彼女という存在①
水の王都エスティア。
豊かな水源に恵まれたこの国に来るのは久しぶりだったが、既に夜も深いにも関わらず城下町は活気があり仕事終わりであろう住民がそれぞれに残りの時間を過ごしている。
だが、そんなことは今はどうでもよかった。
住民が何をしていようが俺には関係がない。ただ、その街並みには既視感がある。つい最近にもどこかで見たような……それでいて、どこか決定的に違うような。解けることがない間違い探しをずっと見ているような感覚。
そんな光景を眼下に捉えながら沙織を抱えたまま屋根上を飛ぶように移動し、やがて城の一画にあるベランダへと着地した。
カーテンから漏れる光はなく、目的の部屋には明かり一つ付いていない事がわかる。だが、誰もいないわけではない。確かに室内からは気配を一つだけ感じたからだ。
それに、寝ているわけでもないようだ。室内の人物は椅子に座ったままゆっくりと俺たちが入ってくるのを待っている。
「貴方が来ると思っていました。些か、時間が掛かったようですけど」
窓を開けて中に入ると、椅子に座ったままティーカップを手に持った少女が俺たちを出迎えた。
純白のドレスを着こみ月明りの下に照らされた可憐な少女――シエル・ウェル・エスティア。間違いなく、この国の姫であり……俺たちを召喚した人物だ。
「俺たちが来ることがわかっていたのか?」
「サオリさんが一緒とは流石に予想出来ませんでしたけどね」
床に下した沙織を星の精霊へと預け、シエル姫に問いかけるとそんな答えが返ってくる。
予想外の人物も一緒だというのに目の前の少女からは動揺を一切感じなかった。それどころか、どこか達観したような落ち着きさえ感じる。
「行きましょうか」
ティーカップをテーブルに置いたシエル姫が代わりにランタンを持って立ち上がる。
「どこに?」
「貴方が求める場所へとです。全て知ったのでしょう? なら、実際に案内した方が早いと思いますので」
ランタンへと火を灯したシエル姫が部屋の入口を開けると、その先は暗闇だった。
この国の王が暮らしている城だというのに巡回の兵一人居ない。それどころか、誰の気配もこの城から感じることができない。
「ご安心を。今は人払いをしてありますので……貴方に挑んでいたずらに命を散らすことはないでしょう?」
「……そうだな」
ゆっくりと歩き出したシエル姫に付いていくように俺たちも足を進める。
暗闇で包まれた廊下を小さなランタンの光だけが照らす。もし、今ここで火が消えてしまったら暗闇に慣れていない今の目では一瞬で何も見えなくなるだろう。
そんなことを考えていると、不意にシエル姫が口を開いた。
「古い文献によると、人間は最初放浪民族だったそうです」
「……?」
「ですが、そんな民族の中から放浪に疲れて一か所に留まる人々が現れました。彼らはそこで農業を始めましたが、狼や猪などの外敵に荒らされてしまいました」
一体何の話だという気持ちはあるが、とりあえずは聞くことにして黙って続きを促す。
そのことに気付いているであろうシエル姫も話すことをやめない。
「そこで、彼らは畑の周囲に杭や柵を立てることを思いつき、実行しました。効果はすぐに出て外敵に畑を荒らされることは無くなりました。ですが、同時に囲った場所には同じ民族の人間でも入ってこない事に気づきました」
「……」
「何故かわかりますか? 答えは簡単です。彼らは囲われたその土地を囲った人物の【所有物】だと認識したからです。全くもって理解できない話ですが、彼らはソレが共通認識であり、当たり前だと思ってしまいました」
シエル姫はそこで言葉を切って廊下の壁に手を当てた。
そこから微かな魔力が流れ、やがて地下へと続く階段が現れた。
「下りましょう」
自然な動作で中へ入っていったシエル姫に続いて俺たちも降りていく。
「ですが……その理解できない常識によって文明は始まりました」
階段を下りながらもシエル姫の話は続く。
「彼らは思いました。『なら、畑だけではなく自分たちが暮らしている範囲を囲ってしまえば安全に暮らせるのではないか?』と。そうして囲った結果に出来たのが村であり、そこから人が増えて街へとなり、やがて国になりました」
「……」
「大きくなるにつれてトップには新たに生まれた物があります。ソレは『何があっても、どんな手段を用いても一緒に暮らす人々を守る』という“責任”です。力が強い者は狩りをし、力が弱い人は農業をし、それらを少しだけ分けてもらう代わりに彼らを守護する。そういったシステムが自然と出来上がったんです」
そこで俺たちは大扉の前にたどり着いた。
中からはどこか懐かしいような魔力と微かに俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
「この話で私が何を言いたかったのかと言いますと、私たち王族には国民を守る責任があるということです。それが……どれだけ非人道的だったとしても」
シエル姫が大扉に手を付くと、廊下の時と同じように微かな魔力が入り込み、やがてゆっくりと大扉が開いていく。
中は広く、そして明るかった。
周囲にある松明だけではない。
中央に設置されている大きな……本当に大きな水晶自体が淡く光っているからだ。
「……そういう事か」
俺はシエル姫を追い抜かしてゆっくりと水晶へと近づき、その前まで辿り着いたときに確信を抱いた。
「ここに居たんだな……ずっと…………」
水晶の中に居たのは一人の少女。
服装に装飾は無く、その両手は祈るように組まれ、その顔はどこか悲しそうだ。
「約束を果たしに来たぞ……」
俺はこの少女を知っている。
いつかのどこかで、夢に出てきた少女だからだ。
あの時、あの麦が黄金に煌めく世界で彼女は俺に『いつか助けに来てね』と言った。ずっと何のことかわからなかった。むしろ、忘れていた。だが、全てを知った今ならば理解することができる。
「その女性……いえ、彼女こそが――――――」
シエル姫の静かな声がこの広間に反響する。
そして、ゆっくりと発せられた言葉が俺の鼓膜を打った。
「―――初代、魔王の嫁及び聖女様であるエトワ・フランベール様です」
その名前に聞き覚えはないが、この魂は間違いなく彼女をずっと探していた。
「少しだけ昔話をしてもいいですか?」
「……ああ」
「はるか昔……それこそ、この国が出来てまだそんなに年月が経っていない頃の話です。大戦以降、大人しかった魔族が急激に活発になり我が国は危機に瀕しました。そんな折にとある村で見目麗しく、魔力が膨大な少女が居るという噂が出回りました」
「それが彼女だったと?」
「その通りです。村に居ることを望んだ少女を当時の王は……村を人質に取って王都へと連れてきました。元々回復魔法の心得があった彼女はいつか村に戻ることを夢見て聖女として王都で働いたそうです」
きっと、もう二度と帰ることは出来ないと彼女自身わかっていただろう。
それでも、いつか帰れると思っていなければ正気を保つことは出来なかったのだとわかった。
「彼女が王都で働き始めて二年ほどで王都は完全に疲弊してしまいました。このまま行けば滅亡するのは確実となり、頭を抱える王の元に宮廷魔術師である男性が言いました。『詳しく調べてみた結果、彼女こそが魔族を活発化させている原因です』と。彼は当時まだ研究が進んでいなかった“ステータス”という神の啓示を詳しく調べている人物でした」
「……」
「即刻死刑にすべきという意見と利用価値を鑑みて生かすべきだという意見が対立した時、その宮廷魔術師の男性は言いました。『ならば、魔族から察知されないように魔力等を遮断してしまえばいい』と」
「その結果がコレだと?」
「……そうです。その宮廷魔術師は自身のユニークスキルである結晶魔術を用いて彼女を水晶へと閉じ込め、その魔力を王都を防衛する大規模な結界へ変換して流す技術を編み出し、ここに安置しました」
「……」
「コレは真偽がわからない話ですが……ここに安置した後に前線から帰ってきた一人の青年が彼女に会いたいと何度も王や教会に直談判しようとして処刑されたそうです。彼は……少女と同じ村から出てきたとか」
酷い話しだ。
聞いているだけで吐き気がするほどに。
全ての始まりがこんなところだったなんて。
一人の少女を犠牲にして多くの命を救う。あぁ、そうだな。王としては間違っていないだろう。国を思う人間にとっては大正解だろう。国民が聞いたら泣いて少女に感謝するだろう。
だが、少女はそんなことを望んじゃいなかった。
ただ生まれ育った故郷へと帰り、静かに暮らしたかったはずだ。ソレを良しとしなかったのは果たしてステータスだけのせいなのだろうか。
「俺をここに案内して……何をするのかわかっているんだろうな」
「重々承知しています。むしろ、私もソレを望んでいるんです。そのために、貴方にあのペンダントを渡したのですから」
ポケットからアルドルノに渡されたペンダントを取り出す。
コレはこの少女の持ち物だったのだろう。だから、あの時にあんなにも俺の心はざわついたのだ。
「そうか」
左腰に差した心刀をゆっくりと抜く。
翡翠色の水晶を連想させる色と透明感を持つ心刀は、この空間であってもその輝きを失うことはない。
むしろ、俺の気持ちに呼応するように光を強めてさえいる。
「……装填」
カチリ、という音が小さく聞こえる。
俺の体は魔力で出来ている。その魔力の一部を圧縮したソレは今確かに心刀に装填された。
眼前にそびえる水晶は生半可な力では壊すことは出来ない。
故に、全力を出す。
俺が生きていられる時間は減るだろう。だが、この子を救い出さなければ終わりはないのだ。
「発射―――――ッ!!」
魔法を発動するのと同時に俺は上段に構えた心刀を一気に振り下ろした。
最終章のサブタイトルを変更しました。
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