紅い紐
背もたれに体重を掛けながら、考え事をする。
今、この部屋から出るのは危険だろう。シエル姫の自室という事はそこそこの警備が配置されているはずだ。
かと言って、城から抜け出すかと聞かれれば答えはNOだ。
抜け出す事は簡単だが、もう一度潜入する事が出来るかはわからないからだ。今回はたまたま空いていた窓から侵入出来たが、明日、明後日はわからない。
なら、俺はこの部屋でシエル姫が起きるのを待つのが最善だろう。
「兄さん、どうぞ」
「ん、あぁ……ありがと」
凍華が新しく淹れた緑茶が入った湯呑を俺に渡してくれる。
それを受け取って一口飲んでから考え事を続行。
召喚された奴らは魔王軍が攻めて来たら、まともに戦えるのは数人程度だろう。
実戦経験がないなら、初めての戦闘で恐慌状態になる可能性が高い。そうなったら、味方にまで何をするかわかったものではない。
前線で戦っている兵士からしたら、魔法使いが錯乱なんてたまった物じゃないだろう。
いつ、自分の背後から魔法が飛んでくるかわからない状況なんて、俺だって戦いたくないし背中を任せたくない。
「パパ、パパ」
声がした方を見てみれば、いつの間にか人型になった桜花が俺の事を呼んでいた。
「どうした?」
「こっちからママの匂いがする」
そう言って扉の方を指さした。
そっちは、出入り口だし……魔力の感覚的に美咲はこの国にはいない。
それは、事前に凍華にも確認してもらったけど、居ないという返事をもらっている。
「ここには居ないぞ」
「でも、匂いがするの……」
「ふむ……」
桜花の目からして、嘘を吐いているとは思えない。
それに、魔刀は契約者に嘘を吐かない。いや、吐けないというのが正しいだろう。それほどまでに、“契約”というものは重いのだ。
「行ってみるか……翠華、ここで待っていてくれ」
腰から翠華を抜いて椅子に立て掛けると、人型になった翠華が頷く。
「わかりました。くれぐれもお気を付けて」
「ああ」
凍華を刀に戻して、桜花と手を繋ぎながら扉を開ける。
左右を確認しても誰も居ない事を確認してか廊下へと出る。左右にランタンが立て掛けられている廊下は深夜だというのにそこそこ明るく、歩く上で不便は無さそうだ。
「こっち」
桜花が右側に指を差す。
それに従って、俺は歩き出した。
「はぁ……」
私はもう深夜という事に対してため息を吐きながら、廊下を歩く。
この時間まで医務室の備品確認などの雑務をしていたのだ。
「お腹空いたなぁ……この時間じゃ食堂も空いてないだろうしなぁ……」
誰ともすれ違わない廊下を一人で歩いていると、曲がり角が見えてくる。
私が今歩いている場所は一般の使用人が寝泊まりをしている場所で、あの曲がり角を曲がれば王族が暮らしている場所へと行くことが出来る。
まぁ、基本的には立ち入りが禁止されているわけなんだけど。
「シエル姫も、もう寝てるだろうなぁ」
そんな事を呟いて曲がり角を通り過ぎると、不意に背後から口元を抑えられる。
いきなりの事で固まってしまった私の首にそっと冷たくて硬い何かが押し当てられる。
「動くな……」
「――ッ!!」
動いたら殺されるというのがすぐにわかった。
でも、私の中は恐怖心よりも疑問の方が大きかった。
――どうして、君がここに居るの?
口元を抑えている手は私が知っているよりもゴツゴツとしていたけど、その声は変わっていなかった。
今すぐ確認したい……でも、とりあえず今の状況をどうにかしないといけない。
「両手をゆっくりと上げろ。抵抗すると首と胴体がお別れする事になるぞ」
「……っ」
言われた通りにゆっくりと両手を上げると、口元から手が少しだけ離れた。
「いくつか質問したい事がある。嘘だとわかった瞬間にお前を殺すから、きちんと答えろよ」
「は、はい……」
「ここら辺に警備員はいるか?」
「こ、ここは一般区域だから、誰も居ないです」
「そうか……他に起きてるヤツはいるか?」
「き、緊急の要員だけは起きてると思いますけど、大体の人は寝てると思います」
私の言葉を聞いて、口元の手から力が少し抜けるのを感じた。
「私も聞きたい事があるんだけど……」
「なんだ?」
「一ノ瀬君、だよね?」
「ん……?」
口元から手が離れ、首に押し付けられていた刃が離れる。
ソレと同時にグイッと凄い勢いで身体が回転して、私は後ろに立っている男性と向き合う形になった。
「……佐々木?」
「気づいてなかったの!?」
まさか、気づいていなかったとは思っていなかった。
私、そんなに影が薄いのかな……。
「白衣を着てたし、髪型も変わっていたから気づかなかったぞ。こんな時間まで何をやってたんだ?」
「仕事を……」
「ふぅん……」
一ノ瀬君がジーッと私の顔を見つめてくる。
ど、どうしよう……何か照れる。私、お昼ご飯は何を食べたっけ? 髪とか肌の手入れは手を抜いていないし……。
「うん、大丈夫だな。特に寝不足だとかそういうわけではなさそうだ」
「あ、そ、そう……なら、よかった」
私は少しの落胆と安心を感じた。
まさか、適当に抑えた人間が佐々木だとは思わなかった。
だが、知り合いならば話は早いと、俺は目的の場所を聞いて歩き出した。すると、佐々木も何故かついて来た。
「何で付いてくるんだ?」
「ダメ?」
「いや、別にダメじゃないけど……」
そんな事を話しながら並んで歩いていると、俺達は目的の場所に到着した。
そこは、部屋が大量に並んでいる場所にある一室だった。
「ここって……」
「ここから、ママの匂いがするの」
佐々木が何かを考える仕草をするのと同時に桜花が伝えてくるのを聞きながら、ドアノブに手を掛けて中へと入ると、そこにはテーブルとベッド、それと収納用のクローゼットがあるだけの部屋があった。
「……普通の部屋か?」
「一ノ瀬君、ここ……美咲ちゃんが使ってた部屋だよ」
「……そうか」
部屋の中に入り、見回してみる。
佐々木の言葉を信じるのであれば、召喚された美咲はここでしばらく生活していた事になる。となると、桜花が感じた美咲の匂いとは、生活している上でついたものなのかもしれない。
そう思っていると、桜花がクローゼットを開けて何かを探し始めた。
「ここ、シエル姫の命令であの時から手を入れてないって聞いたよ」
「ふぅん……」
美咲がいない部屋なんかに興味がない。
無駄足だったか……いや、桜花からしたら数少ない母親を感じる場所というのは、重要なのかもしれない。
「パパ、コレ……」
クローゼットを漁っていた桜花が俺に何かを差し出してくる。
右手に持たれたソレは、赤い紐だった。
「それは……」
俺は、その紐に見覚えがある。
確か……いつからだったか美咲が右手首にいつでも付けていた紐だ。
「美咲ちゃんがいつも付けてた紐……」
「みたいだな。あんなに大切にしてたのに置いて行ったのか」
桜花から受け取ってその紐を観察する。
手の中から確かに美咲の暖かさを感じた。
「コレ、貰ってもいいよな」
「えっ……?」
桜花に目で「いるか?」と聞くと、首を振って「パパが持っていて」と言われた。
俺は、赤い紐を右手首に括りつけた。美咲が付けていた時は三重に巻いていたらしいソレを二重で巻く事によって少し垂らす形にする。
三重だと、ちょっと手首に違和感を感じたし。
「美咲……」
左手で紐を触りながら、俺は呟いた。
その姿を二人は黙って見ていてくれた。
 




