第9話 追憶珠 後編
どうも、伊達幸綱です。それでは、早速どうぞ。
「……暇ね」
とある病院の一室で病院着姿の老年の女性がポツリと呟く。病室には女性の他にも三人ほど患者が入院しているが、全員が寝てしまっているため話し相手はおらず、女性は退屈そうにため息をつく。
「はあ……私、いつ頃退院出来るのかしら。階段から落ちて倒れてるところを家族が見つけて病院に運ばれたみたいだけど、私にはまったくその記憶がないし、それどころか過去の記憶すら全然無い。
娘や孫だっていう子達から、私がどこの誰なのかは教えてもらったけど、やっぱりどこか実感がわかないわね」
女性はふとベッドの横にあるサイドテーブルに目をやると、そこに置かれている巾着袋を見ながら不思議そうに首を傾げる。
「……あの巾着袋、記憶を失う前の私が大切にしていたって娘達が言ってたけど、どうして私はあれを大切にしてたのかしら……中にはビー玉が入ってるだけだし、そのビー玉もどこにでもありそうな物なのに、どうしても捨てようという気にならないのよね。
まあ、今こうして寝ていても暇なだけだし、少しビー玉でも眺めていようかしら。大切にしていたという事は、何か思い出がある物なのかもしれないし、見ている内に思い出す事もあるかもしれないものね」
そう言うと、女性はテーブルの上の巾着袋を手に取り、中からビー玉を取り出すと、日に翳しながら中を覗き込んだ。日の光を取り込んだビー玉は、その色によって様々な景色を見せ、女性の目を楽しませた。
「……綺麗ね。ビー玉なんて、弾いて遊んだりするくらいしか考えた事が無かったけど、こうやって覗いてみるのもたまには良いものね。でも、まだこのビー玉が大切な物な理由がわからないのよね……」
女性は首を傾げながら思わずビー玉を握ったその時、女性の頭の中にある映像が浮かんだ。
「……これは、縁側に座っている私……なんだか寂しそうにしているけど、あら……知らない子が私に話し掛けてくれたわ……?」
不思議に思いながらも女性は頭の中に浮かぶ映像を観続け、映像が終わると同時に手の中にあるビー玉に視線を向けた。
「……そうだわ。これは『追憶珠』という特別なビー玉で、今みたいにこれを握れば中に記憶させている思い出を観る事が出来て、額に当てながらその思い出を戻したいと願えば、しっかりと思い出す事が出来る。
だから、私はこの中にあの子との出会いの記憶も入れていたんだったわ。何かの拍子に『追憶珠』の事を忘れても、握る事で思い出せるように。これは記憶を失う前の私に感謝しないといけないわね。そうじゃなければ、今も『追憶珠』の事を思い出せずにいたはずだもの……」
哀しそうな顔をしながら女性が『追憶珠』を巾着袋にしまっていたその時、病室のドアがコンコンとノックされ、ドアが押し開けられると同時に果物が入ったカゴを手に持ったセーラー服姿の少女が室内へと入ってきた。
「お婆さん、こんにちは」
「あなたは……この『追憶珠』をくれた子よね。どうしてここに?」
「『追憶珠』からお婆さんが大変な事になってるってメッセージが来たので、お見舞いに来ました。本当はもっと早く来たかったんですが、私の方も用事があって少し遅くなっちゃいました」
「うふふ……そんなの気にしなくても良いわ。来てくれるだけでも嬉しいし、あなたが『追憶珠』をくれたおかげで、私は少しだけでも記憶を取り戻せたんだもの」
「それはお婆さんが『追憶珠』を大切にしていたからですよ。それに、もしも『追憶珠』を割っていたら、もっと大変な事になってましたから」
橋渡し役の少女のその言葉に女性は少し不安げな表情を浮かべる。
「今よりも大変……」
「はい。その子に思い出を記憶させた状態で割ってしまうと、その人からもその思い出がすっかり消えて、永遠に思い出せなくなってしまうんです。
普通の記憶喪失なら、きっかけがあれば思い出せますし、失った記憶と同じ行動をすれば同じような思い出は作れますけど、『追憶珠』で失った思い出と同じ物は二度と戻ってこないんです。割れたガラスを溶かして同じような物を作っても、決してすっかり同じ物にはならないように」
「そうだったのね……でも、それなら尚更『追憶珠』は大事にしないといけないわ。こんなに綺麗な物を壊したくないというのもあるけど、大切な思い出を永遠に失うのは耐えられないもの」
女性が真剣な表情で言うと、橋渡し役の少女は安心したように微笑みながら頷く。
「そうですよね。さて……それじゃあ私はそろそろ失礼します。お婆さんが望むなら『追憶珠』は回収しようかと思ってましたが、その必要は無さそうですしね。このカゴはそこのテーブルに置いていくので、ご家族と一緒に召し上がってくださいね」
「ええ、本当にありがとうね。もし、またウチの近くを通る事があったら遠慮無く尋ねてきてちょうだい。あなたとお話しするのは楽しいし、若い子と話す機会も中々無いから」
「わかりました。お婆さんも退院したらウチの『不可思議道具店』に来てみてください。普段は中々来られないんですが、その子達と一緒だったらその近くまで来たら道を教えてくれるはずですから」
「わかったわ。それじゃあ、気をつけて帰ってね」
「はい。それじゃあ失礼します」
橋渡し役の少女は一礼をすると、そのまま病室を後にし、女性はしばらく病室の入り口を眺めていたが、やがて窓の向こうに広がる病院の中庭の景色に視線を向けた。
「……あなた、本当は私も近い内に行けたらと思っていたけど、それはもう少し後になりそうよ。家族と一緒に行きたい場所ややりたい事、新しいお友達も出来てしまったから、まだこの世を旅立つわけにはいかないもの。
でも、そっちに行く事になったら、その時には色々お話をしてあげるから、それで勘弁してちょうだいね」
そう言いながら女性は微笑んだ後、巾着袋の上から『追憶珠』を撫で、退院後にやりたい事や行きたいところを頭の中に思い浮かべながら静かに流れる時間を楽しんだ。
いかがでしたでしょうか。
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それでは、また次回。