第3話 私で遊ぶなってば!!
「おはようございます。聖女様」
年上の女性の、落ち着いた声が耳に入ってきた。
……あれれー? おかしいぞー?
目が覚めたら、いつもの日常が待っているはずだった。
枕の横にはスマホ、アラーム止めて、二度寝と戦いながら、五分で身支度をするはずだった。
なのに。
見慣れないベッドに見慣れない天井。
豪華なシャンデリア(たぶん本物)。
「もうすぐ執事のオーウェン様がお迎えにいらっしゃいます。アレクシス様と朝食の予定ですので、その前にお支度をしてしまいましょう」
さっきの声の主――年上の女性が、落ち着いた動きで私のベッドサイドから離れていく。
長い栗色の髪をまとめた、大人っぽい美人さん。淡い色のエプロンドレス。
この人は……そうだ、確かセシルさんだっけ。
あっちでカーテンをシャッと開けているのが、ショートカットでキリッとした目元のカミーユさんで――
今、ドレスを抱えてちょこちょこ歩いてきた、小柄でふわふわした雰囲気の子が、リリちゃん。
頭がようやく起きてきて、昨日の出来事が鮮明に蘇る。
残業帰りの道。
眩しい光。
おじいちゃん神官。
宝玉。
聖女判定。
イケメン五人。
……うん。
おっといけない。
現実逃避に走りかけて、半口開きのアホ面になっていたらしい。
気づいたら、セシルさんが心配そうにこちらを見ていた。
「……あのっ! お、おはようございます!」
慌てて起き上がって頭を下げる。
布団からガバッと出た分、寝癖がふわっと広がった気がする。やめろ、私の髪。こういう時だけ元気出すな。
セシルさんは、ふわりと優しく笑った。
大人の余裕、って感じの微笑み。やっぱり美人だ。
「聖女様は、昨日『ドレスはあまり着慣れていない』と仰っていましたので、本日は動きやすいものをご用意いたしました」
「……そんな事、言いましたっけ?」
全然覚えてない。
昨日の私は、イケメンと光と婚約と情報量にやられて、半分くらい記憶が飛んでいる。
たぶん何かしゃべったんだろう。口は勝手に動くから。
「言ってましたよ。『転んだら死ぬ』とかなんとか」
カーテンを開け終わったカミーユが、クスクス笑いながらこっちを見る。
短めの髪を耳にかけて、ちゃきちゃき動くその様子は、いかにも“頼れる同僚”って感じだ。
「あー……言いそう……」
自分で自分に納得してしまった。
ヒール高い靴とか、裾長いドレスとか、私絶対やらかすもん。
ステージ用の衣装とか、結婚式の二次会くらいでしか着たことないし。
「顔を洗うお湯をご用意しました」
カミーユが、テキパキと洗面用のボウルとタオルをセットしてくれる。
「あ、ありがとう、ございます」
思わず敬語が出る。
いや、ここは敬語で合ってる。メイドさん達、完全にプロだ。
自分、お姫様みたい!!
すんげぇ!!
メイドさん達が全部用意してくれるよ!?
なんて天国なの!?
「…………」
私は思いっきり、自分の手の甲をつねってみた。
「っっっいったぁぁぁぁ!!?」
痛い。
痛すぎる。
力入れすぎた。普通にアホ。ボケナス。
いや、待って。私はドMじゃねぇんだよ。自傷行為で目を覚ますタイプじゃないんだよ。
赤くなった部分を見つめながら思った。
これは……きっと。
現実、なんだろうなぁ。
セシルさんが、何も言わずに近づいてきて、つねった場所をそっと撫でてくれた。
「大丈夫ですよ、聖女様。少しずつ、慣れていきましょう」
あ、なんか……この人、ほんとにお姉さんみたいだ。
ちょっと泣きそう。
お姉ちゃんと…呼んで良いですか??
身支度が始まる。
カミーユが、私の寝巻きを手際よく脱がせて、用意された服を着せていく。
今日の服は、ドレスというより“ワンピース+軽い上着”みたいな感じで、動きやすそうだ。
裾もそんなに長くないし、歩いても転ばなそう。ありがたい。
「聖女様、腕をこちらに」
リリちゃんが、小さな手で私の袖を整えながら、きらきらした目で見上げてくる。
近くで見ると、ほんとに可愛い。まつげ長い。肌つやつや。
この子、たぶんお菓子で動くタイプだ。三時のおやつで簡単に買収できそう。
「リリが、ヘアとお化粧を担当致しますっ!」
元気よく胸を張って宣言するリリちゃん。
そんなに張るほど胸はないけど(失礼)、その自信は頼もしい。
「聖女様のお顔はとても整っていらっしゃいますから、“盛る”というより、“元を活かす”方向で……」
椅子に座らされ、鏡の前に落ち着くと、リリちゃんが忙しそうに動き出した。
髪をといて、軽く巻いて、横でセシルさんがアクセサリーを選び、カミーユが服のシワを伸ばす。
「す、すごい連携プレー……」
ほんの少しの時間で、髪の毛はふわっとボリュームが出て、顔色も血色よく整えられていく。
ナチュラルメイクなのに、「すっぴんです」とは絶対言えないレベルで完成度が高い。
詐欺ではない。強みを最大限に引き出した、正しい技術だ。多分。
「できました!」
リリちゃんが満面の笑みで一歩下がる。
鏡の中を覗いた私は、思わず固まった。
「……リリちゃんって、天才なのかな?」
ナチュラルメイクなのに、すんごく。
すんごい。
「とってもお似合いですよ、聖女様」
セシルさんが、さりげなく褒めてくれる。
身支度を終えた頃、扉をノックする音がした。
コン、コン。
「聖女様、お迎えに上がりました」
執事のオーウェンの声だ。
落ち着いた、よく通る声。
セシルさんがドアの方へ行き、軽く会釈する。
「ここからはオーウェン様が付き添ってくださいます。私共はお部屋でお待ちしておりますので、どうぞ行ってらっしゃいませ」
ええー。
心細いよーぅ。
なんでだよ。
なんで朝からイケメンの中に放り込まれなきゃいけないのさーぁ。
見てるだけで満足なんだよ私は! 安全な距離から拝むのが一番楽しいのに!
「ふふっ。聖女様ったら。そんなに不安そうな顔をしないでください」
カミーユがいたずらっぽく笑う。
その顔、ちょっと男子っぽくて、なんか安心する。
「行ってらっしゃいませ!」
リリちゃんが、元気よくスカートの裾をつまんでお辞儀してくれる。
うう、可愛い。連れて歩きたい。ポケットに入れて持ち運びたい。
深呼吸を一つしてから、私は扉へ向かった。
扉が開くと、そこには完璧な姿勢で立つオーウェンがいた。
昨日と同じ、きっちりとした執事服。
無駄のない所作。背筋がまっすぐ。
王子様からは「ウェン」って呼ばれていたっけ。
「おはようございます」
「おはようございます。……とてもお似合いですね。では、参りましょう」
出た、執事スマイル。
口元は穏やかに笑っているのに、瞳の奥が全然笑っていない。
冷静に観察している。
“仕事モード”って感じが、ビリビリ伝わってきて、逆に刺さる。
……やっぱり推せる。この人。
案内されて歩いていくと、王族専用っぽい食堂に辿り着く。
どこもかしこも無駄に豪華だ。
壁には絵画、天井にはまたシャンデリア、テーブルクロスは真っ白。
椅子の脚一本で、私の月給が消し飛びそう。
そんな部屋の中央近く、長いテーブルの一端に、アレクが座って待っていた。
私を見つけるなり、椅子をガタッと引いて立ち上がり、足早に近づいてくる。
「おはよ。美鈴♡ 昨日はよく眠れたかな?」
うわ、朝からテンション高い。
そして距離が近い。
そんなに近づかれると、私のHPバーが削れるんですが。
と思った次の瞬間。
手の甲に、柔らかい感触。
「っっっ!?」
……え?
今の、もしかして、手の甲に、キス?
「…………」
脳が一瞬フリーズした。
挨拶だよ、うん。
ただの挨拶。分かってる。
知識としては知ってる。
ヨーロッパ的なやつ。貴族の greeting 的なやつ。
でも、急にするなよ!!
「お、お、おはよう、ございますっ」
動揺がバレバレすぎるくらい噛んだ。
語尾が転がった。
アレクは明らかに笑いを堪えている。
口元がぴくぴくしてる。絶対に面白がってる、この人。
オーウェンが控えめに咳払いをして、一歩前に出た。
「こちらのお席におかけください。朝食にしましょう。聖女様のお好みが分からなかったので、いくつかご用意いたしました」
テーブルを見て、私は息を呑んだ。
うわぁぁぁ……
朝からこんなに豪華で良いんですか!?
パンだけで何種類あるの。クロワッサンに、丸いのに、長いの。
スープも二種類あるし、サラダには見たことない葉っぱが混ざってるし、ハムとチーズの盛り合わせ、フルーツ、よく分からないソースのかかった何か。
「どれもこれも、めちゃくちゃ美味しそう……」
あっ。
声に出てた。
アレクが、わざとらしく少しだけ顔を伏せて、それからちらっとこちらを見る。
「……私は、美鈴のほうが、美味しそうだと思うけどね」
「手を握ろうとすなっ!?」
さりげなく、いや全然さりげなくないタイミングで、テーブルの下から私の手を狙ってくる。
危ないところで、私は椅子をずらして神回避。
間一髪で回避成功。ノーダメージ。危なかった。
オーウェンさんが、チラッとこちらを見た……気がした。
ただ、その後は頑なにこちらを見ない。
見てない。絶対に見ない。仕事に集中しているフリをしている。
おそらく私は今、驚きで目をかっぴらいている。
うん、多分だけど。
でも、私の顔のパーツって、ご主人様(脳)の言うことを聞いてくれないんだよね。
目を細めようとすると逆に変な顔になったりするし。
なのでここは一択。
「普通ですけど?」みたいな顔をしながら、堂々と目をかっぴらく。
オーウェンが、静かに咳払いをした。
「ごほん。アレクシス様。聖女様がお困りです」
「ふっふっふっ」
笑いこらえきれてませんよ、王子様。
遊ぶんじゃないよ、私で。
「……アレクシス様は、急に触るの禁止です!」
勇気を振り絞って、はっきりと言ってみた。
その瞬間だけ、食堂の空気がピタッと止まる。
「アレクって呼んでほしいって言ったのになー。まぁいいや。これから少しずつ……ね?♡」
ヤバァァァ!
“これから少しずつ”って、怖い。
何をどうするつもりなのか、具体的に説明してほしい。
でも説明されたらされたで、
たぶんもっと恥ずかしくて死ぬぅぅうぅううぅ。
◆
とっても豪華で美味しそうだったのに――
その後、アレクシス様が急に真面目な顔になって、
この国の現状や、瘴気のこと、“聖女としてこの国を救ってほしい”ってお願いしてきて。
もちろんOKはした。
皆が苦しんでいるなら、できることはしたい。
イケメン五人に囲まれてるから、頑張るモチベーションも十分だ(正直)。
……ただ。
真面目な話と誘惑を交互にしてくるせいで、全然味がしなかった。
パンもスープも絶対美味しかったはずなんだけど、脳が忙しすぎて記憶に残ってない。
もったいない。私の朝ごはん。
アレクシス様は満足したのか、食べ終えるとすぐにどこかへ行ってしまった。
多分、仕事? 王子業? よく分からないけど、国のための何かだろう。
「はぁ……」
思わず、テーブルに突っ伏しそうになるため息が漏れた。
「お口に合いませんでしたか?」
すかさず、オーウェンが声をかけてくる。
さすが仕事が早い。察しもいい。
「いや! そんな事ないです! 本当に! 少し緊張してしまって!」
慌てて手をぶんぶん振る。
食事のせいじゃない。完全に、王子様の攻撃のせいだ。
「そうでしたか。アレクシス様は少し……色んな意味で積極的ですが、良き国王になると思います」
“色んな意味で”が妙に重かった。
執事から見ても“色んな意味で”なのか。
そりゃそうか。毎日あの調子なんだろうか。胃、大丈夫かなこの人。
やはり一国の王子様。
民のことも国のことも、ちゃんと考えているんだと思う。
思うんだけど――
(……でも、私には無理かもぉ)
あの王子の婚約者なんて、ハードル高すぎだよ。
精神的にも、体力的にも、色んな意味で。
「今後のスケジュールです」
オーウェンが、すっと一枚の紙をテーブルに置いた。
そこには、ぎっしりと文字が並んでいる。予定表だ。
見ただけで頭がキーンとする。
「約二ヶ月後に、聖女お披露目の舞踏会があります。その後、各地の浄化に向かうことになります。こちらのスケジュールは、セシルに共有済みです」
二ヶ月後に舞踏会。
お披露目。
浄化の旅。
「二ヶ月かけて、聖女様には様々なことを学んでいただきます。本日はまだ初日ということで、まずは城内をガウェインに案内してもらいます」
「その後は、自由に過ごして良いんですか?」
恐る恐る聞いてみる。
「申し訳ないんですが、まだお披露目前ということで、あまり自由に散策ができないのです」
「分かりました……。お部屋の中だったら良いって事ですよね」
「はい。警護の都合もありますので」
やったぁぁぁぁ!!
お部屋は自由!
それはつまり、セシルさん達と一緒に準備しつつ、
お酒事情をこっそりリサーチできるってこと!!
実は、ずっと飲みたかったんだよね。
ビール。
ビールがなかったとしても、お酒はあるはず!
葡萄酒とか、なんか強そうなやつとか!!
今日こそは絶対に飲んでやる!!!!!
……などと、心の中でビールに拳を突き上げていると。
「お待たせしました。城内の案内でしたね。参りましょう」
背後から、低めの声がした。
振り向くと、扉のところにガウェインが立っていた。
腕を組んで、いつもの険しい顔。
黒髪、高身長、鋭い目。
近くで見ると、さらに迫力が増す。
オーウェンが、少しだけ苦笑しながら言う。
「ガイン、もう少し笑ってくださいね。あなたの顔は怖いんですから」
「むしろ、その方が良いだろ。少しの緊張があった方が、身の危険を守れるんだ」
わたし、この人と城内を歩き回らなきゃいけないんだ。
身の危険はないかもしれないけど――
「聖女様も護衛される身だと、自覚するべきだ。ほら、行きますよ。」
違う意味で召されそう……。
(心臓とか、寿命とか、色々なものが)




