そこに至った道
どこまでも白い空間にペンキを大量にぶちまけたように赤い地面。さっきまで見えていた屍の山は既にどこにも無く、存在しているのは俺と未来の自分自身だと名乗る男だけ。
「……」
その全てが黒く、どこか透き通っている刀が振られる。
恐ろしく早く、鋭い斬撃だったが俺の身体はソレを軽く後ろにステップするだけで避ける。その動きに合わせて赤い地面に水紋が広がる。
別に避けたくて避けているわけじゃない。
男は俺に死んでくれと言った。そして、俺も死にたいと思った。だから、最初はその刃を身に受けるつもりだった。だが、どうした事だろうか? この身体は迫りくる刃を勝手に最小限の動きで避けてしまう。
(余計な事を……)
自分の身体だというのに一切言う事を聞かないことに内心でため息を吐き、前に視線を向けてみれば男はその場に立ったまま俺を見ていた。
虚ろな紅い瞳からは何も感じられない。
「お前は、初めてその手で命を奪った時の事を覚えているか?」
突然の質問だった。
だが、この無駄な時間を過ごすよりはいいかとも思って、その時の事を思い出そうとしてみる。
「……」
しかし、どれだけ記憶を漁ってみてもその時の事はどこにも見当たらなかった。
「覚えていないだろうな。知ってるか? 普通は、そういう事を何があっても忘れないらしい。コレはこの世界の兵士に聞いた事だから、信憑性が高い話だぞ」
「普通……」
「そう、普通の人間は……だ。覚えていないのはお前だけじゃない。一緒に召喚された奴ら……誰も覚えていなかったよ」
そう言って薄ら笑いを浮かべる男はどこか苦しんでいるように見えた。
きっと、左手があったならばその手で胸を押さえていただろう。
「おかしいんだよ。剣を与えられ、何の疑いも無しに自然とその手に持った。当たり前のように、そうするのが普通だと言わんばかりにその手で命を奪った……お前が、何故、初めて命を奪った時の事を覚えていないのかを教えてやる。それは“印象に残ってない”からだ。命を奪ったというのに、お前は機械的にそれらを実行してしまった」
「……」
「あいつらにも家族があっただろう……何か、思い残すことだってあったはずだ。だが、俺たちはそんなことを一切気にせず、汲み取ろうともせずにこの手に掛けた。そんな奴らが……何故、他者を救える……?」
男の言う事は理解できる。
そもそも、他者を救うという気持ちそのものが「助けてほしい」と願う他者の気持ちを汲み取った結果に出る行動なのだ。
「――だけど、俺は目的がある」
美咲を救うという確固たる目的がある。
そのために今まで戦ってきたんだから。
「美咲か……なぁ、お前は火の国で殺した少女を覚えているか?」
「ああ」
「なら、その国の王女であるリルは? 佐々木は? フェルは? 翠華、寝華や他の魔刀……凍華をその手に掛けたことは覚えているか?」
「は……?」
少女はともかく、リルや佐々木を殺した記憶はない。
あの日、あの夜に、俺は決別したんだ。その時に致命傷を負わせた記憶はない。
「駆けつけるのが遅くて、神崎が腕の中が冷たくなっていく感覚を覚えているか……?」
その感覚は覚えている。
だが、そのあとに白華の助力で――
「まさか……」
ある可能性が脳裏を過るが、ソレは早とちりだと判断する。
なぜなら、男の口からはまだ出ていない名前があるから。
「桜花は……どうした」
「……」
その名前に反応したように一瞬だけ固まった男は、そっとその目を閉じてからすぐに開いた。
「俺が殺した……あの子は、殺し過ぎたんだ。“同族殺し”についてはお前も知ってるだろう? あの日、あの夜に凍華たちをその刃に掛けた時からあの子は狂ってしまった。精神が耐えられなかった。だから、過去に行ってガンダルから心剣を受け継いだ後に……」
「……白華はどうした?」
「白華……? どうだろうな。そんな名前は記憶にないが……まぁ、些細な問題だ」
さっき脳裏を過った事が的中していたのを感じた。
目の前の俺は、白華に出会っていない。
だが、そのことを言及する前に男の口から出た言葉に俺は固まった。
「まぁ、コレでわかっただろう? 仲間さえも手に掛けた俺に美咲を救う事なんて出来なかった……魔王を倒した後に待っていたのは、先が見えない地獄だけだ」
「魔王は倒したのに救えなかった……?」
「……心剣を使いこなすために訓練して、魔王城に突撃したところで俺は元クラスメイト達と出会った。そこから力を合わせて魔王を倒し、美咲を解放した。なぁ、魔王を倒したらどうなると思う?」
「元の世界に戻れるんじゃないのか……」
俺がそう言うと、男は冷笑を浮かべる。
「そんな御伽噺のようなことが起きるはずがないだろう? いや、そういえばアイツらはそう言って喜んでいたか……だが、実際に起こったのは半狂乱の嵐だったよ」
「……」
「元クラスメイト達が平和な世界に生きていたのに異世界に召喚された瞬間に命のやり取りができるようになったのか……ソレは、神々の暗示があったからだ。暗示なんて言っているがアレは呪いだ。強力な力を奴らの意のままに操るために掛けられた呪い……。魔王を倒した後に神の遣いを自称する天使が現れて言ったよ『ご苦労様でした。あなた達の役目は終わりました。主神はその働きに見合うだけの褒美をと言っております』ってな」
「……」
「奴らが言う褒美は【呪いからの解放】だった。その後は酷い有様だった。もうわかるだろう? 今まで殺しても何も感じなかった奴らに一気にこれまでの殺した感情が襲い掛かってきたんだ。何の覚悟も持っていない奴らに耐えられるはずがない……そして、それは魔王の武器として人間を大勢殺してきた美咲も同じだった」
「お前……」
「殺したよ。美咲も、他のクラスメイトも……そうするしかなかった。元の世界に戻る方法なんて無かった。勇者達が国から言われていた魔王を倒せばわかるなんて言葉も嘘でしかなかったんだから……あいつらを救う方法は他にはなかった。中には暴れる奴らも居た。制御が効かない力など災いでしかない……」
「じゃあ、なんで……」
殺したという事実が重くのしかかり、その重圧や過ちから精神が崩壊してしまうと言うのなら……何故、お前は――俺は無事だったんだ。
俺が言いたいことを理解したのだろう。
男はどこか疲れたような薄い笑みを浮かべた。
「俺たちは――……一ノ瀬 裕なんて人間じゃない」
その言葉はこの広い空間に広がり、俺の心に重く圧し掛かった。




