旅立ちの前日
俺の顔面目掛けて放たれた拳をギリギリで避ける。
チリッと頬を掠っただけで尋常じゃないくらいに痛いのだから、これをモロに受けたら恐らく顔面が陥没することだろう。
あの戦いが終わってから今日で三日目。
俺は文字通り、殴られ、蹴られ、投げられ、ブン回された。龍剣の言った事は嘘や冗談というわけではなく本気で俺に三日間で戦闘技術を叩きこむ気でいるのがよくわかった。
それでも、俺は食らいついていった。
どれだけ重症を負おうとも即座に翠華に癒してもらって、龍剣と拳を交えるのをやめない。そうこうしているうちに俺も段々格闘術をマスターしていき、今日に至る。
今は最終試験という名目で、龍剣から一本取ればいいらしい。
だが、手加減しているのが見え見えな龍剣から俺は今まで一本も取れた事がない。それくらい、龍剣と俺には力の差があるのだ。
「ふんっ!!」
「――ッ!!」
気合いと共に龍剣の拳が飛んでくる。狙いは腹だと判断して身体を捻って避けると、今度はそこにローキックが飛んでくる。
足を上げることでそれをガードして、お返しだとばかりに拳を振るうが簡単に受け止められてしまった。
「ぐぐぐ……っ!!」
「んぎぎっ!!」
空いている手でお互いに掴み合って力押しが始まる。
ズルズルと俺のほうが若干押されるが、それでも構わず力を入れ続け――途中でフッと力を抜く。それによって前へ自ら態勢を崩す形になった龍剣と共に俺も後ろへと倒れて、地面に背中が着いた瞬間に右足でを龍剣の腹に当てて真後ろへとブン投げる。
所謂、柔道の巴投というやつだ。
だが、龍剣はその老体に似合わない動きで態勢を立て直して即座に構えを取る。
右腕を軽く突き出して、左腕を腰に添え、足を等間隔で開いて半身の構え。
それは、龍剣が俺に教えてくれた構えの中でもっとも“人を殺す”事に適した格闘術の構えだった。
(殺す気で来るか――)
俺も同じ構えを取る。
龍剣はこの三日間で俺に三つの体術を教えてくれた。
一つはカウンターに適した“アルテナ式格闘術”
二つ目は人を殺す事に適した“帝国式格闘術”
三つ目は捌く事に適した“古龍式格闘術”
今、俺と龍剣が構えているのは帝国式格闘術だ。
「――シッ!!」
龍剣が動く。
一足で俺の前まで移動して、軽く前に突き出していた右腕をショートパンチのように突き出してくる。
ショートパンチと違うのは、右手が握りこぶしではなく、人差し指と中指だけ突き出された状態だという事だろう。
【帝国式格闘術:四ノ型:声潰し】という名称だった気がする。
ソレは相手の喉仏下にある柔らかい部分に指を突き刺す事によって、声を潰し呼吸困難を引き起こすものだ。
「ふっ……」
阻止しようと龍剣の右手首を掴もうとした所で、右手がいきなり俺の顔を覆うようにバッ! と開かれる。
「しまっ……!!」
声潰しは完全にフェイントであり、龍剣は俺の鳩尾に抉るようにして回転させたストレートを左腕で放つ。
当たった後も手首は回転され、ゴキゴキと俺の骨が嫌な音を立てる。
「ガッ……ハッ!!」
勢いそのままに俺は吹き飛ばされ、桜の木にぶつかって止まる。
素早く確認、骨は折れてはいない。
追撃の拳を振るおうとする龍剣に向かって、俺は吹き飛ばされた時に右手で掴んでいた砂を龍剣の顔面目掛けて投げつける。
「なっ!?」
「ハッ!!」
砂をガードしてがら空きになった龍剣の鳩尾に渾身の掌底打ち《しょうてい》を叩きこむ。
コレはアルテナ式格闘術の中にある格闘術で、名前はシンプルに“掌底”だ。
「ガハッ!!」
掌底の勢いで少しだけ宙に浮いた龍剣に対して素早く身体を回転させ、回し蹴りを放つ。
真横に弾かれたように飛んで行く龍剣に対し、俺は素早く構えを取る。ここで勝ったと油断して気を抜くと痛い目を見るというのは嫌という程学んだ事だ。
少し待っていると、龍剣が両手を上げて歩いてきた。
「やめだ。これ以上は殺し合いになりそうじゃ」
「なら、いいんだな?」
「うむ……ここまで成長すれば、王都に行っても問題ないじゃろう」
俺と龍剣が話していると、翠華が傍にやってきて傷の手当てをしてくれる。
龍剣の方も椿さんに手当してもらっていた。
「裕様が居なくなるとなると、寂しいですね。明日からの献立は適当でいいでしょうか?」
「いや、椿よ……儂は居るからな?」
午前午後は龍剣に格闘術の訓練をつけてもらい、椿さんは夕食後に少しだけ魔法を教えてくれた。まぁ、俺は魔力がないから使えないのだが、いつかは使えるかもしれないと【身体強化】などの基礎能力を上げる魔法などを教えてくれた。
「まぁ……お主もたまには帰って来い。黒龍布の事も心配じゃしな」
龍剣がそう言って来るので頷く。
ちなみにこの黒龍布だが割と優れものであり、水に濡れても大丈夫で汚れても水洗いする事が出来る。
「して、いつ出るんじゃ?」
「まぁ……明日には出るかな。黒龍の方はどうなってる?」
「ふむ……」
ここに来た時以来、姿を見ていない黒龍だがどうやらどこかで訓練をしているらしい。聞いた話によると黒龍はまだ若く――と言っても、数百年は生きているのだが、龍的にはまだ若く色々と学ぶ事が多いらしい。
それで、俺の旅立ちの話になるのだが、龍剣山からエスティア王国までは結構な距離があり、歩いて行くのは中々に時間が掛かる。
だから、黒龍に乗せていってもらおうと思っていたのだが……龍剣の顔を見る限り、どうやらそれは難しいかもしれない。
「無理そうか?」
「いや……行きだけはどうにでもなるじゃろう。じゃが、ヤツは上空で旋回し続けるという事が未だに出来ないのじゃ。故に、送ったらそのままこちらに帰ってくる事になるのぉ」
「それで大丈夫だ。帰りはまぁ、どうにかするよ」
「では、手配しておこう」
龍剣との話が終ると、凍華と椿さんが料理を持ってやってきた。
左腕が動かないと思ったら、椿さんの手伝いをしていたのか……。まぁ、聞いた話によると凍華はここに一度来た事があるらしく、椿さんとも顔見知りらしい。
「皆さん、お食事にしましょう」
椿さんが素早くシートを敷いたりして、そこに料理を並べていく。
俺たちはそれぞれ好きな場所に座る。
「兄さん、どうぞ」
「お、ありがと」
隣に座った凍華から差し出された湯呑を受け取って、口を付ける。
中身はいつもと同じ緑茶だったが、疲れた身体に染み込んで癒される。
「ふぅ……」
ふと、空を見上げる。
最近癖になってる気がするが、何となくこの世界に来てから空を見上げたくなる時が多い。
今日も空は蒼く澄み渡っており、心地よい風が吹いていた。
「こんなに早く戻る事になるなんてな……」
美咲を救い出すまでは戻らないと思っていたのにも関わらず、思ったよりも早い帰還となった事に思う事がないわけじゃないが、今回は仕方がない。
佐々木に何も言わずに出て行った事に対して文句を言われるだろうが……まぁ、そこも仕方ない。
「考え事ですか?」
「いや……別に大した事じゃない」
凍華の声で考えていた事を破棄して、俺は食事に箸を伸ばした。
 




