努力と熱意のクリスタルマウンテン
「本日より村上さんの担当を務めさせていただきます、小西と申します」
「村上です。よ、よろしくお願いしゃす……!」
「そう固くならずに」
そんなこと言ったって、無理すぎる。俺の漫画が佳作に入選したっていうだけで嬉しくてたまらないのに。
ようやく、ようやく夢の第一歩に足を踏み入れたって言うのに。それに心躍らない奴も、ましてや緊張しない奴なんていやしない。
村上さんは今も苦笑いしながら、僕の緊張をほぐそうと朗らかだ。
「ふふ、お気持ちは分かりますが、今から気を引き締め続けていたら持ちませんよ。リラックスなさってください」
「す、すみません、すぅ……はぁ……」
村上さんは如何にも出来る男って感じだ。
背は高くてスラっとして、スーツが映える。年は40後半くらい。ブラウンのスクエア眼鏡が渋い。
いわゆる『イケオジ』ってやつだ。世の男子がいずれこうなりたいと思う理想像だろこんなの。
じゃあ僕はって言うと、全然そんなことない。芋だ。
普段着の緑パーカー、紺のデニムパンツに履きなれたスニーカー。
どう見ても芋です本当にありがとうございました。これで打ち合わせに来て出てきたのが小西さんなんだから、恥ずかしくて普通に死ねる。
「とはいえ今日が初顔合わせですからね、無理もありませんね」
「すみません、その、人と顔突き合わせるのが苦手で……」
入選の知らせを受けて、意気揚々と出版社に来たまではよかった。
その時は謎の万能感で満たされてて、入賞した俺なら怖いものなんか何もない!って本気で思ってた。
入口まで来たら心臓バックバクになって全部消え失せて、なに話すかも全部飛んじゃったぜ。ついでに自分がコミュ強でもないことも忘れてた。
普段家に籠って漫画描いてるとコミュニケーション取らなくなるの、自分でも本当に良くないと思う。
「そうだ。村上さん、これからお時間あります?」
「え?あぁ、はい。なにか手続きとかですか?」
「いえね、僕らはこれから二人三脚で作品を作っていくわけですから。どうです?私の行きつけの喫茶店で懇親会でも」
懇親会、懇親会……。
確かにこれから漫画を描いてく上で協力してもらう人だし、出来るだけ仲良くしたい。
それに、喫茶店で漫画の打ち合わせとか、なんか……らしいじゃん?
「分かりました。行きます!」
「よかった!じゃあ早速行きましょう。車回してきますね、さぁ行きましょう!」
「急にテンション高っ」
急にウキウキし出した小西さんに面食らいながらも、俺は後を追った。
「あーあー、また始まったよ小西さんの悪癖が」
「普段はふんわりしてんだけど、あの時ばっかりは押し強いっすよねぇ」
「あの人の珈琲好きも中々なもんだからな。いい仲間が見つかるといいんだがねぇ」
遠巻きに他の編集者さん方が苦笑いでこっちを見ていたことに、俺は気づけなかった。
「着きましたよ。さぁさぁ降りて降りて」
「え、なんかキャラ違くないですか?」
「あっはっはっ、よく言われます」
小西さんの運転の元到着したのは、かなり古びた喫茶店だった。
木造の外観、木製のドアにはかなり年季が入っている。
一見すると古民家かと、本当に営業しているのかと思うほどに古めかしいが、小西さん曰く。
「それが『イイ』んじゃないですか」
とのことだ。よく分からないけど、ロマンがあるらしい。
あっ、でもそういえば友達の一人がこういうの好きって言ってたな。
一人飯に慣れてない俺には、あまりに勇気が足りていないから敬遠していた。
出版社での小西さんと気分上々の小西さんのギャップに軽く唖然としながらも、足取りの軽い小西さんについて店に入る。
ベルがチリンチリンと鳴ると、奥から従業員らしきメイド……メイド!?さんと挨拶を交わす。
「こんにちは、どうも」
「いらっしゃいませ、小西様。お連れ様がいらっしゃるのですね」
「お久しぶりですカヤネさん。この方、新しく僕の担当になりまして。さっ、村上さんもどうぞ」
「……えっ!?あっはい。お邪魔します?」
えっメイド!?と驚いている間もなく席へと促される。
喫茶店とかよく知らないけど、メイドって普通にいるもんなの!?
いや多分そんなことないんだろうけど、小西さんがあまりに自然に席へと向かうもんだから対応が間に合わない。
今は他にお客さんもいなさそうで、カウンター席へと案内される。
「こちら、メニュー表とお水でございます」
「ありがとうございます。ここは昔からお世話になってましてね。さぁさぁ、好きなのを頼んでください」
「ちょっとちょっとちょっと待ってください。出版社からこっち、押し強くないですか!?」
「いやぁすみません。最近ここに来れてなかったもので、つい」
くそっ、顔がいいからって照れ顔も様になるの不平等だろ。
そんなくだらなすぎる妬みも一旦置いといて、メニュー表をパラパラとめくる。
知らない名前も多いけど、辛うじて聞いたことのある名前もある。無難にそれにしておくべきか。
「じゃあ、クリスタルマウンテンのチーズケーキセットで」
「おっ、いいですねぇ。私もクリスタルマウンテン、セットはブラウニーセットでお願いします」
「かしこまりました」
注文を受けつつ、黙々と作業を進めるメイドさんは、俺の動揺とかそういうのとは別な世界にいるみたいだ。
それからメイドさんは淀みなく準備を進め、今はお湯が沸くのを待っているようだ。
小西さんはこのお店に随分と思い入れがあるのか、聞いてみればそれはもう楽しそうに話出した。
「ここはいい豆を美味しく淹れてくれるんですよ。希望すればサイフォンやコーヒープレスなんかも使ってくれますし、僕の知る限り、個人経営の店舗としては最上ですよここは」
「そ、そうなんですか。サイフォン……はあれですよね。アルコールランプを使うやつ。友人がそういうの詳しくって」
「そうですそうです!よくご存じですね。ハンドドリップで淹れるのが私は好きですが、あれらもいいものです。プレスは……最近ちょっと胃にきてしまって、ご無沙汰です」
「そういうのってやっぱ違うんですか?俺そういうの全然詳しくなくって」
「おっと、すみません。そうですね、珈琲の味は豆によるところも確かに大きいですが、もちろん淹れ方も重要です」
小西さんは人差し指を立てながら、ちょっと得意げに解説している。
そういう茶目っ気みたいなのが似合うのは、この人の人徳なんだろうか。
「コーヒープレスはお湯と珈琲の粉を一緒の容器に入れて、金属のフィルターを使って粉だけを下にプレスして珈琲を抽出する器具です。使い方が簡単、かつ再現性が高いのが特徴ですね」
「へー……あ、そっか。お湯の温度とコーヒー豆の量が一緒ならその入れ方にすれば毎回同じ味になるんですね?」
「その通りです。そして何より特徴的なのがその味、もとい風味です」
小西さんは段々熱が入ってきたのか、非常に饒舌に話し始めている。
初対面の落ち着いた大人の人という印象がすごい勢いでグラグラしていくが、俺自身コーヒーに興味が少しずつわいてきたせいで、むしろ好印象とすら思えてしまう。
「プレス式の最大の特徴は珈琲と一緒に抽出される『コーヒーオイル』にあります。これは珈琲豆の成分そのもの、香りや味わいの源です。ペーパーフィルターだとこのオイルは遮断されてしまいますが、プレス式ではフィルターを貫通して口に運べるのです」
「え、コーヒー豆って油出るんですか?あの豆から?」
「はい。珈琲を飲むとき、表面にうっすらと油の膜ができますよね。あれですよ。元々珈琲豆は油脂分を多く蓄える植物です。それが焙煎した時やお湯を通したときに外に出てくるんです。これが非常に香り高いんです。……っと」
一気に話し進めてから、水を飲んで一息付く。
話し終えて人心地ついて、小西さんは少し申し訳なさそうにこちらを見やっている。
「す、すみません。つい夢中になって話し込んでしまったようで。お恥ずかしい限りです……」
「いやいやっ!知らない話ばっかりで面白かったです。それに、珈琲が好きなんだなってとても伝わりました」
「そう言ってくださると助かります……」
コーヒーについて話しているときの小西さんは無邪気な、子供が好きなものを見つめるときのような表情だった。
子供心を持った大人のいいお手本で、これくらい熱く好きなものについて語れるというのは素晴らしいことだと思う。
小西さんは店内を軽く見渡し、微笑みながら話し出す。
「社にいる時も言いましたが、ここは僕の行きつけでして。通ってもう20年くらいになりますか、早いものです」
「へぇー、10年……ん?え、じゃあ、メイドさんは」
見た目20前後くらいのメイドさんを見て、思わず口に出してしまった。
小西さんは軽く笑いながら、その反応すら想定していたのか続きを話そうとする。
が、目の前で作業しているカヤネさんに今気づいたかのように止める。
「ああ、カヤネさんは……いや、それはいずれ本人から聞いた方がいいでしょう。目の前で人があれこれ言うのもね。そろそろ珈琲もできる頃でしょうし。おっ、噂をすれば。
カウンターの向こうから、準備を終えたメイドさんがトレイを用意して話し終わるのを静かに待ってくれていた。
自分でも気づかないうちに随分話し込んでしまい、あっという間に時間が過ぎていった。
かくいうメイドさんは、自分のことを話していても全く気にしていないようだった。
「お待たせいたしました。クリスタルマウンテンのチーズケーキセットと、ブラウニーセットです」