最愛の人との殺し合い①
自分の先を歩く黒いローブを幾重にも重ねたような服を身に纏う男の背中を睨みつけながら、柏木 春斗――この世界では勇者と呼ばれる少年は自身の左腰に差してある聖剣に声を掛けた。
「なんで、あの時に止めたんだ?」
その声には隠しようのない不満が込められていた。
あの時というのは目の前の男――一ノ瀬 裕が自分達に着いてきてくれた近衛騎士に対して言葉を放った時だった。
尋常ではない空気を前に持ち前の正義感から止めようとした春斗を聖剣は即座に止めたのだ。
《あの時にも言ったけれど、貴方は“アレ”と戦ってはダメなのよ》
「僕が負けるとでも?」
聖剣の言葉に春斗は眉を吊り上げる。
平和な日本という国から突然召喚された時は戸惑いもあったが、そこから自分なりに努力し、仲間達と協力をしながらこの世界で様々な戦いに身を投じて来た。
何回も死にそうになった事だってある。自分よりも遥かな強敵と戦って勝利した事だってある。そんな経験に裏付けされた自信を否定された気がしたのだ。
《ハルト……貴方は初めて私を握った時から確かに強くなったわ」
「なら―――」
《でも、アレはダメだわ。特に彼があの時に見せた漆黒の剣……あの剣から聞こえる声は酷すぎる》
「声……」
聖剣は全ての剣の元であり、全ての剣が行き着く到達点でもある。
神によって作られたそんな完成形とも言える剣は、あらゆる剣の声を聴くことが出来ると言う。
「教えてくれ。アイツは……一体何なんだ?」
《……》
「見た目はちょっと変わってはいるが間違いなく一ノ瀬だ。それなのに、早林は一ノ瀬じゃないと言うし、お前も……まるで人間を差すような言い方じゃない」
《…………》
「言えない、か」
自分の質問に対して聖剣が何も答えないのは初めての経験じゃなかった。
コレまでもあった。ただ、その理由を教えてくれる事はなかったが。
実際には聖剣としても、自身の所有者が見つめる背中の主について教えたかった。
春斗が自分の元同級生だと語るソレは人間ではなく、決して敵対してはならない存在であるという事を伝えて説得したい気持ちはあったが、彼女は最悪な事に“精霊”であった。
精霊は全てを識り、全てを記憶している。それ故に神から掛けられた誓約によって全てを語る事は出来ない。
「じゃあ、仮にアイツが一ノ瀬じゃないとしよう……なら、魔王か何かか?」
《ごめんなさい。ソレも言えないの……でも、答えはすぐにわかると思うわ》
「……?」
《貴方も感じるでしょう? 全ての終わりが近づいているの》
「全ての終わり……」
春斗が聖剣の言葉を反芻した所で男から静かな声が響いた。
「着いたぞ」
△
▽
階段はそんなに長くなかったと思う。
曖昧な表現なのは俺自身の限界が近くて、一体どれだけの時間上っていたのか正確にわからないからだ。
ただ、光が見えた先に現れた謁見の間と表現するのが正しい大部屋を見た時に安堵したのは間違いなかった。
「あ、やっと来た」
目の前に広がるのは広大な広間。
自身の足元から伸びるレッドカーペットを追って行けば、祈りを捧げる少女が描かれたステンドグラスを背景に鎮座している王座。そこに、声の主は居た。
「美咲……」
「気安く呼ばないでくれる? 私が貴方の正体を知らないとでも思ってるの?」
声の主――美咲は記憶に残っているものと同じ見た目で王座の右横に立っている。
だが、王座が空白というわけではない。そこには魔王ではなく綺麗な黒いドレスを身に纏い、長く綺麗な金色の髪を結わえた沙織が座っていた。
「桜木と……神崎?」
背後に立っていた柏木が呟き、それを皮切りにクラスメイト達がざわつき始めるが美咲はそんな事を意に介さない様子で口を開いた。
「バンデハークは……やっぱり死んじゃったか。まぁ、元々あんまり期待してなかったけどね」
「……魔王はどうした?」
「ん~? 魔王……? あぁ……魔王ね。ソレならソコに転がってるよ?」
美咲が指差した方――王座と俺達の間に当たる位置からレッドカーペットを逸れた場所にソレはあった。
「ひどい……」
背後からそんな声が聞こえ、中には嘔吐する者まで居た。
それほどまでに魔王……もとい、肉塊と呼ぶのがふさわしい程に破壊されたナニカは悲惨だった。
「私に入り込もうなんてしなければ生きていたのにね。素質がないのに無理をするからそうなっちゃうんだよ」
美咲の声を聴きながら俺は一歩踏み出し、そのまま魔王の亡骸へと近づいていく。
そんな俺を美咲は止める事もせずに興味深そうに見つめているだけだった。
《兄さん?》
凍華の声が脳内に響くが、何も答える事はせずに心刀をゆっくりと抜く。
薄く、光を反射して輝く僅かに黒く染まった黄緑色の刀身が現れた時、美咲はハッとした声を上げた。
「もしかして、ソレも助けようとしてるの?」
「ああ」
「ソレに何をされたのか忘れちゃったの? 貴方は片腕と片目を奪われたんだよ?」
「そうだな……」
「憎くないの?」
憎くないと言ったら嘘になる。
そもそも、コイツさえ居なければ俺はこんな旅をせずに済んだ。誰も奪われずに済んだはずだ。だが……それではダメだった。コイツと出会う事がなければ、俺は自分自身が何者であるかもわからずに終わっていた。
それに―――
「結局、コイツも哀れな男だった」
過去の女に囚われ、ソレを求めて彷徨い続けた哀れな男だ。
魔王なんて名乗ってはいるが、蓋を開けてみれば俺と同じただ一人の女性を求めて足掻き続けていた存在だった。
「せいぜい、次は囚われないようにするんだな……お前には、次があるんだろうから」
心刀を振り下ろせば、刃はすんなりと魔王だったモノに斬り込みを入れ、そこからナニカを吸い取って刀身を更に黒く染めた。
それと同時に光の粒となって宙へと上がっていく魔王を俺は見送った。
「ふぅん……」
やがて、それも収まるかどうかといった所で美咲の声が広間に響く。
決して大きな声ではなかった。むしろ、呟くような声量だったにも関わらずこの広い空間に響き渡ったのだ。
「つまんないね。私は貴方がソレに対して憎しみを全開にしてくれると期待してたのに」
圧を感じる声だ。
気をしっかり持っていないと意識を失ってしまう程の圧を伴っているにも関わらず、その声は淡々としているのが不気味だった。
「ま、いっか。余興は無くなっちゃったけど逆に考えれば素早く本題に入れるって事だもんね」
そう言って美咲が沙織に手を差し伸べれば、感情がない表情で座っていた沙織がその手を取った。
《兄さん、嫌な予感がします》
「ああ、俺もだ……」
俺と凍華が会話をしている間に沙織はゆっくりと立ち上がり、美咲はその体から紫色の魔力を放出し始める。
「私ね……偽物の貴方が大っ嫌いだけれど、一つだけ感謝している事があるの」
「それは……?」
「沙織ちゃんと一時的にだけど同化してくれたでしょ? そのお陰でね―――」
本能が警告を上げ始める。
今すぐ逃げろ。もしくは、全面的に降伏しろ。そう訴えかけてくる本能に連動するように冷や汗が背中を伝う。
一瞬の閃光―――その後に見えた光景に俺は絶望した。
《そのお陰で、沙織ちゃんに素質が少しだけ移ってくれたんだから。こうして貴方を斬る事が出来る》
「あぁ……」
沙織が右手に握った漆黒の刀。
素質無き者が無理に使えば先ほどの魔王と同じ道を辿るはずのソレを沙織は普通に持っている。
「コレは、俺の罪か―――」
奥歯を噛みしめ、心刀を鞘へと納めて沙織の前へと立つようにレッドカーペットへと足を進める。
《大丈夫。すぐには殺さないよ……貴方には裕くんの居場所を吐いてもらわないといけないから。あ、でも耐えられるかどうかは貴方次第だから出来るだけ早く吐いてね?》
ゆっくりと持ち上げられ、向けられた剣先からはどこか楽しんでいるような空気を感じる。
それもそのはずだ。美咲からしたら最愛の人を騙る男をずっと……ずっと長い間斬りたいと思っていたのだろうから。
「俺も、そう簡単に死ぬつもりはない。まだやるべき事があるしな」
向けられた剣先に応えるように左腰に差してある寝華の柄を右手で握る。
さぁ、始めよう――深く息を吸って抜刀しようとした瞬間、その声は響いた。
「待ってくれ!!!!!!」
「ッ――!」
振り向かずとも誰が発した声かはわかる。
何で今なんだと声を荒げたい気持ちがあった。黙っていろと今すぐに罵倒したかった。だが、俺が振り向いた瞬間に終わる事は明白だった。
《はぁ……柏木くん。貴方はこの舞台に呼んでないよ。観客なら黙って―――》
「同郷同士で殺し合うなんて間違ってる! 魔王が討たれたならもういいだろう? そこの一ノ瀬が偽物だと言うなら、本物は元の世界に居るのかもしれない。仮にこの世界に居るのだとしたら一度王都に戻ってから話し合いを―――」
《もういいよ――――》
美咲の静かな声が響く。
「間に合うか――――――ッ!?」
否、間に合わせる。
既に王座の前に沙織の姿はない。移動した事は考えるまでもないが、その姿を目で捉える事は出来ない。
即座に魔法を発動し、柏木を突き飛ばし寝華を抜刀。
ガキン! という音を聞いた。
視界一杯に広がる漆黒の刀身を睨みつけ、そのまま押し返しながら左手で右腰に差してある翠華を抜刀する。
《ふふ》
「ちっ―――」
横凪に振られた翠華を沙織はヒラリとバク転する事で避け、俺と三十歩ほど離れた場所に着地した。
「ゲホゲホッ! な、なにが……」
「お前はそこでジッとしていろ! 死なれると困るんだ!」
咳き込む柏木に手早く伝えてから沙織へと目を向ける。
相変わらず無表情だ。その原因を作ってしまったのが自分だという事実が嫌になる。
「ユウ……」
「沙織……もう、謝罪に意味なんてないけど……ごめん。必ず、助け出す」
左腕を前に突き出し、右腕を軽く上げる。
それに反応するように沙織も剣先を俺へと向けた。その構えは奇しくも俺がいつも白華でやるような半身片手の構えだった。




