追跡者
俺の胸に頬擦りしている美咲の頭を撫でていると、ふとした疑問が俺の中に生まれた。
美咲とは、かれこれ長い付き合いだがこんなに積極的なヤツだったか?
どちらかというと、まるで従者のように一歩引いた感じがあるようなヤツだった気が……。
「……」
俺と美咲を黙って見ている凍華。
それが何となく気になった。
「凍華……ここは、どこだ?」
俺がそう口にした瞬間、ゾワリと嫌な感じが背中を走る。
「どうして……そんな事言うの?」
この嫌な感じの発生源は先ほどまで幸せそうにしていた美咲から発せられた物だとすぐにわかり、俺は反射的に美咲を突き飛ばしていた。
「誰だ?」
突き飛ばされた美咲……いや、美咲の形をした何かは俯いたまま肩を震わせる。
それは、泣いているのではない。笑っているのだ。
「ふ……ふふ、やっぱりだめかぁ……」
顔を上げた美咲は口を三日月のように歪めた笑顔で俺を見つめてくる。
それと同時にゾワリと嫌な感じが再度襲ってくる。
「折角、君好みのシチュエーションで……君が好きな人の恰好をしたのになぁ」
「俺好みだと?」
「そうさ。君がいつも読んでいた本はこういう内容が多かっただろ? だから、好きなんだと思ったんだけど……どうやら、勘違いだったみたいだね」
まぁ、ライトノベルだと誰かに絡まれたりするのはテンプレだが……決して、俺の好みではない。
「……いい加減、美咲の姿で話すのはやめてくれないか?」
「やめないと、どうなるんだい?」
やけにコイツは挑発的な目をしてくるな……。
というか、俺とコイツ以外動かないのが気になる。
凍華とかだったら、真っ先に動いていると思うんだが。
「……やめなければ、ここで殺す」
俺の言葉を聞いた美咲の姿をした何かは、楽しそうに笑った。
「あは……あははははっ!! 殺す? 僕を? 得物も力も何もない君が? どうやって?」
「凍華っ!!」
凍華に向かって手を伸ばし、名前を呼ぶが凍華は無反応だった。
「ちっ……」
「無駄無駄。だって、ここには……君と僕しかいないんだから」
美咲の姿をした何か……面倒だから美咲(仮)でいいや。
美咲(仮)はゆっくりと俺に両手を伸ばす。
「……バインド」
「――っ!!」
美咲(仮)が呟くと、俺の身体は動かなくなった。
まるで金縛りだ。
「殺されたくないからね、ちょっと動きを封じさせてもらったよ」
美咲(仮)はゆっくりとした足取りでこちらに歩いてくる。
まるで、死へのカウントダウンのように一歩一歩踏みしめるように。
「さて、君はきっと疑問に思っているんじゃないかい? 一体、どこからが現実ではないのかと」
悔しいが、確かにその通りだ。
俺は一体、いつからこの空間に捉えられてしまったんだ?
「答えは『ずっと』とも言えるし『今さっき』とも言える。とても難しく、とても複雑なんだよ」
美咲(仮)が俺の頬に手を伸ばす。
本能的に振り払いたいが、俺の身体は言う事を聞いてくれない。
「全てが嘘であって、全てが本当なんだよ。言っていることわかるかい? わからないだろうねぇ……普通の人にはどういう事かは理解できても、どういう原理なのかは理解できない。気にしなくていいさ、それが普通なんだからね」
正直、コイツが何を言っているのかさっぱりだ。
「僕は追跡者……君が歩いた道を辿り、これから君が歩くであろう道を先に歩く。君が見て体験した事を僕も見て体験し、君が見て体験する物を先に見て体験する……そういう存在なんだよ」
つまり、何が言いたい? そういう思いを視線に乗せて睨む。
すると、美咲(仮)は何が面白いのかクスクスと笑いだす。
「つまり、君がここで体験した事は全てが『本当』であって、全てが『嘘』なんだよ。そうだなぁ……シエル姫や国王とかこの王都とかは『本当』に存在するよ? あっ、シエル姫が言っていた『魔刀』についての事ももちろん本当の事さ。ただ、君がここに来てから体験した事は全て『嘘』なのさ」
理解できた? と首を傾げながら聞いてくるのを見ながら俺は考え始める。
簡単に言えば、俺がここに来てから見聞きしたものは本当の事。
ただ、俺が体験した……絡まれたり、国王と謁見したりしたのは全て嘘というわけか。
「理解できたみたいだね。まぁ、僕の言葉を信じるかどうかは君次第だけど……信じた方がいいんじゃないかな? 人間の心は儚く、ちょっとした事で壊れてしまうからね」
美咲(仮)がそう言いながら俺に背を向けると、フッと先ほどまで動かなかった身体が動くようになり俺はバランスを崩して床に手をつく。
「お前は……何者だ?」
「さっきも言ったじゃない。僕は追跡者さ」
そういう意味で聞いたんじゃないんだけどな……。
ただ、これ以上聞いてもどうせのらりくらりと躱されて本当に知りたい事は知れないだろう。
「はぁ……」
「っと、そろそろ時間みたいだね。君が目を覚ますよ」
美咲(仮)の言葉と同時に周りが黒く塗りつぶされていく。
それは、座っている凍華や桜花を飲み込みつつ俺に近づいてくる。
「あぁ、そうだ……僕から一つだけアドバイスをしてあげよう」
美咲(仮)……追跡者はそう言ってこちらを振り返る。
その顔はとても面白そうに歪んでいる。
「目が覚めた時、君はとても絶望するような事を体験するだろう。でも、諦めてはいけないよ?」
「は? それはどういう……」
俺が詳しく聞こうとした瞬間、先ほどまでゆっくり進んでいた黒く塗りつぶす何かが一気に縮まりはじめ――
「じゃあね、また会おう」
――俺は、黒に飲まれた。




