今、俺達は。①
耳鳴りが鼓膜を叩き、ゆっくりと流れる視界の中で俺の右腕だけがぼやけて映っている。身体の感覚はない。それでも流れる景色から自分が倒れているのだという事だけはわかった。
俺は一体何をしていたのか? 今、どうするのが正解なのか? そんな疑問が泡のように浮かんでは消えていく。ただ、動かなければならない。そんな気持ちだけはある。
《―――さん!》
誰かの声が聞こえる。
叫びに近い程の声量で俺のすぐ近くで呼ぶ声だ。
「ぁ……」
右腕が真っすぐに正面へと向けて突き出され―――そこから黒い布が射出された。
黒い布は立ち込めていた砂埃を突き破り、その奥に居たこちらに背を向け、驚愕の顔を俺に向けている老紳士の姿を浮かび上がらせた。
「―――ッ!!」
意識が覚醒する。
そうだ。今は戦闘中だった。
「お……オォ!!」
瞬時に体内の魔力が活性化し、強制的に身体を動かす。
両足で床を踏みしめ、右腕を老紳士に向かって振るう。硬化した黒龍布が刃のように振るわれるが相手はそれを身体を逸らす事で避けた。
「ソレは……神由来の聖遺物ですか……」
老紳士――バンデハークが姿勢を正しながらそう呟く声が聞こえる。
聖遺物……ソレが何なのかはわからない。黒龍布は魔力を吸収する性質があるという説明だけを受けて譲り受けた物だし、その役目を果たしてからはただの意思を汲み取って動く布程度の認識だった。
「いや……」
今はそんな事どうでもいい。
この瞬間、ほぼ無防備とも言えるバンデハークを相手にそんな思考は無駄でしかない。
「凍華!」
《はいっ!》
右腕を引きながら左腕を伸ばすと、未だ立ち込めていた土埃の中から太刀が飛んできてその手に納まる。
両足に魔力を集中させ、地面を蹴った。
「私が手を打っていないと思っているのですか!?」
バンデハークの両腕が動き、周囲から何かが迫ってくる気配を感じる。
視線を素早く周囲に向け、身体の周囲に漂う青と黄緑色の燐光の動き方から動きを予測する。
「五歩だ」
身体を前へと深く倒す。
ソレはまさしく死の淵へと自ら身体を投げ出す行為であり、自らの首を相手に差す出すのと同じ事だ。それでもなお、活路は前にしか存在しないと信じて進む。
《兄さん!》
「――ッ!」
凍華の警告を耳にするのと同時に急停止。
一寸先の地面が爆ぜ、その中を再度走りだす。長く立ち止まれば的になる。
「行けッ!!」
「そんな小手先の技が通じるとでも!?」
右腕を伸ばし、そこから黒龍布がバンデハークへと真っすぐに伸びるがすぐに叩き落される。
「……――ッ!」
だが、本命は黒龍布ではない。
その後ろに仕込んでいたワイヤーがバンデハークの手首に巻き付き、右腕を引けばその体をこちら側へと僅かに倒す。
ほんの僅かな隙だった。バンデハーク自身もワイヤーが巻かれた事にはすぐ気づいたし、体勢が大きく崩れる前にすぐさまワイヤーを切って致命的な隙にならないようにした。
それに、よく見てみれば左腕は既に動いていてこちらへのカウンターも既に放っている状態だった。このまま進めば俺はヤツが仕込んだ罠にまんまと飛び込む事になるだろう。
恐ろしいほどに正しく、素早い行動だった。
バンデハークという魔族がどれほどの年月を生きて、その中で数多くの苛烈な戦いに身を投じてきたという裏打ちされた事実がハッキリと見える程だった。
ヤツが相対している敵が一般的な人間だったのなら、間違いなくコレで勝負は決まっていただろう。
進んでも止まっても、確実に俺は詰んでいるのだから。
バンデハーク自身もそう思っているのだろう。
口元が僅かに歪み、勝利を確信している。その目からは「さぁ、どうするんだ?」というこちらを嘲笑する気持ちさえ感じる程だった。
「あぁ……」
だが、そう、ヤツはここ一番で見誤ったのだ。
自身が相対している“敵”が“今まで戦ってきた者たちと同じ”だと勝手に思い込んでしまった。
「起きろ―――」
だから、俺はそんな哀れな敵に教えてやらないといけない。
「―――桜花」
お前が戦っているのは、そんな生易しい者ではないぞ、と。




