契約をここに
膝の上で寝てしまった桜花を抱きかかえ、佐々木と一緒に廊下を歩く。
数分待ってみたが、シエル姫は一向に帰ってくるような気配はなかったのでとりあえずは病室に戻ろうという事になったのだ。
「何て言うか……色々と話が進んじゃったね」
隣を歩く佐々木が苦笑気味に笑いながら言う。
確かに、過去話を聞いた辺りからトントンと話が進んで行き、気づいた時にはシエル姫の支援を受けられる事になっていた。
「まぁ、そうだな」
支援の内容はわからないが、きっと俺が損をする事ではないだろう。
「あれ? 一ノ瀬君、意外と冷静なんだね。学校で見た感じとは違う……」
「そうか? これでも、結構内心では困惑してたりするんだけどな……てか、学校で見た俺は佐々木の目にはどう映ってたんだよ」
俺が聞くと、佐々木は楽しい思い出を思い出すかのように微笑む。
「美咲ちゃんと、いつも夫婦漫才をしていたなぁ」
「してないだろ!?」
確かに、美咲のボケに何かと突っ込んでいた事は多かったが、それはアイツが天然なだけであって決して夫婦漫才をしていたわけではない。
「あんまり大声を出すと、桜花ちゃん起きちゃうよ?」
「む……」
佐々木に指摘されて、ぐっと口を紡ぐ。
気持ちよさそうに寝ている桜花を起こしてしまうのは、何と言うか可哀想だ。
「……一ノ瀬君は、龍剣山? に行く気なんだよね」
「まぁ、そうだな」
俺が返事をすると、佐々木はそっとその場で立ち止まる。
それに釣られるように、俺も立ち止まり佐々木の方を向く。
「……死んじゃうかもしれないよ?」
「……」
死ぬかもしれない――それは、シエル姫から話を聞いた時に自分でも思った事だ。
むしろ、龍剣山に行って俺が死なない可能性の方が限りなく低い事だろう。だが、そこに行かない事には何も始まらない。
もしかしたら、違う道もあるのかもしれないがこの世界での知識がほぼない俺にとっては、そこに行くしか選択肢が存在していないのだ。
「それでも、俺は行くよ」
「……っ! 美咲ちゃんだって、そんなの望んでるわけが――!」
「佐々木っ!」
「っ!」
佐々木がその言葉を全て言う前に止める。
その言葉を聞いてしまったら、俺は佐々木の事を嫌いになってしまうだろう。
「そんな事はわかってる。これは、俺の自己満足だって事もだ……だが、その言葉を美咲以外から聞く事は出来ない……佐々木には、感謝してるんだ。だから……言わないでくれ」
そう、美咲が俺の行動を求めているなんて思っていない。
だが、それを本人の口から聞くまでは【確実】ではないのだ。
他人の妄想や想像で、気持ちを代弁する事は……少なくとも、美咲の気持ちを勝手に口にする事は許せない。
「……ごめん」
「いや、いいんだ」
佐々木もわかっているのだろう。
だから、ここで先を無理矢理にでも言おうとしない。
だが、これで本当によかったのだろうか?
ここで、佐々木の言葉を最後まで聞いて立ち止まっておけばよかったんじゃないだろうか?
無言で廊下を歩きながら、俺はそう思わざる負えなかった。
結局、一言も話さずに病室に到着し、佐々木とは一言二言簡単な会話をしただけで別れた。
佐々木との微妙な空気も気になるが、今はそれ以上に龍剣山を踏破するために必要な事を出来る限りしておく事が重要だ。
「桜花、起きてるか?」
「ん~……」
抱きかかえたままの桜花に話しかけると、桜花は少し身じろぎをした後にその目を開ける。
「パパ……? どうしたの?」
真っ直ぐと俺の瞳を貫く視線。
それをこちらも真っ直ぐと返しながら、ゆっくりと言葉を発する。
「契約をしよう」
「……」
桜花の表情は寝起きと変わらず、その瞳からも何も読み取る事は出来ない。
故に、俺は最初と同じように真っ直ぐとその瞳を見ることしかできない。
「ほんき?」
数分、数十分、数時間だったかもしれない。
長い間見つめ合っていた桜花は、そっとその口を開いた。
「本気だ。コレが、最良の選択肢だ」
「パパの右目を貰う事になっちゃうよ?」
「構わない……と言っても、右目は魔王に潰されて、もうないけどな」
苦笑気味に言うと、桜花は右手を伸ばして俺の右目に付けられている眼帯を触る。
「だいじょうぶ。これくらいなら契約できるよ」
「そうか。なら……」
「うん、いいよ」
桜花はそっと俺の腕から飛び降りると、下から俺を見上げる。
それと同時に、俺と桜花を囲うように魔法陣が広がる。
中央は黒く、外円は白い魔法陣の中央に俺と桜花は向かい合って立っている。
「パパ、しゃがんで?」
言われるままにしゃがむと、桜花は右目についていた眼帯を外してそこに指を添える。
「契約をここに」
その言葉と共に魔法陣が収束し、俺は右目からガチガチガチと何かが構成される音を聞いた。
あまりの異音と魔法陣の眩しさに閉じていた目を開ける。
「……契約は、せいりつしたよ」
目の前には、そう言って微笑む桜花。
その光景を俺は【両目】でしっかりと見据えた。
「ありがとう……って、桜花少し背が伸びたか?」
「んー?」
立ちあがって桜花を見てみると、先ほどまで俺の太ももまであるかないかくらいの身長だったのが腰くらいまで大きくなっていた。
「わかんない~」
桜花自身にはわからないらしく、俺に抱き付いてくる。
うん、やっぱり大きくなってる。
「これも、契約の影響なのかな……」
桜花の頭を撫でながら、俺はこういう事を気軽に聞ける凍華が居ない事を残念に思った。




