とりあえず、これは押し返すつもりだけど、二度目にもし同じように迫られたら?
それは……私にも自分がどうするのか、わからない。
Fin
お読みいただき、ありがとうございました。
もし、良かったら最後に評価をよろしくお願いします。
また別の作品でも、お会い出来たら嬉しいです。
待鳥園子




