散る桜のように
我ながら、よくもまぁ何も思わずに勝負を始められたものだと思う。
普通だったら色々と聞いたり、“いきなり決闘なんて!”と慌てふためいたりするものだろう。
(この世界に……いや、戦うという事に慣れてきているのかもしれないな……)
爺さん――龍剣は杖をついた姿勢のまま動こうとしない。
きっと、鞘に入りっぱなしの翠華を腰に差し、真剣を抜くのを待っているのだろう。
「……ありがたく、その時間を使わせてもらうけどな」
小声で呟いてから翠華を右腰に差す。
左腰の方が抜きやすいのだが、残念ながら桜花と寝華を差しているために重量オーバーだ。
《ご主人様、一つ言っておかないといけない事があります》
「なんだ?」
《私の能力は回復と守護です。実戦には向きません》
何となくそんな感じがしていたが……そうか、翠華は実戦で使うような刀ではないのか。
いや、実戦で使う方法はいくらでもある。だが、何かを斬る事には向かないのだろう。
「大丈夫だ。桜花、起きてるよな」
《ん……いつでも行けるよ!》
元気な返事に内心で微笑みながら桜花の柄を握る。
「なるほどの……鞘の内部にある刃を魔力でコーティングする事で片腕でも抜けるようにしてるのだな」
龍剣がその目を細めながら言って来る。
俺は桜花が抜きやすくしてくれている事は知っていたが、そういう風にやっていたとは知らなかった。
「まぁ、良い。先手は譲ってやろう。来るがよい」
左足を半歩引き、力を籠める。
変則片腕居合い抜き……いや、ダメだ。コレでは龍剣に刃は届かない。
(隙がないな……)
脳内でいくつもの剣線を描く。
唐竹・袈裟切り・逆袈裟・右薙ぎ・左薙ぎ・左切り上げ・右切り上げ・逆風・刺突……その全てが龍剣には届く未来が見えない。
それほどまでに龍剣には隙がない。ただ、そこに立っているだけなのにも関わらず。
「ダメか……」
ふっ、と息を吐く。
どれだけ考え、どれだけイメージを重ねても“今の俺では届かない”のだ。
「……」
目を閉じる。
戦闘中に目を閉じるなど自殺行為でしかないが、龍剣は先手を俺に譲ると言った。つまり、俺が攻撃するまで向こうから仕掛けてくる事はないだろう。
(イメージするのは、あの星空)
今の自分で足りないのであれば、足りない部分を補うだけだ。
「パパ、目を開けても大丈夫だよ」
桜花の声でそっと目を開けると、そこは俺が望んだ通り満面の星空が照らす空間だった。
「ここに来る時は、何となく桜花と一緒の時が多い気がするな」
「んー、そうだね」
腰に抱き付いてくる桜花の頭を撫でてから、再度星空へと目を向ける。
ここになら、龍剣に勝つ手段を持った“俺”が居るだろう。
「パパは何を求めてるの?」
「龍剣に勝てる俺だ」
前と同じように声に出してみたが、無数に垂れ下がっている白い紐は消える事がない。
赤い紐が出てこないという事は、平行世界の俺でも龍剣に勝てる方法はないと言う事だろうか?
「いや……諦めるにはまだ早いよな」
ここに来たのはまだ数回だが、一つだけわかった事がある。
それは、この空間に居る限り現実世界の方ではそんなに時間が経過しないという事だ。もちろん、この空間に居られる時間は決まっているかもしれないが、そのギリギリまでは粘る事が出来るはず。
「ないなら、探せばいいだけだよな」
目の前にあった白い紐を掴む。
こうして、俺の長い――永久の時間にさえ思える旅が始まった。
一つ目の世界での俺は医者を目指し、努力して名医と言われる程になった。
その目的は難病の美咲を救うためだった。
だが、これは今の俺には必要ない。
二つ目の世界での俺は対テロ組織に属して活動していた。その世界での日本はテロが横行しており、美咲もそのテロに巻き込まれて大怪我をしてしまったらしく、同じような人を減らすために頑張ったらしい。
だが、これも違う。
三つめの世界での俺は何か異形の生物と戦っていた。
その手に刀を持ち、美咲を守ろうと必死になって戦っていた。
これは、もしかしたら使えるかもしれないからよく見ておこう――。
四つ目、五つ目、六つ目――。
もう何個目だかわからない世界を除いたところで、そっと目を開ける。
いくつもの世界を見て、いくつもの“一ノ瀬 裕”の軌跡をなぞってきたが、それでも目の前にはまだ見ぬ軌跡が広がっている。
「だが、十分だ……」
重い身体を引きずるようにして、桜花が居る場所まで歩く。
桜花は俺を見てそっと微笑んだ。
「見つかった?」
「あぁ……戻ろう。龍剣も待ちくたびれているだろうしな」
俺の冗談にクスリと笑った桜花が右手を差し出してくる。
それを握るのと同時に視界は暗転した。
「戻ってきたか……」
閉じていた目を開け、戻ってきた事を確認する。
やはり、それほど時間は経っていないようで龍剣はこちらをジッと見ていた。
「行こう、桜花」
変則片腕居合い抜きの構えを解き、身体を自然体に戻す。
「む……居合いで来ると思っていたのだがの」
俺の行動に龍剣が声を発した。
そう、俺も最初は居合い抜きで一気に勝負を決める気でいた。
「でも、それじゃあ爺さんには届かなそうだからな」
普通に桜花を抜いて正眼に構える。
「ふむ……」
龍剣は俺が何をするのかを見逃すまいとその目を細める。
その期待に応えるように、俺は右足を引き、身体を右斜めに向け、桜花を右脇に構える。
この時、剣先は後ろ後方に下げている。
所謂、“脇構え”と言われる構えだった。
「……」
「……」
俺がこの構えにしたのには理由がある。
多くの一ノ瀬 裕を見て気づいたのだ。最終的にどの世界でもこの構えに辿り着いている事に。
つまり、脇構えこそが“一ノ瀬 裕に最適な構え”という事になる。
(まぁ、片腕しかないから安定性はないけどな……)
刀とは刃を当て、それを引くようにして斬るものだ。
だが、それは両手があって初めて完璧にこなせるものであり、片腕しかない素人の俺に出来るかと言われれば中々に難しい話だ。
それでも――今までやってきたんだから、出来るはずだと思い込む。
「装填」
呟くのと同時に右目から色が無くなり、音も遠くなっていく。
その世界で俺は、龍剣に向けて放つ攻撃を決める。
一発ではダメだ。二発でもダメ。
最低でも五発は必要だ。
故に、五回の攻撃を脳内で描く。
視界に五連撃の軌道が現れる。この通りに振れば、問題ないのだろう。
そうわかっていても、緊張で呼吸が早くなる。喉が渇き、口の中がカラカラと乾燥していく。
《パパ、大丈夫だよ》
「桜花……」
《ぶっつけ本番だけど、私もサポートするから》
桜花の言葉に答える代わりに柄を強く握り締める。
そうだ。俺は一人じゃない。一人で戦っているんじゃない。
「発射」
龍剣に向かって一気に踏み込む。
一秒未満で俺は龍剣との距離を詰め、右斜め下から桜花を振り上げる。
一撃目――!!
桜花と龍剣が持った杖が火花を散らす。
渾身の一撃だったが、防がれたらしい。
だが、止まる事は出来ない。
振り上げた桜花を頭上に来るように垂直に上げ、それを振り下げる。
二撃目――!!
コレも杖に防がれる。
桜花と斬り合う事が出来ているあの杖は一体何なんだ?
刃を翻し、下から上へと今度は切り上げる。
三撃目――!!
龍剣はそれに目を見開き、杖でガードしようとして辞めた。
まるで刀を抜く時のように杖を構えた龍剣は、そのまま……杖を抜いた。
(――仕込み刀!?)
杖から現れた刃は桜花の刃を受け流し、火花を散らす。
まさか、龍剣も刀剣術スキルを持っているとは思っていなかったが、ここで俺が攻撃を辞めればカウンターが来る事は間違いないだろう。
だから、止まれない。
振り上げた桜花を今度は右上から左下に向けて斜めに振り下ろす。
四撃目――!!
これもまた仕込み刀によって受け流される。
「面白い――」
龍剣の目が鋭く光る。
それと同時に右目に俺が描いた軌道とは違う横なぎに振るわれる軌道が描かれる。
コレは、龍剣が振ろうとしている軌道だろう。
「だが、儂の勝ちじゃ」
鋭く、素早く振るわれる横なぎ。
(あぁ、コレは避けられないかな……)
正直、悔しかった。
割といいところまで行ったという感覚があったから、尚更に悔しかった。
迫る刃を呆然と見つめる。
(諦めないで。まだ、あるでしょ?)
その声は誰の声だったか……どこか、美咲に似ていた気がする。
だが、そうだ。俺にはまだあと一撃残っているじゃないか。
しかも、ソレはこの状況にピッタリな動きのはずだ。
「――っ!!」
フリーズしていた思考を無理矢理回し、身体を全力で動かす。
絶対に当たる態勢で振るわれたソレを、俺は後ろへ引く事で回避した。
「――!?」
龍剣の目が見開かれる。
そう……“事前に準備していなければ”絶対に避けられない一撃だったからだ。
「う……おぉぉぉぉぉ!!!」
桜花を地面と水平にし、右腕を矢を引くときのように大きく後ろへと引く。
コレが、俺が最後に仕込んでいた一撃、突きだった。
右足の踏み込みと共に放たれる突き。
鋭く速いソレを龍剣は仕込み刀で咄嗟に突きを放つ事で防ごうとする。
「「――!!」」
互いの剣先がピッタリとくっつく。
コレがほんの少しでもズレたら、お互いの胸に突き刺さるだろう。
「……ウチの桜花はそんなヤワじゃないんでね」
だが、俺には勝ったという確信があった。
俺の言葉が終るのと同時に龍剣の仕込み刀はパリンッという音を立てて崩れ落ちていく。
「……見事」
柄だけになったソレを見ながら、龍剣が構えを解く。
それに合わせて、俺も構えを解いて桜花を鞘に納めようとした時、龍剣が呟いた。
「今の五連撃……名前はあるのかの?」
「名前、か……」
正直、俺の中ではただの五連撃だった。
だが、名前か。確かにあった方がカッコいいかもしれない。
「ん……?」
名前を考えている俺の前に桜の花びらが舞った。
ソレと先ほど砕け散った仕込み刀の姿が重なる。
「桜花散桜……かな」
桜花を鞘に納める。
俺と龍剣が戦っていた時間は恐らく二十秒にも満たない時間だっただろう。
(疲れた……)
人間の肉体というのを限界まで使って初めて使える技だったのだ。
コレは、明日は筋肉痛だろう。
「……いい名前だ」
桜を見上げながら、龍剣はそう口にする。
果たして、彼は何を思っているのか……それは、俺には分からない事だった。




