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瓦解

 8000の兵を集めた芋川親正は、森長可の居る海津城から遠く離れ。かつ大倉城より更に北にある飯山城へ進出し包囲。城の防備が手薄であった事もあり、簡単に落ちるものと踏んでいたのでありましたが森長可の対応は早く。飯山城に入っていた稲葉貞通の父良通と兄重通を派遣すると共に上野国に居た織田信忠に連絡。援軍の派遣を取り付ける事に成功。城方と援軍に挟撃された芋川勢は城の攻略を諦め、大倉城に退却。一度廃城となっていた大倉城の備えに不安を覚えた芋川は、ここでの守りを諦め。堅固な長沼城を目指し、兵を動かしていたのでありましたが……。

 長沼城は既に陥落。森と芋川、島津との実戦経験の差。同盟関係にある勢力同士の境目に手を加えてはならない不文律。そして川中島で戦いが無かった20年の間でいくさの仕方。とりわけ鉄砲の扱いが変わっていた事が原因。その長沼城の手前で行き場を失っている反織田勢力を確認した森長可は追撃を指示。1000を超える兵を討ち果たした森長可は、大倉城の攻略を指示。城に留まった者のみならず。今後の統治のために城から逃げ出した者も追い掛け回した結果。2500に迫る人物を成敗したのでありました。芋川と島津は川中島に留まる事が出来ず、越後の上杉景勝を頼り落ち延びて行ったのでありました。

 森長可による徹底的な弾圧が功を奏し、残った国衆は臣従。したのでありましたが、

「どうも信用ならぬ。」

と判断した森長可は、国衆の妻子を海津城に集め。芋川と行動を共にした事が疑われる民の一部も強制的に海津城下に移住。監視体制を強化したのでありました。


「芋川を誑かせた奴は誰だ!」

森長可は首謀者の探索を指示。その結果、上杉景勝が暗躍していた事が判明。織田と上杉は景勝の養父謙信の代から既に対立。これまで北陸地方でいくさが繰り返されて来たのでありましたが、上杉謙信の死。そしてその死が突然であったため、正式な跡取りを定めていなかった事により後継者争いが勃発。その争いに景勝は武田勝頼を味方に引き入れる事により勝利を収めたのでありましたが、倒した上杉景虎は北条の出身。武田と北条の関係が悪化。これに加え越後の統一を果たす事も出来ていないため北陸に兵を出す事は出来ず加賀国に能登国。そして越中国の大部分を失陥。残すは越中国東部の要衝魚津城を残すのみ。その魚津城も織田家重臣柴田勝家率いる大軍に包囲されている状況。上杉景勝は自らの手勢を率い救援を試みるも城を前に立ち往生。つまり……。


当時、上杉の本拠地春日山は手薄な状況にあったのでありました。

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