あなたのいない日常③
男の人に連れられて入ったのはお客さんが誰も居ないレトロなカフェだった。
長年この街に住んでいて、結構ここら辺でも遊んだ記憶があるけどこんなお店があるのは知らなかった。落ち着いた雰囲気の店内に、聞いたことがない静かな曲が流れる店内。カウンターには金色の長い髪をポニーテールに纏めた女性が立っている。
女性は入店した時にチラリと私たちを見たけど、特に何も言わずに手元に持ったグラスを黙って磨いている。彼女の後ろには色んなボトルが並んでいるし、夜はバーになるのかもしれない。
店内は素敵な雰囲気だ。どこか、懐かしいとさえ感じる店内を彼は迷いなく歩く。きっと、通いなれているのだろう。
「さて……」
「……!」
店内の窓際にあるテーブル席に座った所で彼は口を開く。
膝の上に背負っていた寝ていた子を乗せて、真っすぐに目を合わせてくる顔を見るだけで私の心臓はうるさいくらいに高鳴る。
何を言ったらいいんだろう。どう伝えれば私の気持ちが間違いなく伝わるんだろう。そう考えこんで中々喋れない私に彼はそっとメニュー表を手渡してくる。
「焦って何かを話そうとしなくても良い。とりあえず、何か飲まないか? ここのブレンドは結構美味いよ」
「あ……はい」
おすすめされるがままにブレンドを指定し、男性が慣れた感じで注文をする。
私たちの会話が再開されたのは、注文したコーヒーが手元に届いた時だった。
「あの……私たち、どこかで会った事がありませんか……?」
言ってから「しまった」と思った。
コレでは逆ナンだ。しかも、古典的なやつ。
あわあわと誤解されていたらどうしようと慌てる私を傍目に、目の前に座る男性はマグカップを片手に片目を閉じて考え込んでいた。
「どこかで、か……」
「……」
その仕草が、私の無いはずの記憶を刺激する。
私が知っている“彼”も考えるときに片目を閉じる癖があった。
「変な話だと思うかもしれないんですけど……私、貴方の事を知っている気がするんです」
「……というと?」
「夢で……貴方を見た気するんです。ここじゃないどこかで……」
「……」
男性が手に持っていたマグカップをテーブルに置く。
「気のせい、という事は? 夢の中で自分が知らない人に会って、たまたま今日こうしてその人に似た俺に出会ったという可能性もあるんじゃないか?」
「それは……」
あり得ない、と断言できる。
この胸のざわめきは決して嘘でも勘違いでもないと、そう言い切れる。
でも……その事をどう言葉にすれば伝わるんだろう。私には目の前に座っている男性にこの想いを間違いなく伝えるだけの言葉が思いつかない。
何も言えない私を彼はジッと見つめている。
無限に続くかに思えた無言の時間は、来客を知らせるベルが鳴った事で終わりを告げた。
「もう。あまり遠くに行っちゃダメって言いましたよね?」
「えへへ~……だって、珍しい物が沢山あったんだもん」
「沢山あったんだもん。じゃ、ありません。翠華も白華を捕まえるのを手伝ってくれてありがとうございます」
「私は凍華ちゃんのお手伝いをしただけですよ」
何やら話しながら入ってきたのは三人の少女。
真新しい雪のように真っ白な長い髪を持つ少女。
白い雲に青空を溶かしたような色の長い髪の少女。
金色の長い髪を揺らした少女。
全員、見た事がある子達だった。
「兄さん。遅れてしまってすいません」
「いや、連れて来てくれて感謝してるよ。俺は寝華を背負っていたから白華を捕まえるのは難しかったしな」
「寝華ちゃんはまだ寝てるの~?」
「この子は寝ているのが普通ですからね」
「ふぅん……あっ! サオリだ!」
「え……?」
突然、真っ白な髪を持つ少女――白華と呼ばれていた少女が私を見て声を上げる。
その後、反応出来ていない私の隣に座ってニコニコと笑みを浮かべる。
「え、えっと……」
「白華……」
「えー? どうせ、何かと言って煙に撒こうとしてたんでしょ?」
「それは……」
「無駄だと思うけどなぁ~。だって、声を掛けてきたのはサオリの方からなんでしょ?」
「え、あ、うん……」
急に話を振られて混乱したまま頷くと、白華ちゃんはまたニコーと笑みを浮かべる。
不思議な感覚だった。この子を私は知っている。
「ねぇ、サオリは私の事を知ってるんじゃない?」
「知っている……と言えるほどじゃないんだけど、昔……どこかで会った事がある気がする」
「ふぅん……例えば、どんな所で会ったような気がするとかは? 町の中とか家の中とか、そういうの」
視界の端で何かを言おうとした男性を凍華ちゃんが宥めているのを見ながら、白華ちゃんに言われた事を考える。
違和感を感じたあの日からずっと断片的に脳裏に浮かぶ映像。そこはどんなところだったか。
「森の……小さな小屋で、私と白華ちゃんと……彼とテーブルを囲んでて……」
「うんうん」
「私と白華ちゃんが話してて、ふと彼を見たら頬杖をついて目を閉じてたの……」
「そっかぁ……ねぇ、コレはもう確定じゃない?」
私の話を聞いた白華ちゃんが男性へと目を向ける。
釣られて視線を向けてみれば、そこにはどこか不服そうな顔をした男性が居た。
「……で、どうしろと?」
「ちょちょっと記憶を戻せばいいんじゃない?」
「簡単に言うな」
「今だったら簡単な事でしょ? その飲み物を飲みながらでも出来るじゃん」
「……」
「兄さん。私も白華ちゃんに同意です。このまま行ってもどこかしらで綻びが生まれるのでは? というよりも、既に綻んでいるわけですし……いつかは紐解かれてしまいますよ?」
「凍華まで……」
二人に言われても中々首を縦に振らわない彼に私は一抹の不安を覚える。
きっと、この人は私が忘れてしまっている事を知っている。でも、もしかしたらこの人は思い出して欲しくないのかもしれない……。
そう考えると、胸が苦しくなった。
「あの……もしかして、貴方は私に思い出して欲しくないんですか……? 何か、私との記憶に思い出したくない事があるとか……」
だから、つい口から出てしまった言葉に彼は目を見開いた。
「そんなことはないっ!!」
初めて聞いた彼の大声が店内に反響する。
それに驚いたのは私だけじゃなくて、声を出した彼もだった。
「ぁ……いや……君との記憶に嫌な事なんて何一つない……」
「じゃあ、なんで?」
「……俺にとってはない。でも、君にとってはあるだろう。このまま、忘れてしまっていた方が幸せだったと思うような事も少なくないはずだ。俺は……君には、この世界で幸せに生きて欲しい」
振り絞るように発せられた声。
そこに嘘を言っているような気配はなくて……何よりも、テーブルの上で握りしめられた手が震えている事から事実として私が思い出したくない記憶があるのだろう。
でも―――
「例え、思い出さない方が幸せだったとしても……」
「……!」
「私は、思い出したい。だって、貴方との記憶は絶対に大事な物だったはずだから……その記憶を思い出さずに暮らして幸せになることなんて私には出来ない」
そっと、彼の手を自分の手で包んで目を見て言い切る。
硬い手だった。触ってみて気づいたけれど、手のあらゆる場所に傷跡があって痛々しい。それでも、この手を触った時に私が探していた手はこの手だと確信を持った。
「……わかった」
どれくらい目を合わせていただろうか。
不意に彼がそう呟いて私の手を握った。
「もし……思い出して、また忘れたいと思ったら言ってくれ」
彼の指が私がはめていた指輪を触る。
「……!」
風が吹いたと思ったら、彼の目は黒から紅く染まっていた。
見慣れた目だった。どこか哀愁を感じる紅色の奥に間違いなく彼自身の優しさが隠れているように感じて私は好きだった―――。
「―――」
そこで、私の意識は途切れた。
このサブタイトルとエピローグで本編完結ですので、もう少しだけお付き合い頂けると幸いです。
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