第10話 聖女の初仕事なんだってば!!
森の中へ踏み込んでから、どれくらい歩いたのか分からない。
空気は冷たいのに、息を吸うたび喉の奥が焼けるみたいに痛い。
それに反応するかのように胸元のペンダントが、じんわり温かい。
……でも、その温かさが頼もしいっていうより、砂時計みたいに感じる。
隊列は、作戦会議どおりだった。
先行するのは、王直属の第1騎士団。
その後ろ、真ん中に――私。
アレク、ユリウス、オーウェン、そして治癒術師の人たちが固まって守ってくれている。
横と後ろは、第3騎士団が壁になってくれている。
そしてユリウスさんの直属の部下、魔術師の人達が騎士団の援護がしやすい場所に配置されている。
心臓が落ち着かない。
守られてるのに、守られてるからこそ怖い。
前から、金属がぶつかる音が響く。
刃が肉に入る、嫌な鈍い音。
誰かの怒号。
魔物の鳴き声。
……見えない。
前衛が何と戦ってるのか、私の位置からはほとんど見えない。
聞こえるのは、音だけ。
想像が勝手に最悪の映像を作って、胃の辺りがきゅうっと縮む。
「負傷者は下がれ!」
第1騎士団長レオンハルトさんの叫ぶ声が聞こえる。
しばらくすると、肩を押さえた騎士が二人、こちらへ走ってきた。
血の匂いが混ざって、瘴気の臭気と合わさって、頭がくらっとする。
治癒術師たちがすぐに駆け寄り、魔法と薬で応急処置を始める。
「痛むか!?息はできるか!」
「止血だ、ここを押さえろ!」
私は、その光景を見て固まった。
これは、現実だ……
漫画みたいに、血はオシャレに描かれない。
赤いだけじゃなくて黒っぽくて、粘って、匂いが生々しい。
傷を負った本人の顔が白くなっているのが、何より怖い。
私は、まだ治癒魔法が使えない。
皆に頼る事しか出来なくて、見てるだけしか出来なくて、
情けない。
その時、治癒術師のひとりが、私の方を見た。
「聖女様」
声が、少し震えている。
「この者の瘴気を、私たちでは清められません。お願いしても良いですか?」
「……えっ」
彼が指したのは、腕を裂かれた騎士。
傷口の周りがうっすら黒ずんでいた。
黒い筋が、血管みたいにじわじわ伸びている。
これが“瘴気に毒される”ってやつ……?
喉が鳴る。
「……任せて」
声が裏返りそうになるのを抑えた。
まだ私の魔法は不安定だ。でも――
訓練でやったみたいに、意識を手のひらへ集める。
光を“振りかける”イメージ。
黒いものを、白く洗い流すイメージ。
「……っ」
光が、傷口に触れた瞬間。
黒ずみが、じゅっと音を立てそうな勢いで薄くなった。
「おお……!」
治癒術師が息を呑む。
でも、私は内心、泣きそうだった。
今の、ちゃんと出来た……?出来たよね?
「聖女様、ありがとうございます!」
「……いえ……」
返事が、か細い。
ユリウスさんが、すっと私の隣に立ち、背中に手をそっと添える。
「聖女様、もっと自信を持って下さい。しっかり浄化出来ています。」
オーウェンが周囲を警戒しながら言う。
「それに、作戦の中心に居るあなたが不安そうな顔をしていると、周囲に居る者も不安になってしまいます。」
言い方が相変わらず怖い。
でも正しい。
今の私は、国の希望としてここにいる。
王様と、頑張るって約束したんだから、弱気になっちゃダメだ。
◆
進軍は、じりじりと進んでいた。
前衛が魔物を倒し、道を作る。
その道を私たちが通る。
横と後ろを守る第3騎士団が、時々森の陰から飛び出す魔物を叩き落とす。
瘴気が濃くなるにつれて、負傷者が増えていく。
治療を受けて、動ける者は、また前へ戻っていく。
その繰り返し。
時間が、砂みたいに指の間から落ちていく感覚。
これ……どれだけ続くの……?
「予定より進めていません。これ以上、遅くなるようでは危険です。」
オーウェンの言葉に、私は思わずペンダントを握りしめ、
視線を前方に移す。
すると
前の方から、第1騎士団の伝令が駆けて来るのが見えた。
「報告!魔物の数が予想以上!前進に時間がかかっています!」
アレクシスが即座に顔を上げた。
「……ダンテを前へ」
「了解!」
アレクシスは、短く息を吐いて判断する。
「ダンテと、数名を前衛に派遣する。押し込まれるな。突破口を作れ!」
彼の声が森に響く。
ガウェインがすぐに号令を飛ばした。
「隊列を組み直せ!隙を作るな!」
第3騎士団が一斉に動く。
――その時。
横の茂みが、爆発したみたいに揺れた。
「右側、魔物接近!来るぞ!」
ガウェインの声。
次の瞬間、黒い影が飛び出してきた。
犬型。
いや、犬に見えるだけで、犬じゃない。
毛は黒というより煤の塊みたいで、目が赤い。
口が裂けていて、牙が不自然に長い。
足の動きが速すぎて、残像が見える。
うそ、速っ……!!
まっすぐ――こちら、真ん中を狙ってくる。
私の背筋が凍る。
ガウェインが前に出た。
「瘴牙犬だ!下がれ!」
彼の剣が、空気を切る音がした。
一撃。
それだけで、犬型の魔物の首が跳ねた。
理解する前に、二体目が来る。
三体目も。
ガウェインだけじゃない。
第3騎士団の騎士たちが連携して、横から刺し、盾で弾き、落とす。
ユリウスが、手を上げた。
「風よ」
突風が走った。
森の葉が一斉に裏返り、魔物の動きが一瞬止まる。
「今です!」
その隙を、騎士たちが逃さない。
剣が入る。
魔物が地面に叩きつけられる。
ガウェインが叫ぶ。
「倒して終わりじゃない!隊列を戻せ!」
騎士たちがすぐに動く。
空いた場所に盾が入り、後ろが詰める。
「これ以上、聖女に近づけさせるな!」
ガウェインの声が、森の空気を裂く。
「ここを突破されたら、この国の未来は無いと思え!」
その言葉が、胸に刺さった。
今や瘴気は、森を飲み込みお城にまで迫ろうとしている。
お城の先には民が暮らしている。
ここで戦っている騎士の家族や大切な人が暮らしているだろう。
私がここにいる理由が、改めて重たくなる。
◆
瘴気が、さらに濃くなる。
視界が薄く灰色がかって、遠くがぼやける。
息を吸うと、胸の奥が痛い。
ペンダントが、さっきより熱くなっている気がする。
守るために、必死に働いてるみたいに。
お願い、切れないで……
私の浄化魔法で近くにいる人なら守れるかもしれない。
でも全員は無理だ。
治療に来る騎士が増え、
治癒術師たちが汗だくで動く。
私も、瘴気に侵された傷を見つけては浄化をかける。
成功する時もある。
うまくいかない時もある。
集中しないと、光が散って消える。
そのたびに、自分の無力さが心臓を締め付ける。
――そして、何故か進みが止まった。
前の方から、空気を揺らすほどの、巨大な雄叫びが響いた。
「――――ッオオオオオオオオ!!」
森全体が震えているみたいな…。
背筋が、ぞわっと粟立つ。
「前衛はどうなってる?」
もう少しで、祈りの像にたどり着くはずなのに。
アレクシスが、唇を噛んだ。
「前衛に伝令を飛ばせ」
オーウェンが即座に頷き、伝令役の騎士に指示を飛ばそうとした時。
向こうから騎士が駆けてきた。
顔が真っ青だ。
鎧に泥と血がついている。
「報告!」
息を切らしながら叫ぶ。
「巨大な、くま型のモンスターが出現!恐らく、瘴皮熊と思われます!祈りの像の近くです!
現在、第1騎士団とダンテ副団長が交戦中!」
「くま……?」
でも普通のくまじゃないのは、声だけで分かった。
金属の音。
ドシン、という振動。
また、雄叫び。
騎士たちの声が混ざる。
その中に――
「押し返せぇぇぇ!!」
ダンテの声が、確かに聞こえた気がした。
胸の奥が冷える。
あの人、底なしに元気そうに見えるけど、無敵じゃない。
当たり前だけど、無敵なんかじゃないんだ。
アレクシスが、顔を上げる。
「美鈴」
その声が、いつもより低い。
「……怖いか?」
「……怖いです」
かっこつける余裕なんてない。
でも、私は続けた。
「でも、行かなきゃ、ですよね。」
アレクシスが、わずかに笑った。
「うん。……ありがとう」
そして、声を張る。
「隊列を前進させる!瘴皮熊は第1騎士団とダンテ副団長に任せる!
第3騎士団は周囲の警戒を強化!必ず聖女を送り届ける!
治癒術師は真ん中を維持、負傷者は必ず戻せ!」
ガウェインが、剣を握り直す。
「聖女の進む道は俺達が切り開く!騎士数名は前へ!」
ユリウスが、そっと私の肩に手を置いた。
「あなたの周囲は私が守ります。」
胸元のペンダントが、熱い。
その熱が、心臓の鼓動と重なる。
ドシン。
また地面が揺れる。
私たちは、祈りの像へ向かって進み始めた。
森の奥から漂う瘴気は、もう“霧”じゃない。
黒い海みたいに、ゆっくりこちらへ押し寄せてくる。
そして、その海の向こうで――
今も命をかけて戦っている人達がいる。
密集していた木々が、まばらになってきた。
音が近付いてくる。
いや、私たちが音に向かって行ってるんだ。
緊張と恐怖で自分の手足に感覚がない。
「無事に帰ったら、好きなだけお酒を飲んで良いですよ。許可します。」
察したんだろう。緊張を解こうとしてくれているんだ。
でも、オーウェン…それ、フラグだからやめてくれ。




