初めてのブラジルNO.2 2
「ありがとう、ございます」
お湯を注ぎ始めてから完成まで、一つ一つの動作があまりに綺麗でつい見惚れてしまった。
最初にお湯を通してからおよそ四分、一瞬で過ぎてしまったような気すらする。
改めて手元を見ると、そこには僕のイメージした『大人のコーヒー』が置いてある。
黒く、香ばしい香りが立ち上る、温かいコーヒーだ。
「ミルク、お砂糖はこちらををご利用くださいませ。」
「ありがとうございます。……いただきます」
差し出されたのは小さな白い陶器製の容器に入った温かいミルクと、角砂糖の入ったポット。
……できれば使いたくない、というのが本音だ。
ブラックで飲んで、ちょっと大人ぶったっていいじゃないか……!
自分に言い聞かせて、一口啜る。
「……………………」
苦い。
すごく、苦い。
頭上からくすくす、と笑い声が聞こえて顔を上げると、口元を手で隠しながら上品に笑うメイドさんがこちらを見ていた。
見栄を張っていたことまで見抜かれていたような気がして、顔が熱くなる気がした。
「失礼致しました。遠慮なくお使いください」
「い、いや……でも……」
香りとか後味とか、気にしている余裕がない。
飲んだとしても甘いカフェオレが精々の僕にとって、ブラックのコーヒーはあまりに苦すぎる。
それでもと意地を張りたいけれど、メイドさんは困ったように眉を寄せ、それでも優しく微笑みながら僕を諭す。
「苦い思い出だけでは、悲しいですから」
そう言われると、うぅん、仕方ないなぁって気になっちゃう。
いや自業自得なのは分かってる。分かってはいるが、その言葉を免罪符にしてミルクを容器半分だけ注ぐ。
黒く熱いコーヒーに白いミルクが溶け出して、柔らかなブラウンへと変わっていく。
そしてまた、口に含む。
「美味しい……!」
舌に乗ると、ふわりとミルクが香り、舌には強めのほろ苦さが残る。
砂糖を入れたわけじゃないから苦みは無くならないけど、それでもグッと飲みやすくなった。
これなら、砂糖を入れなくても美味しい。
「ありがとうございます。よろしければこちらもどうぞ」
コトリと置かれたのは小皿に乗った三枚のクッキーだった。
まん丸で、いかにも自家製といった美味しそうなクッキーだ。
「バタークッキーの甘さは、ほろ苦いカフェオレとよく合います。ぜひお召し上がりください」
「えぇっ、いや、でも……」
「もちろん、お代は頂きません」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
一言断って、クッキーを齧る。カリッとした触感が心地いい。
ほんのりと香るバターがいい味になってる。甘さはそれなり、言っていた通りカフェオレととても合う。
一瞬、ブラックのコーヒーと合わせたら最高の相性なんだろうな……と考えるけど、まだ飲めないことを思い出してしまう。
「……お客様さえよろしければ」
「はい?」
「お客様が本日ご来店された理由など、お聞かせ願えませんか?」
一瞬言葉に詰まった。
いや、言えるか言えないかなら言えるんだけど、やっぱり恥ずかしいというか。
見栄と好奇心だと正直に言うのは、やはり僕は臆病だった。
「お世辞にも当店は入りやすい外観とも、見つけやすい程有名とも言えません。それは自負しております」
「そこまで言わなくても……」
「だからこそ、知りたいんです」
メイドさんはじっと僕を見据えて、微笑みながら問いかける。
「貴方様と当店、その出会いを」
「……」
カフェオレを口に含み、少しだけ考える。
そもそもどうやってこのお店を見つけたんだっけ……。
「確か……たまたま下校の時に道を一本ずらした帰り道に知った、はず?です」
「おや、その日は普段とは違う帰り道だったのですか?」
「はい。あの時は……」
そこまで言いかけて、言葉に詰まる。
そうだ、あの日はあんまりいい日じゃなかったんだ。
「その日はちょっと落ち込んでたんです。クラスメイトと話していて、ちょっとだけ。あぁいえ、喧嘩したとかじゃないんですけど」
「なんだったっけ、確か趣味とか好きなものの話になったんです。でも僕、そういうのが全然無くて雰囲気悪くしちゃって」
メイドさんは無言で発言を促してくれる。
自分の中でもまだ整理はできてないけど、それでも思ったこと、感じたことを口に出す。
整理するために口に出す。
「胸を張ってこれが好きだって言ってる人や、それを生きがいに頑張ってる人がすごく羨ましいなぁって。どうして僕は何も持ってないのかなぁって」
「そういうの考えてたらちょっと気分変えたいなぁって、普段使わない道を通って帰ろうと思ったんです。そしたら、たまたまこのお店を見つけました」
初めて見かけたときは、これってお店なのかな?って疑問に思ったりもした。
気になって両親に聞いてみたら、かなり昔からある喫茶店だって聞いた。
そしたら段々行ってみたくなって……
「こういう個人経営の喫茶店に一人で行って、コーヒーを飲めたらかっこいいだろうなぁって。コーヒー飲めるわけじゃ、ないんですけど……すみません……」
「ふふ、お気になさらないでください」
からっぽになったカップを下げてもらい、もう一杯入れてもらう。
今度は初めからミルクを注いでもらい、カフェオレとして出してもらった。
当初の目的通りの大人な時間とはいかなかったけれど、ほっとするような優しい味わいのカフェオレと出会えたことが、なにより嬉しい。
コンビニで買うコーヒー系の飲み物とは何か違う、満足感に似た何かを感じる……気がする。
「いいのです。珈琲は趣向品、誰しもが飲むものではございません」
からっぽのコーヒーカップを丁寧に磨きながら、メイドさんはとても優しい顔で僕に語り掛ける。
確かに、こんなにも苦い飲み物、大人だって飲めない人はいるだろう。
「これは身体的な話になりますが、大人になると苦みや酸味などに耐性ができます。体が成長するにつれ苦味に耐性が付き、苦みを感じ、その上で香りや風味を楽しむ余地が生まれるのです。珈琲を楽しむのが大人というイメージは、それだけのことなんです」
「……そういうものですか?」
「はい。ですので、お客様が珈琲を苦いと感じることは、なんら恥じ入ることでございません」
かく言う私も、始めはお砂糖とミルク無しでは飲めませんでした。
少し恥ずかしそうに言うメイドさんの顔は、過去を懐かしんでるように見えた。
「お客様がまたここに来たいと思って頂けることこそが、私にとって至上の喜びです」
「この場所が、お客様にとって心地よい場所となれることを願っております」
「お会計、400円でございます」
「おお、コーヒーに300円以上払ったの初めてかも」
「まぁ、ふふふ……光栄です」
お会計を済ませお店を出た僕は、不思議と気持ちが落ち着いていた。
あんなに緊張して入ったのに、出てくるときはこんなに冷静だなんて、なんか変な感じだ。
後ろを見ると、メイドさんが見送りに来てくれていた。
「本日はご来店頂き、誠にありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそっ!すみません、長話しちゃって」
「お楽しみいただけたのなら、幸いです」
あれからもコーヒーのことや、学校のことを話してたらちょっと長居してしまった。
時に饒舌に話し、時に真剣に聞いてくれるメイドさんといると、時間が経つのを忘れてしまうようだった。
楽しかった時間を余韻に、僕は帰路に着こうとして……
聞きたいことを思い出してしまった。
普通こんなこと、店員に聞くことではないんだろうけど。
それでも、僕はこの人のことがどうしても知りたくなってしまった。
「あ、あの。一つだけお聞きしたいことがあります」
「私に答えられることならば、なんなりと」
「……お名前を、教えていただけませんか?」
そう言うとメイドさんは一瞬キョトンとした顔になって、ちょっとおかしそうにふわりと笑う。
呆れてるわけじゃなくて、そんな質問をされるとは思ってもいなかったよう。
「てっきりお店のことを聞かれるとばかり考えていました」
「それはそれで気になりますが……でもまずは、ちゃんとお名前から知りたいなって」
なんだかそれが面白かったようで、メイドさんも僕もお互いに、ちょっとだけ声に出して笑う。
ひとしきり笑うと、メイドさんは優しい声でそう言った。
「私のことは『カヤネ』とお呼びください」
メイドさんはそう言うと、両手を前で揃え、優雅に一礼する。
カヤネさん……よし、覚えた。カヤネさんだ。
ついでに、人に名前を聞いてこっちだけ言わないのも居心地が悪い気がして、慌てて伝える。
「あっ、僕は『水樹』って言いますっ!」
「水樹様ですね。素敵なお名前です」
「ありがとうございます……初めて言われたかも。あっ、今日はありがとうございました。コーヒー美味しかったです!ごちそうさまでした」
「またのお越しを、お待ちしております」
聞きたいことも聞けて、これでようやく心置きなく帰路に着ける。
笑顔のカヤネさんに別れを告げ、自宅へと歩き出す
「次の休みにまた行こっかな。……いや、しつこいって思われる?でもまたお話したいかも……」
次を既に決めようとしているのは、自分でも無意識だった。
それくらい、自分でも気づかない程にあの場所が好きになっていた。
一回しか行ってない、けれど自分で行くことを決めたあの場所が。
「楽しみだなぁ」
ちょっとだけ、友達に自慢したくなった。
春 天気:晴れ
本日のお客様はボブカットがよく似合う、とても可愛らしいお嬢様でした
ご来店された当初、奥で豆の整理中で気づくのが遅れてしまい対応が遅れてしまいました。メイドとして恥じねばなりません。
喫茶店に来たこと自体初めてだったのか、オススメをオーダーされ、悩んだ末ブラジルNO.2を選択。
カフェオレにすること前提とはいえ、最初に出す珈琲には少々苦味が強いものだったかもしれません。
やはり珈琲を飲みなれていなかったのか、ミルクの使用を提案いたしました。
しかし驚くことに入れていたのはミルクだけで、お砂糖を入れずに飲んでおられました。
ブラックで飲むようになるのもそう遠くないかもしれませんね。いつか水樹様と、一緒に珈琲を楽しむのが楽しみです。