令和オタク部への質問
令和オタク部は5人の生徒により構成された、オタクの、オタクよる、オタクのための活動を旨に結成された部活である。
アニメ、映画、アイドルなどおよそオタクと言われる活動を心から愛し、それを普及することに尽力している。そんな彼らの活動を観れる動画サイトのチャンネル登録者は10万人とそこそこの人気を博している。特に人気なのは質問コーナーで、メンバーへの単純な質問 (好きな食べ物は?など) が大半であるが、中にはちょっとした悩みなどを相談する人もいる。
「それでは、『さけるチーズ』さんからの質問ですね。『令和オタク部の皆さんこんにちわ。私は先日最近話題となっている映画を観に行きました。私はこの映画に大変感動し、最後の方では涙をボロボロ流してしまいましが、上映後レビューサイトを見てみると思いの外酷評が多くてショックを受けました。中には支離滅裂のアンチコメントもあり、大変不愉快な思いをしました。私はアンチコメントが嫌いです。なぜなら作品のためにも、作品が好きな人の為にもならないからです。酷評自体は悪いとは思いませんが、思っていても公に出すなと思ってしまいます。このようなアンチコメントを撲滅するにはどうしたら良いと思いますか?是非令和オタク部の意見をお聞かせください』
なるほど、なるほど。では、この質問は令和オタク部部長であるこの僕、小田健一が答えようではないか!
『さけるチーズ』さんは少々冷静さを欠いてしまっているようどね。アンチを撲滅というのは穏やかではないし、そもそも無理な話だからね。そこら辺のことは『さけるチーズ』さん自身も本当は解っていることかもね。まあ、そんな風に思ってしまうぐらいアンチコメントで嫌な気分になったということなんだと思う。まあ、ここでアンチは撲滅できないよと言うだけで終わるのも微妙なので、君の気が休めに少しでもなればという老婆心で3つほど話そうかな。
まずは無理なものは無理と諦めること。これはさっきも話したね。アンチを撲滅しようなんてどう考えても無理なことは諦めるに限るよ。
で、2つ目なんだけど、アンチって実は極少数であることを知ることだね。これは色んな研究でも明らかなんだけど、アンチ、特に無闇矢鱈と貶すだけの酷いアンチというのは人口1%にも満たない人がやっているだけなんだ。そんなことないと思うかもだけど、そういう人はアンチを広める為に複数のアカウントを利用することもするし、そういったアンチが出す攻撃的な情報がそもそも広まりやすいという特性もあるからね。そういった理由からたくさんいるように見えるだけで、僕らの感覚よりも実家のアンチの数は少ないものなんだ。
そして3つ目は、アンチがいないというのはその作品にとって必ずしも幸福とは限らないってこと。僕はアンチにも良いアンチと悪いアンチがいると思ってて、さっきの無闇矢鱈な批判をするのも悪いアンチとするなら、生産的な指摘をくれるアンチは良いアンチと言える。論文添削をする学者みたいなイメージかな。その作品を真っ当に批判してくれる人達だ。まあ、そういった良いアンチは本当に目に付きづらいんだけど。この良いアンチってのは、実は作品の凄さを寧ろ引き出してくれる側面がある。マルセル・デュシャンの『泉』いう作品を知っているかい?ただの便器をアート作品として提出したというかなり奇抜な作品さ。今では現代アートの中で最も重要な作品とまで言われているけど、それはそれはたくさんのアンチが付いたんだよ。特に批判したのは後に絶賛する芸術家自身さ。今とはまったく真逆の評価を彼らはしていたんだよ。こういった話をすると、なら当時の芸術家は『泉』の素晴らしさを理解できない愚か者と捉えられがちだけど、それは違うと思う。彼らは批判し、議論し、最終的には考えを改め、そして認めたのさ。この作品は素晴らしいものであると。そしてこの過程があるからこそ、『泉』のアート界における今の立ち位置があるのさ。良いアンチってのは議論を生み、話題を呼び、多くの人間を巻き込むきっかけを作る。悪いアンチが付くのは荒らされるだけどもちろんメリットはないが、アンチがいないというのは特に話題になっていないという意味では考えものだね。
まあ結論僕が言いたいのは、アンチってのも思ったより悪くないかもってことさ」