願いと呪い
生きて――
その言葉は、一ノ瀬 裕の前世である『谷上 純』という存在にとっては『願い』であり『呪い』でもあった。いつかのどこか、遥か昔に何よりも大切な一人の女性から言われた言葉。
願った彼女からしたら、それは単なる純粋な『願い』であっただろう。
だが、谷上 純にとっては願いで済む話ではなく、いつしかそれは呪いとなった。
どんなに絶体絶命な状況、決して勝てないであろう敵……それらに直面した場合でも彼は必ず生きるという事に執着したのだ。
そして、それは生まれ変わり『一ノ瀬 裕』という存在になってからも心のどこか奥底にずっと燻っている事でもあった。
「……生きなくちゃ」
『パパ、動いちゃダメだよっ!』
脇腹を斬られ、洞窟の壁へと打ち付けられた裕は血を流しながらもゆっくりと立ち上がった。
桜花も裕に動かないように促すが、それを無視して立ち上がり一歩踏み出した裕はそこでようやく脇腹からの出血に気づいたようだ。
「桜花、貰うぞ」
「えっ……ぅっ!!」
桜花の苦しそうな声と同時に裕の身体はバチバチと閃光を散らし始める。
それを確認した後、裕はそっと閉じていた右目を開ける。すると、右目は紅くランランと光っており真っ直ぐと自分が生き残る上で邪魔となる存在へと向けられていた。
「ふぅ……」
桜花を地面に刺した裕は腰のポーチから一本のワイヤーを取り出し、それを口に咥えた後に桜花を再度右手に持ち、器用に右手と桜花に巻き付けていく。
「コレで、きちんと振れるな」
軽く桜花を振った裕はその状態に満足したように呟き、腰を少しだけ落とす。
そして、その場から消えた。
次に現れた時は壁際から離れた敵の目の前だった。
裕が移動した道には紅い線が道しるべのように伸びており、彼が異様な速度で接近した事を知らしめていた。
「……」
反応し切れない敵に対して振るわれたのは、何の感情も込められていない攻撃だった。まるで、道端に転がっている邪魔な石を蹴るかのように適当に振るわれた桜花は、結果として鋭く、素早く、敵の右手首から先を斬りおとした。
ズシンと大きな音と砂煙を立てて右手と共に鉈が地面に落ちる。
それを気にした様子もなく、裕は再度右腕を振ろうとして直感的に危ないと判断し大きく後ろへと飛んだ。
裕が後ろへと飛ぶのと同時に、先ほどまで立っていた場所を敵の左腕が通過する。それを確認しながらも特に焦った様子はなく、無表情、無感情のままに裕は刀を構えた。
裕が現在戦っているのは、ゴブリンの上位種であるメガスゴブリンという生き物だった。通常、発見されれば多くの冒険者がチームを組んで討伐しに行く程の相手である。
そんなメガスゴブリン相手にステータスが大幅に減少している裕が戦えているのは、二つの要素があるからである。
一つは裕が『直感』と認識している物。
コレは決して直感や本能的と言った物ではなく、裕の前世である谷上 純がこの世界で戦い抜いた経験である。
裕は前世の事はほぼ覚えていないが、記憶の奥底に沈んでいる経験だけは無意識のうちに引っ張り出しているのだ。
二つ目は魔力を貯め込んでいた魔刀が手元にある事。
従来【スキル:刀剣術】を所持している人間は魔力を補充する事が出来ない。だが、それは半分正解であり半分不正解でもある。
魔力を補充出来ないから、最初から持っている魔力を全て使い切ったら魔法を使えないと認識されているが、正確にはそうではなく本人は魔力を貯め込む事が出来ないが、魔刀は魔力を貯め込む事が出来るのだ。
つまり、魔刀の所有者は任意に魔刀が貯め込んだ魔力を引き出し、魔法を行使する事が出来るという事だ。
裕はその事を知らないし、使い方も知らないが現在は『生きて』という願いであり呪いにより、深層に沈んでいた谷上 純という精神が表面上に出現し、ソレを行使する事が出来ている。
言うなれば、現在は身体が一ノ瀬 裕で精神は谷上 純と一ノ瀬 裕を足した状態なのだ。
「はぁ……寒くなってきたな。外はもう暗くなってきてるかもしれない」
裕は軽く息を吐いて、それが白く染まるのを見て呟く。
実際、穴から落ちてからどれだけの時間が経ったのかわからなくなっていたが、周りが気温の低下と薄っすらと周りが暗くなってきている事を考えれば、相当な時間が経っているのは明らかだった。
「手早く済ませよう」
桜花を握り直し、メガスゴブリンを見据えた裕はその場から消えた。
次に現れた時はメガスゴブリンは左腕を斬りおとされ、右肩に裕が乗っている状態だった。
裕は左腕を足台にした後に攻撃される事を嫌って斬りおとし、右肩に乗ったのだ。
「人差し指分だ」
右肩に乗った裕は素早くメガスゴブリンの首に桜花を突き立てた。
メガスゴブリンはその痛みに暴れるが、裕は決して桜花を離す事はせずにそのまま桜花を抉るように捻ってトドメを刺す。
「はぁ……」
メガスゴブリンが死んだ事を確認した裕はフラフラと黒龍の元まで歩いていき、その黒い鱗に寄りかかるように座る。
「流石に、無理をしすぎたな……」
ワイヤーが右手に食い込んでいるのを苦労して口で外した裕はその場に桜花を置き、脇腹に手を当てる。
「いってぇ……」
裕はそれだけ言って、そっと意識を手放した。
 




