お前のようには
色とりどりの魔法が線を引いて裕へと殺到する。二人の戦いは近接戦闘から男の一方的な遠距離戦へとその様相を移していた。
これまで、近接戦闘技術を吸収する事が出来ていた裕ではあったが、魔法に関しては適正がないために不可能であり、唯一出来る事と言えば心刀で自分に向かってくる魔法を撃ち落とす事だけだった。
「っ―――」
突如として、裕の目の前で火花が散る。
ソレが高速で接近してきた男が振った心刀と自らが持つ心刀がぶつかり合った結果だと言う事は理解出来ていたが、確信は持てなかった。
相手の動きは見えていない。今の斬撃を受け止められたのもこれまでの戦いで男から吸収した“経験”があるからだった。そもそも、今の裕は今までで一番最悪なコンディションと言えた。魔法を発動する事は出来たが、その後は眩暈や吐き気などの不調を身体が訴え来ているのだ。
「苦しいだろう」
どうにか裕が鍔迫り合いへと持ち込んだ時、男は静かにそう言った。
「魔素とは毒だ。本来、人間は魔素を呼吸と共に体内に吸収したとしてもその大半を吐き出す。その際に僅かに残った物が時間を掛けて魔力となる。例えるならば泥水をろ過するような物だ。だが、今のお前は魔素を無理やり吸収し、それを使って魔法を発動した。はっきり言ってしまえば自殺行為だ」
お互いを食い千切らんと音を立てる心刀を挟んで言われた言葉に、お前がそうせざる負えない状況にしたんだろう、と裕は内心で舌打ちをした。
言葉にしなかったのは単純にそれだけの余裕がなかったから。もし、ここで一言でも発しようとすれば腕からは力が抜け、黒い心刀が即座に自らを切り裂くというのは目に見えた結果だった。
「ふむ……」
しばらく鍔迫り合いをしていたところで、男は何かを感じ取ったかのような雰囲気を醸し出し、裕の腹を蹴って強制的に距離を取る。
「――――回帰不能点。意識的か無意識かはわからないが、お前はそこを超える事を拒んでいる。そこまでして、人という枠組みに拘るのか?」
魔法を警戒する裕に向けられた言葉。
「……」
それに対して裕は無言で返答した。
回帰不能点――裕は過去に一度だけソレを超えた事があり、その際にそれがどういう物なのかを本能的に理解していた。
種族の超越。存在の格を上げる行為。言葉にするならばそんな物が適正である。裕が過去に超えた際は辛うじて【人間】という枠組みに収まった。だが、次に超えた時に自らが何になるかはわからなかった。
もし、仮に自分が人間ではなくなってしまったら……そんな気持ちが裕の中にあるのは否定できない。だが、自分の意志でどうこう出来る問題でもないと裕は思う。
「人間じゃなくなった時に自分がどう見られるかが怖いのか?」
既に人間を辞めてしまった未来の自分が語り掛けてくる。
「お前は……後悔、しなかったのか?」
途切れそうな意識を繋ぎ止め、右手に握った心刀を決して落とさないように握り締めながら裕はそう聞いた。
お前は、怖くないのか? と。
人は一人では生きていけない。せめて、自分を近くで支えてくれる存在が必要で……そんな人が人間を辞めた事でどういう態度に変わるのかが不安ではないのか? と。
「個人の感情なんて……俺自身の感情なんて何の意味はない。そんな物を優先して、自分が本当に守りたい者が死んでしまったらどうする? 自分には力があったのに何も出来ずに手から零れ落ちてしまったら何の意味もない」
裕の疑問を男は「くだらない」と切り捨てた。
仮に、自分から心が離れてしまったとしても生きていてくれさえすればいいと。失って二度と言葉を交わせなくなるよりはマシだと。
その言葉には確かな重みがあった。
裕の目の前に立つ男は失ったのだから。
「どっちにしろ……俺たちはみんなと一緒には生きられない存在だ」
そう呟いた男の顔はどこか寂し気だった。
「そうか……」
正直、男の話を全て嘘だと切り捨てる事は簡単だった。耳を塞いで、全てから目を逸らして心の中で拒絶してしまえばそれ良いのだから。だが、裕にはソレが出来なかった。本能よりももっと根本の部分――根源の部分で男が言っている事が全て真実だとわかっていたからだ。
「そうだな……」
だから、もう一度心刀を握り締めた。
目を閉じ、深く息を吸って、心刀を構える。
「どこかで生きてくれるなら――――――助ける事が出来るなら、それでいいよな」
裕が目を開けた時、ずっと感じていた体調不良は無くなっていた。むしろ、清々しい気分でさえあった。
視界は開け、身体は軽く、右手に持った心刀が小さく脈動している事を始めて知った。
「……」
紅い瞳と紅い瞳が交差する。
「俺は、目的のためにお前を殺す。死にたくなければ全力を出す事だ」
男の言葉を合図に二人は走りだした。
赤い水面に血液が落ち、波紋を広げる。
もう、お互いに言葉は無くこの何もない空間に二人の息遣いだけが静かに響いていた。
「……」
呆気ない幕切れだと、裕は自らが右手に持った心刀を見てそう思う。
翡翠色の心刀はその根本まで男の左胸に突き刺さり、そこから流れ出した赤い血は心刀を伝って自らの右手へと纏わり付き、赤い水面へと落ちる。
「あぁ……」
お互いに抱き合うような体勢の中、致命傷を負っている男の口から漏れ出た声に込められた感情は“安堵”だった。
「コレで……やっと、解放されるんだ……」
「お前、まさか―――――」
裕がハッとして顔を上げるのと、男の身体がグラリと揺れて全体重を預けるのは同時だった。
支えた男の呼吸は浅く、心臓の音は鼓動しているのかわからないくらいにか細い。
「心刀は……存在そのものを、斬る……俺が解放されるには、お前に殺されるしかなかった……」
「だからって……お前は、俺を自殺に使ったのか!?」
「利害の一致だ……俺は死にたくて、お前は生きたかった―――――俺たちは、心刀でしか死ぬことは出来ない……」
男が震える右手を持ち上げ、手に持っていた黒い心刀を赤い水面へと突き立てる。
「お前は……俺のようには、なるな……」
「何を……」
「なぁ……俺、頑張ったよな……『――』…………」
裕が何かを言う前に男の身体は滑り落ち、赤い水面に落ちる前に砂となって消えた。風など吹いていなかったのに男だった砂は誘われるようにどこかに飛び去ってしまう。
「なんだよ、それ……」
残された裕はしばらく呆然としていたが、やがて右腕を下した。
その後、黒い心刀を左手で掴むと男の記憶が一気に流れ込んでくる。この世界に召喚され、戦い続け、何を見て、何を感じたのか。その全てを一瞬のうちに追体験した裕は一気に黒い心刀を引き抜き、身体が消えても残っていた黒いコートを拾い上げる。
コートの上からローブを何重にも重ねたような外套。そこにはまだ、温もりが残っているような気がした。
「俺は、お前みたいにはならないよ……」
着ていたコートを脱ぎ、手に持った外套を羽織った裕がそう言うのと世界が崩壊し始めるのは同時だった。
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