無志望動機
久しぶりに書いたらこんなのができました。
1
本当に申し訳ありません。
俺は沈んだ気持ちで言った。電話の向こうの相手は、気にしないでください、と気遣いの言葉をかけてきて、それが倉上を不快にさせた。あなたが内定を辞退したところで特に問題はありませんよ、と言われているような気がしたからだ。
話が終わると、力なく携帯電話をベッドの毛布に放った。
他人より早く、をモットーに力を注いできた就職活動が、大学四年の五月にして振り出しに戻ってしまった。
首都圏の第一希望の企業への内定が決まって一週間ちょっと経った時だった。田舎の親父から電話が掛かってきたのだ。 「 お前、卒業したらこっちに戻ってきてくれん? 」
俺が大学入学で地元を離れてから、親父は一人で祖父母二人の面倒を見ていたが、それもきつくなってきた、ということらしい。きつくなってきた、というのは金銭的に、ではなく、体力的に、精神的に、ということなのだろう。ちなみに、俺の母親は俺との入れ替わりとでも言えそうなタイミングでこの世から去っている。
「 爺さん婆さんのことはよくわかってるだろ? お前一人いるだけでもだいぶ違うんだよ 」
そう言われると断ることはできなかった。祖父は痴呆症で、祖母は足が悪い。おまけに二人とも頑固で、施設へも行きたがらなかった。二人の面倒を見るのが楽ではないことは目に見えてわかる。仕事をしながらとなればなおさらだ。
そんなこんなで俺は第一希望を諦め、地元就職へと方向転換せざるを得なくなったのだが、親父はさらに注文をつけてきた。
「 できれば役所関係の公務員がいいんだがな 」
地元の民間に入っても他の場所に転勤になったら意味がないだろ、と親父は言った。 「 その点公務員の転勤なんて、たかが知れてるからな 」 どうやら親父は、よっぽど俺を地元に縛り付けたいらしい。似たようなことを皮肉交じりに言うと、 「 こっちも大変なんだよ。仕事もあるし、家事に炊事に年寄りの世話だってある。俺だって歳だからよ、勘弁してくれ 」 とやや開き直った言い方をされた。今年で親父は五十五になる。
机にある履歴書に目をやった。見るたびに億劫になる。地元の市役所職員募集のものだった。行政職のみの募集で、それが俺のやる気を削いだ。大学で工学系の勉強をしてきた俺にとって、行政職は未知の分野だったからだ。政治学や民法、刑法など大学では習わなかったことを独学で学ばなければならない。だがそれはなんとかなる。俺は勉強自体はできるほうで、やる気さえ起こせば目処はつくだろう。
問題は履歴書だ。志望動機の欄だけ空白になっている。好きでもない職場に志望動機を書くということがどれほど難しく、どれほどもどかしいかを、今ペン回しをしながら感じている。
2
「 そんなのは、心にもないことを書けばいいんだよ 」
対面でパソコンを解体している林が言った。鼻歌を歌いながらドライバーを回している。
「 それはそうだけどな 」
「 とにかく、この町のために貢献したい、ってことを書いとけばなんとかなるだろ 」
「 それは最低限書くっての。それだけじゃどうなんだ、って思ったから言ってるんだ 」
大学の研究室内で俺は同期の林に相談を持ちかけていた。既に内定が決まっている。その企業がこの大学在学者とは不釣合いなほどに立派なところで、周りでは『 彼の適当さが面接官に受けた 』ともっぱらの評判だった。
「 お前はなんて書いたんだよ、志望動機 」 何気なく訊いてみる。参考にするつもりはないが、興味はあった。
「 んなもん、簡単だ。オタクの会社はここがこう凄くて、自分もそういうプロジェクトに参加できるように頑張りたい、とか、オタクの会社に入ったらこういうことしたい、とかよ 」
「 それであそこに受かったのか 」 俺は林が内定を貰った優良企業の名前を出した。
「 意外か? 」 林が笑う。
「 常識外れなことを書いて、それがたまたま面接官に受けたんじゃなかったのか 」 俺は思っていたことをそのまんま口にした。
「 残念ながら違う、と思う。面接官に話を訊いたわけじゃないからな 」
「 そうか 」 そりゃそうか、と俺は内心納得した。
「 なんかないのかよ、役所や町の特徴とか、抱えてる問題とか、これからやろうとしてる取り組みとかよ 」 林が訊いてきた。
「 どうだろうな 」 俺はインターネットで町のホームページを開き、林に見せる。
ドライバーを机に置き、じっと目を通していた林は三十秒もしないうちに画面から目を離した。 「 こりゃ難しいな 」
「 だろ 」
町の特色の欄には人口何人、面積何平方メートルなどの数字のデータしか載っておらず、特産、産業の欄は工事中となっていた。そもそもこのホームページの最後の更新日が二年前の日付になっていた。
「 まあ、あれだ 」 林が咳払いをする。 「 書面にあれこれ書くよりも、実際に面接で情熱を見せたほうがいいと思うぜ 」
「 その情熱を見せる題材を俺は探してるんだが 」
「 それを探すのがその役所の仕事だ 」 林が投げやりに言う。
3
夕方、大学の帰りに瀬奈のアパートに足を向けた。お互いに何もかもさらけ出した付き合いは二年が経ち、今日も例の役所の志望動機について彼女の意見を訊いてみようと思ったのだ。
「 あんまり大層なことは書かないほうがいいんじゃない? 」 事情を話すと、彼女が思慮深い表情で言った。
「 というのは? 」
「 履歴書には他の人も書きそうなありきたりな事を書いて、いざ面接でビシッと決めるのよ 」 彼女は大袈裟に擬音の部分を強調した。
「 ビシッと、なあ 」
「 履歴書に書いてある以上のことを面接で話したほうがいいわよ 」
「 そもそも志望動機が思いつかないと言ったらどうする? 」
「 なんにも? 」
「 一つだけあるか。『 給与の安定 』 」 これが動機として書けたらなあ、と思う。
「 あるじゃん 」
「 でもこれを書く勇気はない 」
書けばいいのに、と瀬奈がもったいなさそうに言った。
「 多分そういうことを書いて許される奴と許されない奴がいるんだよ 」 言いながら、おそらく林は許される側の人間だろうなあ、と思った。
「 どうしても思いつかなかったら、それ書けば? 」
「 あくまで最後の手段だ 」
「 ま、さっきも言ったけど履歴書以上の事を面接で話すっていうのは結構いいらしいわよ。つまりは自分の全てを書面に書いたら駄目ってこと。だから、履歴書には適当なことを、ね? 」
書類選考で落とされるんじゃないか、と俺が反論すると、彼女は 「 『 適当 』 っていうのは、でたらめに、っていうことじゃないわよ。ほどほどに節度を持って、ってことだから 」 などと言った。
「 ほどほどで節度を持った志望動機ってなんだろうな 」
「 市民なんだから、何か思いつかないの? 」
「 そうだなあ 」 ぼんやりと考えた後、 「 『 よりよい町にしたく志望しました 』 としか思いつかない 」
「 ありきたり 」
「 『 私みたいな人が増えないように 』 って付け加えたらどうだろう? 」
「 どうだろうね、書いてみれば 」 彼女が笑顔で言った。
4
アパートの自分の部屋に帰ると、それを待っていたように携帯が鳴った。親父の番号が画面に横並びになっていた。
「 おうお前、役所の履歴書はもう出したか? 」 親父の最初の言葉がこれだった。面倒な話になるのは間違いない。
「 もうちょっと、だな 」 曖昧に答えた。残りは志望動機だけだから、的外れなことではないはずだ。ただ、 「 もうちょっと 」 という気がしない。
「 早く書いて出せよ。出し忘れたなんて話にならないからな。あと一週間だったな。確かその二週間後に試験だったか 」
「 わかってるっての。志望の意思がないところに志望動機を書くのも結構知恵が必要なんだよ 」 親父の言葉にイラッとした俺は思わずそんなことを口走った。気づいた時には遅く、親父はその言葉に食いついた。 「 なんだお前、そんなこと悩んでんのか 」
「 そんなことって言うなよ。重要だろ 」
「 町をよくしたい、ってことを丁寧に書けばいいんだよ、そんなの 」 親父の言い方は発破をかけているのか、それとも単純に苛立っているのかわからない。
「 ああそうかい 」
「 それとな、履歴書に書く志望動機と面接で話す志望動機は別のものにしろ。じゃないと 『 なんだコイツ 』 って思われるからな。『 ああ、大したことねえな 』ってよ。できない奴だとわかったらその時点で終わりだからな 」
「 はいはい 」 やる気のない返事は親父の気に触れたらしい。なんだ、その小馬鹿にしたような返事は、と怒鳴ってきた。
「 なんでもねえっての! 」 俺も負けじと大声を出した。すると、「 なに怒ってんだ、お前 」 と急に親父の声が穏やかになった。
「 なんでもねえって 」
親父の柔らかな声が続く。 「 いいか、社会に出るとよ、上の人間から無理難題言われることもあるんだよ。そういう時に苛立ったり怒ったりしたら、お前即刻クビだぞ。クビにはならなくともクビ候補のリストには載るだろうな。だからお前はもっと我慢を覚えろ。いや、俺も気が長いほうじゃねえから偉いことは言えねえけどよ。実を言うと、俺も上司に逆らったことはあるんだよ。まだ入りたてだったか、そん時は死んだ母さんが励ましてくれてよ…… 」
こうして説教と身の上話がごちゃ混ぜになった親父の体験談が続く。本人はなにかの糧になると思って話しているのだろうが、俺にとってはストレスの糧にしかならない。こうしている間にも試験日は近づいてくる。
5
面接官は手元の履歴書を見て、それから席に座った一人の男を観察した。証明写真となんら変わりない恰好で、その男は座っている。
目の前に座るこの男の志望動機は他の連中の反感を買った。馬鹿にしている、ふざけたことを、論外、苦し紛れ、などと厳しい意見が飛んだが、なんとかそれを宥めた。こんなことを書くからにはなにか自信があるのだろう、と言うと、他の連中は自棄ぎみに承諾した。それなら徹底的に苛めてやる、と意気込んでいる奴もいた。
なにを喋ってくれるのかなあ、と面接官はわくわくしていた。問題の志望動機欄に目を移す。
そこにはこう書かれている。
『 志望動機は、面接で直接お話したいと思いますのでよろしくお願いします 』