エピローグ
8月に入ってから体調を崩して、最近になってようやく本調子に戻ってこれました。
更新が一切できずに申し訳ありません……
星空が頭上に輝き、ひんやりとした空気が充満する城の中庭。普段は警備している兵士が一人や二人は居るが今は誰もいない。
それもそのはずだ。今頃、彼らは大広間に集まってガンダルと飲み交わしているのだから。現に、背後にある城の中からは大勢の笑い声が聞こえてくる。
暢気なものだ、とは思わない。
彼らが親交を深め、これまでの絆が確かな物だったと語るには必要な時間だ。
だが、今この瞬間に敵が攻めて来ないとも言い切れない。それ故に、俺はこうしてここに立っている。
「……」
地面に突き刺した翡翠色の水晶を連想させるナニカで構成された心刀。その柄頭に付いている同色の長い紐が風もないのにユラユラと揺れる。この紐は心刀に流れている魔力に反応して揺れているのだ。
もし、この紐が動きを止めるときがあるとすれば―――ソレは、俺が死ぬときだろう。
「みんなが騒いでいるのに、貴方は一人で何をしているの?」
「……星の精霊か」
気配もなく背後から声を掛けられたが特に驚きはしなかった。
沙織は給仕の手伝いをしているし、白華は未だ目覚めないので部屋に置いてある。だから、この場に来るのは彼女しかいないとわかっていたからだ。
それに……勘だが、何となく来る気がしていた。
「貴方はどこまで知ったの?」
「……」
「質問の意味がわからないって感じね。言い方を変えましょう。貴方は“自分が何者なのか”を理解したの?」
「その言い方的に、お前は知っていたんだな。俺が……一ノ瀬 裕ではないという事も、この魂を構成する人間が何者であるのかも」
心刀を見つめながらそう言うと、星の精霊はゆっくりと移動して俺の前へと立つ。心刀を挟んで俺たちは向かい合う。
彼女の美しい金色の髪が暗闇の中で輝く。星の精霊らしく、星の光を反射して輝くソレは俺にとってはどこか眩しい。
「ええ。知っていたわ。天界で呆然としている愚か者よりも貴方の事を……いえ、貴方を構成する人間の一人をよく知っているわ」
「そうか」
「あら? 色々と聞かれると思っていたのに何も聞かないのね」
「何だろうな……聞きたい事とかは沢山あったはずなのに、不思議とその全てに結論が出てる気がするんだ。それに、お前に聞いた所で誓約のせいで答えられない事があるんじゃないか?」
俺がそう言うと、星の精霊はその顔に笑みを浮かべて星空を見上げた。
そして、踊るようにその場で一回転すると見事なカーテシーを披露する。
「もう貴方は哀れな子供ではないわ。立派な神の子よ。私達精霊と神は嫌な事に深い繋がりがあるわ。言ってしまえば、元は私達も神の一部……自分自身に話せない事があると思う?」
「ああ……そういえば、精霊は元を正せば神の力の残滓だったな」
そういう知識が俺にはあった。
知らなかった事を知っているという矛盾した感覚には慣れる気がしないが、慣れる必要もないか。
「折角だから答え合わせでもしましょうか?」
「……お前があの時、精霊の力を求めていた幼い俺に力を貸したのは……地上で死んで、俺の中に入った男ともう一度会うためだろう?」
「ええ。あの時、貴方の中に彼の魂が入っている事に気付いたの。だから、いつの日かもう一度会えるんじゃないかと思って力を貸す事にしたわ」
「初めて会った時にお前は俺に言ったな『貴方の事で知らないことはないわよ? そして、貴方も私の事で知らないことはない』と。ソレは俺の中に居る男の事を指して『貴方の事で知らない事はない』と言って女神の子である俺に対して『貴方も私の事で知らない事はない』と言ったんだな」
「その通りよ。私は彼の事をずっと見ていたから。そして、契約者である貴方は私の事を知っているでしょう?」
楽しそうに話す星の精霊から目線を外し、心刀へと向ける。
柄頭に付いた布は今も穏やかにユラユラと揺れていた。
「……一つだけ、わからない事があった」
「何かしら?」
「お前の目的はもう一度あの男と出会う事――だが、今の俺はお前が求めていた男とは言い難い。契約者だった女神の子でもない。一ノ瀬 裕という男でもない。それらが交じり合って出来た――言うなれば誰でもない一人の男だ」
「そうね。そもそも、人間を辞めて神の子へと至った時点で“個”なんて必要ないわ。人間は自分と他人を区別しなければ生きていけないから個を尊重するけれど、貴方にはソレが必要ないもの」
「なら――お前の目的は達成したとは言えないんじゃないか? そもそも、交じり合ってしまった現状を考えれば一生叶う事はない」
そう言い切って再度布を見る。
まだ、布は穏やかに揺れている。
「ふふ……貴方は不思議だわ」
「なんだと?」
「まるで、人間のように個を重要視するのね。そんなに警戒しなくても私が貴方を殺そうとする事はないわ」
「……」
俺が心刀に付いている布を見つめていたのは、星の精霊が魔力を活性化した際に素早く対応するためだった。
この布は周囲の魔力に反応して揺れているから。
「貴方の疑問に答えるとしましょう。まず、私にとって個なんてあまり関係ないわ。あの人の魂が別の誰かと交じり合ったとしても、そこに大した意味はないの」
「……」
「貴方の仕草、話し方、戦い方――それこそ、歩き方一つ、立ち方一つ取ってもその節々にあの人の匂いがする。それだけで十分なの。それだけで、私はもう一度あの人に会えたと言えるわ」
「理解できないな……」
「そうかしら? ねぇ、貴方は人が死ぬ時っていつだと思う?」
「……心臓が止まった時、とかじゃないだろ」
「ええ。肉体の死なんて然程意味はないわ。なら、いつ? 魂が天国や地獄に行ったとき? それとも、輪廻転生して別の誰かに生まれ変わった時かしら?」
星の精霊はそう言ってから「私はそのどれでもないと思うわ」と言った。
金色の瞳と視線が交差する。
あぁ、わかっている。理解もしている。いつかのどこで、何回もこの議題について語ってきたのだから。
「「人が死ぬ時は、誰からも忘れさられた時」」
俺たちの声が重なった。
「貴方の中からあの人を感じる事が出来る。それだけで、私はあの人を忘れずにいられるわ。だから、私の願いは叶ったと言えるの」
「……」
理解は出来るが、それを飲み込めるかと聞かれると難しい話だった。
価値観が根本的に違うのかもしれない。
「なら、俺たちはやっぱり敵対する事になるかもしれないな」
地面に突き立てられた心刀の柄を右手で握りながら言うと、星の精霊の顔から笑みが消えた。
「もしかしてと思っていたけれど、貴方は元の時代に戻るつもりかしら?」
「ああ……やる事が残ってる」
「貴方、自分の身体について何も気づいていないの?」
「……」
「はぁ……ハッキリ言ってあげましょうか? 今の貴方は身体の10割が魔力で構成されているのよ?」
「理解してるよ」
「なら、元の時代に戻ればどうなるかもわかっているわよね? 向こうはこの時代と違って空気中の魔素が極端に薄いわ。今の貴方は空気中の魔素を呼吸によって取り込んで、直接魔力を生成しているのでしょうけれど、元の魔素が薄い元の時代に戻ったら生成出来る魔力も少なくなるのよ?」
「……何が言いたい?」
「元の時代に戻るなんて自殺行為よ。今の貴方はあっちでは生きていけない」
「……」
「私の見立てだけれど、元の時代で貴方が生きて居られる時間は多く見積もったとしても三日が限界よ。それも、戦闘行為とかを一切せずに穏やかに暮らした場合の話」
星の精霊が語るタイムリミットと俺が予想していた時間は大体同じだった。
三日間。戦闘行為をするならば二日くらいが限界だろう。それ以上は身体を維持する魔力が足らなくて死に至る。
「……理解できないわね」
「何がだ?」
「そうまでして元の時代に戻りたがる理由よ。ねぇ、この世界には貴方が命を賭してまで救う価値があるのかしら?」
「……」
「私は精霊だから多くの時間、世界を見てきたわ。人間も魔族も……全てが愚かしい生き物よ。いくら口で願望と夢を語って正義を掲げたとしても根本にあるのは私利私欲の黒い物だわ」
星の精霊はこれまで多くの信仰対象となってきたんだろう。
その中で、多くの祈りも聞いてきた。そして、自分で出した結論が今の言葉だろう。
「信仰は他者への依存だわ」
「そうだな」
「祈りは分不相応な願いを他者へ押し付ける行為でしかないわ」
「だろうな」
「生き物は闘争からは逃れられないものよ。でも、力無き者に歌う歌詞はないの。だから、力を求めて過ちを繰り返すわ」
「知ってる」
「なら、もう一度聞くわ。この世界は貴方が命を賭してまで救う価値があるの?」
心刀を握ったまま、そっと目を伏せる。
暗闇になった世界で、心刀から手のひらに伝わる熱だけが確かに存在している。
この世界を自分の命を犠牲にしてまで助ける価値があるのかだって?
そんなもの、どこにも無いだろう。俺が助けた所で、きっとこの世界は変わらない。争いが無くなったり、飢えがなくなったり――急に世界が平和になる事なんてありえない。
それは、愚かな神が変わったとしても、傲慢な王が心を入れ替えたとしてもだ。どこかで綻びが生まれ、また今回のような過ちを繰り返すだろう。
それでも、だ。
このどうしようもない世界を愛した存在が居た。
愛し、慈しみ、自らを犠牲にして、何もかもを代償に捧げてでも救いたいと願った存在が確かに居たのだ。
「確かに、この終わってる世界を救う価値はないのかもしれない……それでも、だ。自分が大切だと想う人を―――こんな何もない俺を大切だと言ってくれた人が残した最期の願いを叶える価値はあるだろう?」
そう。俺は世界を救うわけじゃない。
ただ、残された願いを叶えるだけだ。
「……馬鹿ね」
そんな呟きと共に全身を暖かい物が包み込まれた。
目を開けて俺が星の精霊に抱きしめられているのだと理解した。
「止めないんだな」
「意味がないもの。止める事は出来るけれど、ソレをしてしまったら貴方の中に居る私が愛した人を否定する事になってしまうわ。あの人も……そういう人だったから。だから、私は貴方の行く末を最期まで見ていてあげるわ……貴女も、そうなんでしょう?」
星の精霊が俺の背後に声を掛けると、小さな足音と共に一つの気配が現れる。
ソレがフェルの物だという事はわかっている。俺が城に帰還してから今この時までずっと気配を消して傍に居た事もだ。
「私は主の意志を尊重します。その果てに命燃え尽きるとしても、最期まで見届けます」
「そう。貴女の事は私もよくわからないわ。でも、そう言うなら何も言う事はないわ」
星の精霊がそう言って俺から離れるのと同時に一つの気配が俺たちから遠ざかっていくのを感じた。
「後は、あの子にどう説明するかね」
「……わかってくれると信じてるよ」
ポケットから一つの指輪を取り出し、今さっき遠ざかって行った気配を思い出す。
怒られたとしても、泣かれたとしても……俺は立ち止まる事など出来ないのだから。
△
▽
翌朝、ガンダルは多くの臣下達に見守れながら息を引き取った。
満面の笑みを浮かべ「よき人生だった」と満足そうに息を引き取るのを俺は遠くから見届けた。この選択に意味はちゃんとあったのだと確認するように。
その後、ガンダルが納められた棺は行列と共に裏山の頂上へと運ばれて埋葬された。
聞けば、そこは彼の妻も眠っている場所だと言う。季節によっては一面花が咲き乱れるとても綺麗な場所だと言う。
「ユウさん―――いえ、兄さんからも言葉をお願いします」
俺とユキはガンダルの願いもあって義兄妹の契りを交わした。
まぁ、だからと言って俺に王位継承権が発生したりはしない。
「そうだな……」
ユキはもう狐のお面をしていなかった。
今、この時より氷の国の王となった彼女が顔を隠す必要はどこにもないからだ。そして、その下から現れた顔に俺が抱いた感想は「やっぱりな」だった。
ガンダルの心剣も彼女が受け継いでいる。その果ての姿を俺はよく知っている。
「別れは、最期ではない」
墓石の前に膝をついたとき、自然と口から出た言葉は何時ぞやガンダルが口にしたものだった。
きっと、今この場において言うべき言葉はコレが正しいと直感的に感じていた。
「道半ばで力尽き倒れたとしても、我らは氷狼の元で祝杯を上げる事が出来る。故に、別れは最期ではない。いつかは必ず、また会える」
背後から聞こえる無数の啜り泣きを聞きながら、俺はゆっくりと目を閉じて数舜黙祷を捧げ、また目を開く。
「俺は――歩き続けるよ」
最後にそう呟いて俺は立ち上がり、その後は形式通りに葬儀が進行した。
ソレを見ながら俺は消えつつある自分の右手を見た。時間が来たのだ。
「兄さん!」
いち早く気づいたユキが駆け寄ってくるのを左手で制する。
「俺たちはまた会える。どれだけ時間が経っても……俺は忘れてしまっているかもしれないけれど、また会える」
「兄さん……」
「ほんの僅かな別れだ。“また出会った場所で会おう”」
俺はそう締めくくった後に隣に立っていた沙織の肩を軽く押す。
彼女とは今ここに至るまで一切言葉を交わしていない。どことなく避けられているからだ。
だが、ユキと一番仲良くしていたのは沙織だろう。だから、別れを言う時間くらいはあげたかった。
「ユキちゃん―――」
沙織はユキを抱きしめ、お互いに言葉を交わす。
その間にも俺達の身体は消え始めていた。
やがて、沙織がユキから離れるのを待っていたかのように視界が光で埋め尽くされた。
「……戻ってきたのか」
目を開けた時、そこに広がるのは埋め尽くさんばかりの木々。きっとどこかの森の中なんだろう。
ただ、空気中の魔素が少ない所からして元の時代に戻ってきたのだと確信できたし、俺の言葉を肯定するように星の精霊が頷いたことからも間違いないだろう。
「ここからだ……」
二振りの心刀が確かにそこにあるのを確認してからゆっくりと息を吸い込んだ。
緑の匂いと僅かな魔素を感じながら俺は一歩踏み出した。
この長い長い物語に決着をつけるために歩き続けた道の最後の一歩を、この名も知らぬ森から始めるために。
次回、最終章。




