あなたのいない日常①
夢を――――見た。
辛い日々を過ごして、そこから誰かと出会って一緒に旅をして……。でも、最後にその人は私の肩をそっと押した。
後ろに倒れる私の視界に映ったのは閉まりつつある扉と、その隙間から見える槍に貫かれた男の人。
『待って―――!』
そう叫んで腕を伸ばしても届く事はなくて……徐々に記憶が薄れゆく中で私は忘れたくないと願った。
△
▽
カーテンの隙間から差し込む光。
春という事もあってほんの少し暖かい陽気に包まれた部屋の中で私は目を覚ます。ゆっくりと目を開ければ映るのはよく見知った天井。体を起こして周囲を見回してみればいつも過ごしている自室のはずなのに、どこか懐かしい気分になる。
まるで……ずっと長い間、旅行に行った後のよう。
「……?」
ふと、左目に違和感を感じて触ってみると指先が少しだけ湿っている。
寝ている間に何か夢を見た気がするんだけど……もしかしたら、悲しい夢を見ていたのかもしれない。稀にそういう事もある。
「あれ? こんな指輪持ってたっけ……?」
そこで、目を拭った左手――その薬指にはめられている指輪が視界に入った。
シンプルな銀色のリングに小さな赤色の宝石が付いた指輪。よく見てみれば薄く葉のレリーフが彫られている。
記憶をいくら探ってもこの指輪について何一つ出てこない。
なんだか不気味に思えて外そうとしたけど、指輪を摘まんだ所から手が動かなくなってしまった。
「あ、あれ……? なんで……私、外したくないって思ってるんだろう……」
さっきまで外そうと思っていたはずなのに、今は絶対に外したくないと思っている。
それからしばらく格闘していたけど、ふと視界に入った時計に映し出された時間を見て私は大急ぎでパジャマから制服に着替えて部屋を出た。
「ごめん、武! すぐにご飯を――――」
「あら? 沙織。そんなに慌ててどうしたの?」
「……」
「お姉ちゃん?」
ダイニングの扉を勢いよく開いた所でそう声を掛けられる。
テーブルにはお父さんが座って新聞を読んでいて、武が朝食が載ったお皿を運んでいる。視線をズラせばそこにはお母さんが完成した朝食をお皿に盛りつけていた。
「あれ……?」
目の前に広がるのは“いつもの”光景。
お父さんとお母さんの仕事も落ち着いて、数年前からこうして一家で食事をするのは当たり前だ。
なのに……どうしてだろう?
さっきまで私は、仕事で朝早くに家を出たお母さんの代わりに武に朝ご飯を作ってあげなくちゃと思っていた。
「ボーっとしてなぁに? もしかして、まだ寝ぼけてる?」
「ぇ……いや……そう、なのかな?」
「変なお姉ちゃーん」
武がケタケタと笑う。
お母さんは仕方ない子を見るような優しい目で私を見る。
新聞を読んでいたお父さんは心配そうな目を私に向けてくる。
いつも通りの光景。
暖かい、いつもの日常。その……はずだ……。
(でも……なんで? どうして、私はこの光景に違和感を感じているんだろう……)
結局違和感の正体を見つける事は出来ずに私は促されるままに朝食を食べて身支度を整えて家を出る。
キィン――――――…………
通学路を歩いていると、たまに耳の奥で金属がぶつかり合うような音が聞こえた。甲高い音にビックリして周囲を見渡してみてもそこに居るのは同じ学校に向かう生徒たちだけで、どこにも工事をしている場所とかは無い。
キィン――――……
それに、この音を聞いていると懐かしい気持ちになる。
もしかしたら、幼い頃に似たような音を聞いた事があるのかもしれない。それか、耳鳴りかも? 後でお母さんに聞いてみようと考えた頃には教室の前に居た。
「おはよ~」
慣れた動作で教室の扉を開けると、そこにはいつものクラスメイト達が居た。
それぞれが「おはよー」とか「昨日のNステ観た~?」と話しかけて来てくれるのに相槌を打ち、自分の席に座る。
私の席は窓際から二列離れた席の一番後ろ。教壇の上に立つ先生と目が合う事が少なくて実は気に入っていたりする。それ以外にも、ここからだとクラスの事がよく見えて何となく好きだ。
「もぉ~。また夜更かししたんでしょ? ゲームでもしてたの?」
「いや……今回はそういうわけじゃなくて、なんか夢見が悪かったんだよ……」
「今回は……? ってことは、前に買い物の約束に遅刻したのって……」
「しまった。藪蛇だったか……」
そんな会話をしながら二人の男女が教室に入ってきた瞬間、教室で会話をしていた生徒全員が一斉に黙った。
だけど、それも一瞬ですぐにみんながいつものように会話を始める。
確か……男の子の方は一ノ瀬君だったよね……女の子の方――美咲ちゃんとは結構話すから知ってるけど、一ノ瀬君は教室で見かけるくらいで話したことはないんだよね……。
そういえば、いつもなら柏木君が一ノ瀬君に何かと言いに行ってるけど今回は行かないのかな?
そう思って柏木君の方に目を向けると、彼はどこか気まずそうな表情を浮かべて馬込君達と話していた。どうやら、今日は小言を言いに行く気はないらしい。珍しい事もあるものだ。
「……」
自分の席に座ってボーっとしていると、自然と視線が一ノ瀬君に向く。
彼は窓際の一番後ろにある自分の席に座って美咲ちゃんと何やら会話をしている。
(今までちゃんと会話したことなかったけど、結構表情が変わるんだなぁ……同じ顔でもあの人とは大違い……)
「ん……?」
あの人って、誰だろう?
何で私はそんなことを考えたのか……なんだか、今日は目を覚ましてからおかしい。もしかしたら、風邪かな?
そんなことを考えていると、右肩をちょいちょいと突かれる。
視線を向けてみれば、そこには髪をポニーテールに纏めた活発そうな女の子――立川 唯ちゃんがニヤニヤと口に笑みを浮かべながら立っていた。
「沙織ちゃん、一ノ瀬君の方をジッと見てどうしたのかにゃぁ?」
「私、そんなに見てた?」
「おやおや? もしかして無意識?」
「まぁ……」
「そっかぁ~。沙織ちゃんはそういう事に興味ないのかと思ってたけど、やっと春が来たって事なのかなぁ~……あ、でも。一ノ瀬君は辞めておいた方がいいよ。美咲ちゃんが居るからね」
「そういうのじゃないんだけどなぁ」
二人が想いを寄せ合っているのは誰もが知っている。
知らないのは柏木君くらいか……彼は何かとそういう事に疎いし。二人が幼馴染だって事とあの距離感を見ていれば自然とわかりそうなものなんだけどな。
「じゃあ、なんで見てたの?」
「なんだろ……自分でもわからないんだけど、なんか気になったんだよね」
「それって恋じゃない?」
「そういうのじゃないんだよ。うーん、上手く言葉に出来ないんだけど一ノ瀬君を通して他の誰かを見てるって感じ」
「ふーん……?」
「私は、その感覚なんとなくわかるな」
ふと、そこで第三者の声がする。
目を向けてみれば、そこには佐々木ちゃんが立っていた。
「佐々木ちゃんも?」
「うん。私もなんだか今朝から変な感じで……」
「あ! それなら私もわかるよ! なーんか、変な夢を見た気がするんだけど思い出せないんだよねぇ~」
「それって……」
と、そこで朝礼の開始を合図するチャイムが鳴り、その話はそこで終わりになった。
思い出せない不思議な夢……ソレを私も見た気がする。何か、忘れてはいけない大事な事だったとも感じる。絶対に忘れたくない事を忘れてしまっている……そんな焦燥感をずっと心のどこかで感じている。
「どうにかして思い出せないかな……」
無意識に左手の薬指にはめられた指輪を撫でるのと、担任の先生が教室に入ってくるのは同時だった。
このサブタイトルとエピローグで本編完結ですので、もう少しだけお付き合い頂けると幸いです。
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