第7話 笑顔が怖いんだってば!!
カミーユがカーテンをシャッと開ける。
眩しい光が、遠慮ゼロで私の顔面に襲いかかってきた。
「うぅ……」
思わず布団の中に潜り込む。
頭がガンガンする。ドクンドクンって鼓動が、頭蓋骨の内側で反響してる感じ。
寝返り打つたびに世界が揺れる。誰だよ地震起こしたの。
「美鈴様、お目覚めですか?」
セシルさんの、落ち着いた声が聞こえる。
目を細めて布団の隙間から外を見ると、セシルさんがきれいな姿勢でベッドサイドに立っていた。
後ろの方には、カミーユとリリちゃんの姿もある。
「なんか……頭が、ガンガンします……」
声が自分のものじゃないみたいに掠れてる。
「本日は、午前からユリウス様と魔力訓練のご予定が入っております」
セシルさんは淡々と、しかし逃げ道を一切残さない口調で告げた。
「いったぁ……うぅ……」
「二日酔いですか?」
リリちゃんが、心配そうに覗き込んでくる。
「少し飲んだだけなのに、美鈴様はお酒に弱いんですね」
少し……?
ダンテが、何か言い訳してくれたっぽいな、これは。
「本当に、“少し”、ですか?」
セシルさんの声が、いつもより低くなる。
やめて。
その言い方、怖い。
「え、えっとぉ……」
グラス何杯までが“少し”なんだろう。
私の“少し”と、常識的な“少し”は多分一致してない。
「1杯……(いっぱい)」
反射的に口が動いた。
「1杯でそうなっちゃうんですか!?」
リリちゃんが、丸い目をさらに丸くする。
「勧められても、ちゃんとお断りしなきゃダメですよ!」
うわぁぁぁぁぁん。
ごめんよリリちゃん。
1杯って“いっぱい”の意味なんだ……!
セシルさんが、疑いの目でじっと私を見る。
その目が怖すぎて、布団の中にまた潜り込みたくなる。
「二日酔いに効く、薬湯をお持ちしました」
カミーユが、銀のトレイを持って近づいてくる。
そこに乗っているカップからは、なにやら怪しげな湯気が立ち上っていた。
渡された薬湯を見て、私は固まった。
すごく、匂いが……。
めっちゃ緑だし、なんかドロドロしてるんですけど。
「これを……飲めと?」
「はい。お飲みください」
セシルさんは微笑んでいる。
けれど、その微笑みの中に「逃がしませんよ」という静かな圧を感じる。
これを?
ギリギリ飲み物の状態を保っている“これ”を?
「その状態のまま魔力訓練に行くつもりですかー?」
カミーユが、ニヤニヤしながら言う。
「飲んだ方が良いと思いますよー?」
うるさい。
でも正しい。
この頭痛状態で魔力訓練とか普通に地獄だ。
「け、欠席するという……」
「出来ません」
セシルさんの一言が、可能性の扉を全て閉ざす。
はい。分かりました。飲みます。
逃げ道ゼロ。ここで飲まなきゃ、もっと酷い目に遭う気しかしない。
「……いただきます」
覚悟を決めて、カップを両手で持つ。
一気に、グイッと。
思考を止めて、“喉に今何か通りました?”って錯覚を起こさせる作戦だ。
グイッ!
「ヴッ!!」
無理だったぁ!!!
カップを離した瞬間、座っているのに膝から崩れ落ちそうになる。
かつて罰ゲームでセンブリ茶というものを飲んだことがある。
――だが、奴を超えてくる存在に出会うとは。
口の中に草原が広がる。
しかも、雨上がりの。
ずぶ濡れの草を、泥ごとミキサーにかけて、そのまま煮詰めました、みたいな味。
ドロドロしてるから喉ごしも最悪だ。
飲んだ後もしばらく、喉の中に草が引っかかっている気がする。
「……生きてます?」
カミーユが笑いを堪えながら聞いてくる。
「動けるようになりましたら、顔を洗って朝食に致しましょう」
セシルさんが、いつもの落ち着いた声で続ける。
「本日は、胃に優しいミルク粥に致しました」
……この人、
こうなる事が全部予測済みだったのだろうか。
二日酔い→薬湯→回復→ミルク粥。
完璧な流れ。
そういう未来予知の能力?
「ドレスはこちらでよろしいですか?」
リリちゃんがおずおずと、淡い色のドレスを掲げる。
昨日より動きやすそうな、柔らかい生地だ。
「それで良いでしょう。完璧ですよ、リリ」
「えへへ」
リリちゃんが嬉しそうに笑う。
可愛い。本当に可愛い。
騎士団の婚約者なんてやめて、私にお嫁に来てくれたらいいのに。
毎日一緒に寝て、毎日一緒にご飯食べて、おしゃべりして、髪とか結び合って――
「美鈴様……」
カミーユの冷ややかな声が飛んでくる。
「おじさんじゃないんだから、鼻の下伸ばしてないで。ほら、もう顔洗っちゃってくださいよ」
「お、おじさんって失礼な!!」
伸びてたんだ。
リリちゃんとのキラキラした未来を想像して伸びてたんだ、鼻の下。
でも、気が付いたら、頭の奥のガンガンが少し和らいでいる気がした。
薬湯……すごい……。
味は世界最悪ランクだけど、効果は最強クラスだ。
◇
そんなこんなで、何とか着替えと朝食を終え、
無事に魔力訓練へ行くことができた。
まだ少し、お酒が体に残っている感覚はあるけれど、頭痛がないだけでだいぶラクだ。
てか――
「塔登るの、大変すぎる……」
見上げた先にそびえ立つ魔術塔。
上の方が霧で隠れてるんじゃないかってくらい、果てしなく続いている。
エレベーターが欲しい。
文明開化してくれ、誰か。
「ほらほら、もう少しですよ」
カミーユが、スイスイ階段を登っていく。
足取りが軽い。ほぼ鹿。
この人、太ももの筋肉どうなってるの。
「そんなんで浄化の旅なんか行けるんですか?」
息が切れて、返事するだけで精一杯だ。
「その為に……頑張って……訓練……するんだから!!
なんで……塔なの!? そこら辺じゃ……ダメなの!?」
平地でいいじゃん!
中庭とか! 広場とか!
「魔力が周りに干渉しないようにしないといけないらしいですよ」
カミーユは、まだ余裕そうに答える。
「お城の敷地内に作るとなると、塔が一番良いそうです」
なるほどね。
平地だと、だだっ広い空間が必要になっちゃうのか。
それだと敷地外になっちゃいそうだし、危ないもんね。
私はふうふう息を吐きながら、ようやく目の前の扉に辿り着いた。
コンコン。
「聖女様をお連れしました」
カミーユの声が響く。
「入って良いですよ」
中から、穏やかな男性の声が聞こえた。
扉を開けて中に入ると、そこにはユリウスさんがいた。
長い髪を後ろで束ね、いつものローブ姿。
机の上には本が積み重ねられていて、窓辺には魔法陣らしき紙も見える。
「失礼します。お迎えはガウェイン様がいらっしゃいます。よろしくお願いします」
カミーユが丁寧に頭を下げる。
「分かりました。ありがとう」
ユリウスさんは、相変わらず優しい、柔らかい笑顔だ。
低めの声も落ち着いていて、聞いているだけで心がほぐれる。
「それでは、そちらにお掛けください」
ユリウスさんが椅子を示す。
「まずは、実際に使う前に、魔力の仕組みについてお勉強いたしましょう」
あ、授業だ。
講義パートだ。
ユリウスさんの低くて優しい声が、静かな部屋に響く。
それはそれは心地よくて――
めちゃくちゃ眠くなる。
二日酔いの影響なのか、
さっきの階段地獄のせいか、
眠気が、容赦なく襲ってくる。
絶対に倒さなければならない、負けてなるもんか。
椅子の上で微妙に体を動かしてみる。
足を組み替えたり、指先をつねったり。
でも、まぶたは重くなるばかりだ。
眠気と、死闘を繰り広げていると――
ふいに、頬にひんやりしたものが触れた。
「えっ……」
ユリウスさんが、そっと私の頬に手を添えていた。
見つめ合う二人。
なになになになに。
え、いきなりの顎クイとかそういう流れです?
どんどん顔が熱くなるのを感じる。
私は固まって、目をそらせない。
ひゃーーーどうしたら良いのーーー
心臓がバクバク鳴ってる。
さっきまでの眠気が、一瞬で吹き飛んだ。
「アルコールの成分がお身体から出ています」
ユリウスさんが、淡々と言った。
「お酒を飲まれたんですか?」
「んんっ?」
どういう事?
なんで分かるの??
今、なんて言いました?
「私は光魔法ではありませんが」
ユリウスさんが、手を離しながら説明を続ける。
「光魔法自体、非常に貴重ですので、代わりに、違う方法で軽い治療や診断ならできるのです。魔力の流れとか、体内の異物とか、
お酒を飲まれたんですか?」
怖っ!!
これは誤魔化せない!?どうしよう!?
「あの……少し?」
「少し……では、ないですよね」
やっぱりバレてる!?
考えろ、考えるんだ私。
「セシルやオーウェンは、それを許したんですか?」
言えない。絶対に言えません。
内緒で記憶を飛ばすほど飲んだなんて、口が裂けても言えません。
それに酒飲み仲間を売るわけにはいかない。
ここでガウェインとダンテの名前を出すなんて、そんな裏切りは出来ない。
ユリウスさんが、まっすぐ私を見つめてくる。
ひぃ。
やめて。
その目、嘘を見逃してくれなさそうな目。
「……一人で」
口が勝手に動く。
「こっそり飲みました。セシルさんは、その……私が酔って帰ってきたので……」
これで誤魔化せるか?
お願いだから見逃してくれ!
私一人が怒られるのはいい!
だが他の人を巻き込んではダメだ!
絶対に!!!
――数分後。
◇
オーウェンの執務室。
私は今、ユリウスさんに連れられて(連行とも言う)、ここにいる。
「ほーぅ」
一通り話を聞き終えたオーウェンは、いつもの完璧な執事スマイルのままだった。
笑顔なのに、ものすごく怖い。
「それで? どうやってお酒を手に入れたんです?」
しまったあぁ!!
私の言い訳が不完全だった!
そうだよね。
考えてみれば分かる。
聖女がこっそりお酒を飲める環境なんて、そう簡単にあるわけがない。
ワインだって、保管場所は限られてるし、鍵だってかかってるだろうし、
「一人で飲みました」は、よく考えるとかなり苦しい。
どうしよう。
何を言っても、誰かに迷惑がかかりそう。
「…………ぐぬぬっ」
変な声しか出ない。
「アレクシス様ですか?」
オーウェンが、指を一本ずつ折りながら淡々と言う。
「セシル? 厨房係の誰かかなぁ……」
一人ひとり、候補を挙げていく。
「ガウェイン」
最後に、じっと私を見つめて名前を出した。
「ガウェインを呼んでこい」
終わったぁぁぁぁぁぁぁ!!!
そんなバカな!?
ユリウスさんは、横でやれやれという表情をしている。
ほどなくして、執務室にガウェインが現れた。
そして何故か、その後ろからダンテもやってきた。
「なるほど。ダンも共犯ってわけですね」
オーウェンが、にこりと笑う。
前髪の影で目が光って見えるのは気のせいだろうか。
「聖女様にお酒を渡したんですか?」
「数杯だ」
ガウェインが、悪びれもせずに答える。
「数杯ねぇ」
ユリウスさんが、横で小さく首を傾げる。
「数杯……の量ではありませんでしたねぇ」
ユリウスさんが優しい声で追い打ちかける。
「一人で飲ませるわけはありませんよね」
オーウェンの声に、ほんの少しだけ冷たさが混じる。
「飲んでいるのを黙って見ていたんですか?」
「まぁまぁ。なにもなかったんだから」
ダンテが、いつもの調子で笑って肩をすくめる。
「無断外出したり、変な連中に絡まれたりしたわけでもないしよ。塔から飛び降りようとしたわけでもなし!」
オーウェンの笑顔が、ほんの少しだけ深くなる。
「何かあったらどうするつもりだったんです?」
笑顔で詰めていくオーウェン。怖すぎる。
空気がキンキンに冷える。
部屋の温度が三度くらい下がった気がする。
ダメだ、このままだと二人が完全に悪者になっちゃう……!
「自分で飲んだんです!」
気がついたら、私は机の前に一歩踏み出していた。
「無理やり飲まされたわけじゃありません!!」
一気に言葉が溢れ出す。
「私が欲しいってお願いしたんです!!
お願いっていうか……め、命令したんで、二人は悪くありません!!」
オーウェンが、じっと私を見る。
「…………」
沈黙。
こ、怖い。何か言ってください。
最終的に――
三人で、こってり怒られました。
私も、ガウェインも、ダンテも。
それぞれ別方向から、しっかりと。
「はぁ……」
説教が一段落したところで、オーウェンがため息をついた。
「明後日には、国王様との謁見があるのに」
国王様。
この国のトップ。
ザ・偉い人。
ごめんねオーウェンさん。胃薬ちゃんと飲んで下さいね。
「ユリウス、治療できますか?」
「もちろん」
ユリウスさんは、軽く頷く。
「二日酔いの治療なんてやったことありませんが、この程度なら大丈夫でしょう」
この人の「この程度なら」がどこまでを指すのかは、あまり突っ込まないようにした。
◇
帰り道。
夕方になりかけた城の廊下を、私たち三人は歩いていた。
左右に高い窓が並んでいて、オレンジ色の光が差し込んでいる。
「ユリウスと魔力訓練、と聞いた時に」
ガウェインが、ポツリと言う。
「こうなる事は分かっていた」
「先に言ってよ!!」
思わず叫ぶ。
「お前があそこまで飲むとは思わなかった」
ぐうの音も出ない正論で返された。
「次はもう少し作戦を練らないとなぁ」
ダンテが、全く反省していない顔で笑う。
「酒の種類を変えるとか、場所を変えるとか――」
「甘いな。やるならもっと徹底的にやるべきだ。」
ガウェインが真顔で言う。
「こりてないじゃないですか……!」
私のツッコミが、廊下に虚しく響いた。
この後、
事情を聞いたセシルさんにも怒られるとは、
この時の私たちは、思ってもいなかった…。




