空へ
地面に降り立つと、俺が貸したマントでその身を包んだ翠華が近づいてくる。
「無事に契約できたみたいですね」
「まぁ、そうだな」
翠華の視線は俺から右手に持っている刃こぼれした刀に移動し、次に俺の右腕へと向けられる。
「右腕、ですか」
その声にはどこか悲しそうな感情が含まれている気がした。
「何か問題があったか?」
「いえ……特にはないです」
嘘だ。
俺の瞳はソレが嘘であると伝えてくるが、別に言いたくない事を追求する趣味はないし、きっと知った所でどうしようもない事だろう。
故にスルーする。
「さて、コレからどうするかな……」
黒龍が目覚めるのがいつになるかわからないし、そもそも目覚めた所でどうなるかは予測できない。
大体、危うく忘れそうになっているが元々の目的は龍剣山に行って凍華を修理する事にあるのだ。
それが何の因果かこんな所に来て、こんな事になっている。
「まったく、儘ならない……」
(こんな時は払い下げの安酒でもいいから夜に一杯やりた――)
あれ?
おかしい。今の思考はおかしいぞ……。
「俺は、何を思ってるんだ……?」
元の世界では未成年であったために俺は酒なんて飲んだ事はない。
両親も酒を飲まなかった事から、よくある舐めたとかそういう経験もなかった。そもそも、美咲がそこら辺にうるさかったから、自然と興味も無くなっていた事だ。
それなのに、俺は今自然に酒が久しぶりに飲みたいと思った。
コレは、おかしい。
「なんだ……?」
自分の中に違和感を感じる。
ソレは小さな違和感だが、確実な物だ。
一ノ瀬 裕という存在がまるで違う存在になってしまったかのような感覚。
「俺は、俺……だよな?」
寝華の刃こぼれした刃に自分の顔を写し込み、確認する。
うん。間違いなく俺の顔だ。
「疲れてるのかな……」
軽く首を振る。
考えてみれば、穴に落ちてから休む暇もないくらいにドタバタしていたし、おかしくなる事もあるだろう。
そう思って何となく振り返ってみると、黄金の瞳と目が合った。
「……」
『……』
互いに無言。
ジッとこちらを見つめる黄金の瞳の持ち主は黒龍であり、俺の中にはいつの間に起きたのかとか綺麗な瞳だなとかそういう思考しかなかった。
『グルル……』
黒龍は低く唸りながらも俺から視線を外さない。
コレはアレだろうか? もしかして、戦う流れだろうか?
だとすれば、勘弁してほしい。今の俺はボロボロだし、桜花も意識を失っている状態だ。
翠華も寝華も刃こぼれをしている状態であり、凍華は折れている。つまり、現状は使える得物が一つもないのだ。
無手で戦うのも無理だろうなぁ……。
『グルゥ……』
俺が変な思考をしていると、目の前の黒龍はそっと俺に頬づりをしてくる。
デカいから俺が身体全体で受け止める形になり、ケガをしないようにと寝華を横の地面に突き刺して受け止める。
「どうやら、認めてくれたみたいですね」
ソレを見ていた翠華がそんな事を言って来る。
どうやら、コレは黒龍なりのスキンシップらしい。
「そうか。認めてくれてありがとな」
『グルゥ』
右手で頭を撫でながら言うと、黒龍は嬉しそうに鳴く。
前世の俺が置いていった忘れ形見とも言える黒龍。
何の因果かこうして巡り合えたのだ。大切にしよう。
『グルル……』
ひとしきり俺に頬づりした黒龍は辺りを見回している。
自分が知っている地形と変わっていて困惑しているのだろうか?
と、そこで黒龍の瞳がゴブリン達の死体で止まった。
『グル……』
「何かを言われている気がするんだけど、何を言っているのか全然わからない……」
「そこの死体を食べていいのか聞いていますね」
俺が困っていると、翠華が助け舟を出してくれた。
よくわかったな……コレも魔刀の力なのだろうか?
「あぁ、そういう事か。まぁ、使い道もないし食べてもいいよ」
俺がそう言うと、黒龍は嬉しそうに鳴いた後にゴブリン達の元へと移動する。
そして、器用に口でくわえた後に放り投げて丸飲みして行く。
ヒョイ、パクッを繰り返す黒龍を横目に俺は天井を見上げていた。
「どうしました?」
「ここから出ようと思うんだけど、天井の穴って恐らく上に行くにつれて小さくなっていってると思うんだよね。だから、黒龍が通れないなぁ……っと思って」
「なるほど。そういう事でしたら問題ないと思いますよ」
それはどういう事? と聞こうとした所で死体を全て食べ終えた黒龍が近づいてきた。
『グルゥ』
食事が出来て嬉しいのか上機嫌で俺に頬づりをしてくる黒龍を撫でながら、再度視線を上へと向ける。
差し込んでくる光が少ない所からして、現在は夜なのかもしれない。
『……』
と、そこで黒龍が俺を見つめている事に気づいた。
視線を向けてみると黒龍は俺と天井を交互に見つめており、何かを思いついたようにその巨体を動かす。
「……何をする気だ?」
軽く、嫌な予感がした。
俺の予感を裏付けるように黒龍は俺と翠華を股下に隠すように立つと、真上にある穴に向けてその口を大きく開いた。
それと同時に黒龍からバチバチと赤い火花が散り始める。
「待て……待て! 何か、それヤバい気がする!」
俺の制止の声が響くが、それは黒龍に届くことなく数瞬後にはその口から赤い光の奔流が飛び出した。
ビームとしか表現できないソレは真っ直ぐに天井の穴へ向かい、天井を撃ち抜いた。
股下に居る俺たちにもその衝撃が襲い掛かり、その場に立っている事さえ困難にさせる程だ。
永遠にも感じる照射の後、股下から顔を出して見上げてみるとそこには大きくなった……いや、大きくなりすぎた穴とそこからこちらを覗くように見える月だった。
「いやいや……おかしいだろ」
「でも、これで外に出られますね」
そう言って微笑む翠華。
それに対してなんとも言えない表情をしていると、黒龍が移動して俺達に頭を下げる。
「乗れって言ってるのか?」
「みたいですね」
頭を足場にするのは気が引けたが、他は高すぎて片手で登るのは苦労しそうだったので内心で謝りながら黒龍に登る。
俺と翠華が首を通過した辺りで黒龍が顔を上げ、その振動で俺はバランスを崩す。
「おぁっ!? あっぶね……」
首に抱き付く形でどうにか落ちる事だけは阻止していると、後ろに座って居る翠華がクスリと笑う。
「ご主人様、大丈夫ですか?」
「見てわかる通り、落ちる事だけは阻止している所だ」
こういう時に片腕しかないのは不便だ。
残っている右手に何かを持っていたら、どこかに捕まって身体を固定する事さえ出来ない。
「確かに、今のご主人様では辛い状況かもしれませんね」
「せめて、寝華に鞘があればどうにでもなったんだけどな」
「私と寝華の鞘はあの人が持って行ってしまったので……」
「わかってる。ちょっと愚痴を言いたくなっただけだ」
純は全てが終わった後に取りに戻ってくるつもりで鞘も持って行ったのかもしれないが、後から回収する事になった俺からしたらいい迷惑だ。
いや……案外、普通に鞘を置いてくるのを忘れていたのかもしれないな。
『グルァッ!!』
そんな事を考えて居ると、黒龍が頭を上げて大きく咆哮する。
その咆哮は、まるで自分はここに居るという事を主張するように感じ、どこか自分が目覚めた事を世界に伝えているようにも見えた。
「飛ぶみたいですね」
と、そこで翠華がそんな事を言う。
確かに、黒龍は翼を広げて今にも飛び立とうとしている感じだ。
「え? 俺、このまま?」
「しばらくは……そうですね」
この龍の首に惨めに抱き付いている状態から解放される事はなく、黒龍はそのまま翼を広げて真上に見える穴へと向かって飛び立った。
「え、ちょ……早すぎるっ!!」
黒龍の飛び立つ勢いが良すぎて、この体勢でよかったと心底思ったのは別の話。




