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双魚譚  作者: 毛野智人
7/10

(七)

 アポロンと詩歌女神(ムーサイ)の音楽に()いていた神々は、一瞬にして阿鼻叫喚の渦の中に放り込まれた。

 誰もが我先にと宴の場から転がり逃げる。

 随分と刺激が強すぎる酔い()ましだが、欺瞞(ぎまん)に満ちた勝利を称賛する愚かなオリュンポスの者達には良い薬だ。しかしそれを同じオリュンポスのアポロンが(もたら)すとは意外だった。テュポンの出現を知っていながら、ゼウスに先手を打たせるのではなくあえて邂逅へと導いた。ゼウスの息子にしては見上げた心がけだ。

 ゼウスと対峙するアポロンを眺め、エロスは感心した。

 しかし、悠長に見物してはいられない。

「アフロディテ。我々も逃げますよ」

 エロスが隣の主人の手を引いて避難を促す。

 当のアフロディテはというと、顔面は蒼白く、エロスに応じることもできず震えていた。

 無理もない。あのように醜く恐ろしい怪物は、彼女とは全く正反対の存在だ。あまりに醜悪すぎて、それを目にした事実すら、受け入れることができないのだろう。

 彼女自身の足で逃げることは不可能と判断し、エロスはアフロディテを抱き上げ、駆け出す。天空を蹴るその足は確かに速い。しかしそれは助走に過ぎない。加速し、勢いよく最後の一歩を踏み切る。すると、大きな翼が広がった。エロスは自身の翼に風を受け、滑空した。

 雲の合間を縫って、なるべく遠くへ。

 横目には同じように逃げ場を求めて地上へ降る他の神々、精霊(ニンフ)達。

 皆、恐怖で悲鳴すら押し殺している。

 そこへ(とどろ)咆哮(ほうこう)

 再び恐怖の(たが)は外れ、たちまち巻き起こる叫喚の嵐。

 頭上を振り返れば、テュポンが大口開けて逃げる神々を追ってくる。

 あの巨体では、一足跳んだだけでも追いつかれてしまう。

 ——さて、どうにかすべきか。

 エロスは逡巡した。

 この混乱の最中(さなか)なら誰にも気付かれずに済むだろうか。

 否、やはり衆目があり過ぎる。後になって勘付く者もあるやもしれぬ。

 しかし何とかしてアフロディテは守らなければ。

 エロスの自己問答は(にわか)に遮断された。

 一筋の雷霆(らいてい)が飛来する。

 青白い炎を纏った雷光が怪物を貫いた。

 苦悶の声を上げながらテュポンはその場にのたうつ。

 その更に高みから怪物を見下ろす男がある。

「お前が殺したいのは(わし)であろう。浮気をするでない」

 金剛の鎌を手に、天頂に(たたず)む天空の主。

 テュポンはゼウスを睨み火を吐いて威嚇する。

「憐れな子よな。この世を形造(かたちづく)るためでなく、儂一人を殺すために生まれるなど。斯様(かよう)な運命を我が子に負わせるために命を産み落とす者の心を儂は知らぬ。故に、憐れな命は刈り取るまで」

 鎌を振り(かざ)し、ゼウスが切り掛かった。

 テュポンがゼウスと戦闘している隙に、神々はナイルの河へ飛び込んだ。

 一刻も早く逃げ(おお)せるため、銘々(めいめい)動物に姿を転じて。

 エロスは未だ身体に力の入らぬアフロディテと離れぬよう、互いの右足と左足を紐で結んだ。そして水に飛び込む。水中でその身は魚へ変化した。虹色に輝く鱗を持つ二匹の魚。尾は紐で繋がれ、ぴったりと寄り添いながら泳ぎ()く。

 その双魚の姿は、この狂乱の中で、どの神々の姿よりも美しかった。

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