あなたのいない日常②
あの日から沢山の時間が過ぎた。
もう、あの日にみた夢の事や付き纏う違和感の事を誰も話題にすることは無くなっていた。いや、もしかしたら本当に忘れているのかもしれない。この違和感と焦燥感を抱いているのは私だけなのかもしれない。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
お母さんに見送られながら家を出る。
弟はお父さんと一緒に少し早めに家を出ている。
いつも通りの日常のはずなのに、私は今でもどこか違和感を感じている。
「さむ……」
コートの襟を内側に引いて、マフラーを首に巻く。
季節はもうすっかり冬で、今日の天気は今にも雪が降りそうなくらいにどんよりとしている。
「そういえば……あの耳鳴りももう聞こえないな……」
ずっと響いていた金属音も気づいた時には聞こえなくなっていた。
それ以外にも違和感は残っているものの、それ以外は消えつつある。
「このまま忘れちゃうのかな」
口に出してから、それもいいかもしれないと思った。
周りはもう忘れている。ずっと、こうして悩んでいる自分がおかしいとさえ感じる。それは、学校という空間では自分だけが輪に入れていないように感じて寂しい物だった。
「あれ……?」
ふと、頬に冷たい物が流れる。
雨かな? と思って地面を見てみてもそこに雨粒の後はない。
「涙……」
目を拭って、そこで自分が泣いているんだとわかった。
それを自覚した事で、謎の罪悪感が胸に押し寄せてくる。
『待って……私だって絶対に忘れない……【――】の事も、【――】と過ごした短いけど温かな日々を絶対に……』
自分の声が聞こえた。
間違いなく自分の声。でも、その言葉を言った記憶はどこにもない。
「……ねぇ、貴方は誰なの?」
その言葉を言った相手に向かって問いかけても答えなんて返ってこなかった。
△
▽
「か……さん。神崎さん」
「ぇ……?」
顔を上げると机の前に一ノ瀬君が立っていた。
黒い目と目が合うと、彼は気まずそうに目線を逸らした。
「ごめん。ちょっとボーっとしてた。どうかした?」
「図書委員の仕事」
「あ、そっか……すぐ準備するね」
気づけば放課後。
明日から冬休みという事もあってクラスは和気あいあいと予定を立てていたりする。
ただ、その前に私は図書委員の仕事がある。それも……一ノ瀬君と。
荷物を持って待っていた彼と一緒に教室を出て廊下を歩きだす。
あの日から無意識に彼を目で追う事は多々ある。同じ図書委員として話す事もあるが、友達が言うような感情はそこにない。
ただ……彼の事が気になるのだ。
だから―――
「一ノ瀬君は冬休み何か予定あるの?」
――話しかけていた。
「特に……あぁ、いや。美咲の家となんかやるって言ってた気がするな……」
「幼馴染で家族の付き合いもあるんだもんね」
「なんで知って……いや、神崎さんは美咲と仲が良かったな……」
げんなりとした表情から、美咲ちゃんがまた色々と言ったんだろうと思っているのがわかった。
「美咲ちゃんは一ノ瀬君の事が大好きだからね」
「すっ……!? いや、まぁ、どうだろ」
そんな話をしていると、目の前から佐川 涼平君が歩いてきた。
だけど、私と一ノ瀬君の姿を見た瞬間にそそくさと来た道を戻って行ってしまった。
「なんだろ?」
「さぁ……。でも、佐川だけじゃなくて安田も俺の顔を見ると逃げていくんだよな……」
「何かやったの?」
「いいや。記憶にない」
そんな会話をしている内に図書室へと辿り着き、二人で作業を始める。
作業と言っても返却された本を棚に戻したりするだけだけど。
「じゃあ、俺はこっちからやってくよ」
「うん。私は逆側からやってくね」
二人で本を抱えて作業へと向かう。
本に付いてるラベルを確認して、本棚にある記号と同じ所に入れていく。
単純作業だけど、こういうのは結構好きだ。
よく、見た目からギャルだなんだと言われるけど、それは誤解だ。
髪は染めていない。お母さんの家系で外国の血が入っていて、それが私に出てしまっただけ。
だから、この金髪は地毛だし。おしゃれは好きだけど……。
でも、読書も好きだ。
休日は良く本を読んで過ごしているし。
そんなことを考えながら作業をしていると、反対側から大きな音がする。
慌てて持っていた本を置いてそっちに行ってみると、そこには散らばった本に囲まれた一ノ瀬くんが尻もちをついていた。
「だ、大丈夫!?」
「いってぇ……」
慌てて近寄ると、一ノ瀬君は片手を頭に当てながら首を振っていた。
どうやら、上の段に仕舞ってあった本が落ちて来て直撃したらしい。
「見せて」
「いや、いいよ……」
「ダメだよ。怪我とかしてたら保健室に行かなきゃだし」
一ノ瀬君の手を取って頭から退ける。
そして―――
「ぁ……」
―――なぞってしまった。
彼の、右目を……。
そこにはちゃんと黒い瞳があって……怪我なんて一つも無かった。
左手で握った彼の手も柔らかくて、暖かい。
争いごとなんてしたことがないような手。怪我なんて一切なくて、刀なんて、握った事がない手。その手で人を殺した事なんてない……綺麗な、手だった。
彼のどこを見たって怪我痕なんてないだろう。
苛烈な戦いを走り抜けて、あらゆる強敵と戦って命を繋いできた証である無数の傷跡が彼にはない。
そこで、私は理解した。
私はずっと一人の男性を探していた。ずっと……誰かを求めていた。
それが一ノ瀬君に似ているような気がして、目で追っていた。
でも……今、こうして触れてみてわかった。
彼は違う。
戦い方しか知らなくて、羽を休める事さえ知らなかった。
窓際に置いたテーブルで頬杖をついて瞳を閉じる姿を見た時、よくやく羽休めをしているんだとわかって嬉しかった。
周りは敵しかいなくて、戦う事でしか前に進めない人。
理不尽が世の中を歩き回っていて、命がとても軽かった世界。神に見放され、破壊と殺戮と強奪だけが蔓延した地獄のような世界で形作られた悲しい人。
そんな世界で――地獄の中で冷たさの下に優しさを捨てきれなかった人……それが、彼だった。
そこで理解させられた。
この世界に私が求める彼は、存在しない。
あの地獄のような世界にも、彼は居ない。
何故なら―――
「……っ」
「か、神崎さん!? 俺の怪我、そんなに酷かった!? それとも、どこか打ったとか……」
「ううん、違う。大丈夫……ごめん」
「いや、どう見ても大丈夫な顔じゃ……」
――彼は、その命を代償に世界を救ったのだから。
「本当に大丈夫だから。ほら、怪我もなさそうだし仕事ぱっぱと終わらせちゃおう」
「あ、うん」
素早く立ち上がって、本を拾い集める。
一ノ瀬君には背を向けた。これ以上、彼の顔を何故か見てはいられなかった。
△
▽
図書委員としての仕事を終え、学校を出た私はフラフラと目的も無く街を歩いていた。
色んな記憶の断片が頭に溢れかえっていて、でも、その中に私が求める彼の顔とか細かい情報はなくて――そんなごちゃごちゃした頭を冷しかったからだ。
それ以外にも、もしかしたらこうして歩いていたら……どこかで会えるかもしれない。そう、未練がましい気持ちもあった。
「もう、会えないって何となくわかってるのにね……」
世間は年末に向けて人で賑わっている。
他の学校の生徒が複数人でこれから何処に行くと会話していたり、店の前でお正月に向けた商品を宣伝する店員さん。他にも街のあらゆる所に今年はもう終わりだという雰囲気が漂っている。
でも、それは悲しい雰囲気ではない。
来年に対する希望のような、明るい雰囲気だった。
「……」
その中に居ても、私の心は沈んだままだった。
ようやく手がかりを見つけたと思ったら、ソレが二度と手が届かない事だと知ってしまったからだ。
「寒いなぁ……」
マフラーを首元に寄せて視線を下へと向ける。
そうしないと涙が出てしまいそうだった。
「わーい!」
「ぁ……」
そこで、目の前から子供が走ってくる気配がした。
ぶつかってはマズイと思って視線を上げると、丁度、白く長い髪をした女の子が隣を走っていく所だった。
「こら! 走ると危ないですよ! 兄さん、私はあの子を見ておきますね」
その後ろから青味がかった長い銀髪の少女が先に行った女の子を追いかけて行った。
(外国の人かな……?)
その珍しい髪色にそんなことを思いつつ少し端によって歩き出す。
「あまり遠くには行くなよ」
「――――!」
その声に思わず立ち止まった。
低く、どこか気怠そうな声だった。でも、間違いなく聞いたことがある声だった。
だが、それ以上に心臓が高鳴ったのだ。
あの人だ、と。
急いで振り返ると、そこには人込みに飲まれていく男性の姿があった。
黒いロングコートを着て、その背に小さい女の子を背負いながら隣を歩く金髪の少女と話しながら歩く姿。
その顔は見えなかったけど、本能よりももっと根本的な……魂が震えた。
「……っ!!」
私は走りだした。
人を避けながらだから中々縮まらない距離にヤキモキしながらも、その人を追って走った。
そして―――ようやく、その人の右腕を掴んだ。
「あの……!!」
「ん……?」
私に右腕を掴まれた男の人が振り返る。
黒い髪に黒い目。どこか一ノ瀬君に似ているが、歳は目の前の男性の方が上だろう。
「あの……何を言っているのかわからないと思いますけど……! 私、貴方をずっと……あの……!」
「……ゆっくりで良いから、落ち着いて。翠華、先に行った二人を呼び戻してきてくれないか?」
「わかりました」
男性がそう言うと金髪の女の子が去っていく。
「さて……」
残されたのは私と男性と、彼の背で寝ている女の子だけ。
「人目もあるし、どっか入らないか?」
「あ、はい……」
そこで私は周りから見られている事に気づいて、顔を赤く染めた。
このサブタイトルとエピローグで本編完結ですので、もう少しだけお付き合い頂けると幸いです。
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