根源①
暗闇の中に真っ直ぐ伸びている光の線を歩いて行くと大扉が目の前に現れた。
厳重な鉄で出来た分厚い扉には鍵が付いていて、軽く押してみたが開く気配はない。
「鍵、か……」
さて、どうしたのもか。
扉の周りを探したりもしてみたが、何かがあるわけでもなく暗闇が広がっているだけだ。
「いや……違うな。探すんじゃないんだ」
そこで、ここは俺の深層心理――心の奥底だという事を思い出した。
ならば……鍵は既に持っているはずだ。
「……鍵……」
目を閉じ、この大扉を開きたいと強く願って鍵をイメージすると、右手に確かな重みを感じた。
そっと目を開いてみると、そこには黄金に輝く大きな鍵があった。
「何とかなるもんだ」
予想が的中した事を喜びながら、そっと鍵穴に差し込んで回すと役目を終えた鍵は虚空へと消えて行く。
この先は何が出るかはわからない。
自分の心と向き合うというのは怖いものだが、先に進むためには避けては通れないと気を新たにして両手で大扉を押すと、思ったよりもあっさりと扉は開いた。
「――」
扉を開けた瞬間に全身を温かい風が撫で、花の匂いが鼻孔を擽る。
暗闇から光がある場所へと出た事で生じた眩しさに視界が白く染まるが、それもしばらくすれば収まり、色とりどりの花が咲き乱れる花畑が飛び込んできた。
「……俺の心の奥にこんな場所があったなんてな」
我ながら、似合わないと思いつつ一歩踏み入れると何とも言えない懐かしさが込み上げてきた。
俺は、ここを知っている。
記憶では覚えていないが、心が――身体が覚えている。この場所は、自分にとって特別で大切な物なんだと。
「なんでだ……?」
右目から溢れ出す涙を頬に感じながら、突然の出来事に戸惑っていると不意に背後から誰かの気配を感じた。
「大丈夫ですか?」
「――!」
俺が振り返るよりも早く投げかけられた声は、静かで優しく……暖かくて懐かしい声だった。
遥か昔からこの声を知っているような気がして、それでいてこの声の持ち主に泣き顔を見られたくないと感じて急いで目を擦ってから振り返ると、そこには光を反射して煌めく黄金の長い髪を持った優しそうな顔つきの女性が立っていた。
見覚えはない――だが、何となく運命の女神に似ているような気がした。
「泣いていたんですか?」
「……少し、目にゴミが入って」
バレていた事に恥ずかしさを感じながら、適当な言い訳を口にすると女性は心配そうな顔をした。
「それは大変です。急いで洗わなければ……」
「いや、そこまでじゃないんで」
短いやり取りしかしてないけど、この人はきっと底なしの優しさを持つ人なんだろう。
それにしても……何で、俺の心にこの人が居るんだ? そして、何でこんなにも懐かしさと胸が痛くなるほどの悲しさがあるんだ……。
「おにいちゃん、だれ?」
「――!?」
不意に第三者の声がして、驚いて目を向けてみれば女性の後ろから同じ髪色をした少年が俺を見上げていた。
年齢は――恐らく5歳とかそのくらいだろう。
「“――”。まずは自己紹介が最初でしょう?」
「あ、そうだった。ごめんなさい、お母さん」
俺が驚いている内に、二人はそんな会話をする。
お母さん――つまり、この少年は女性の息子なんだろう。
「初めまして、僕は“――”。よろしくお願いします!」
「あ、あぁ……俺は一之瀬 裕だ。よろしく」
少年の名前が聞こえなかった。
いや……違う。コレは聞こえなかったんじゃない。思い出すのは追跡者との取引で失った記憶。何を取られたのかは定かではないが、ソレに関する事は他者の口から発言されても脳が認識せずにまるで『聞こえなかった』みたいになる。
ソレと同じ現象が、今、少年の名前で起こっていた。
ならば、失った記憶がこの少年の名前だったんだろうか?
そうとも考えたが、すぐに違うと結論付ける。何故なら、あの時に失ったのは『美咲との記憶』だからだ。
じゃあ、一体なんで……?
「あの。もし良かったらお茶に付き合って貰えませんか?」
「え……?」
考え事をしていたためによく聞き取れず、もう一度聞き返そうと顔を上げると女性が優しい笑顔で指を差した。
その方向に目を向けてみると、花畑の中央に一本の木が生えており、その根元に小さくテーブルと椅子らしき物が見えた。
「どうでしょう?」
「……喜んで」
断る気にはなれなかった。
といよりも、断るという選択肢がどうしても出てこなかった。
俺の中にある何かが、この瞬間――目の前の女性と話すこの時間がもっと欲しいと。大切にしたいと叫びを上げていたからだ。
「では、行きましょう」
「僕が案内するね!」
女性が歩き出し、少年が無邪気に走り出すのを見ながら……その光景に、やはり懐かしさを感じながら俺も歩き出した。
△
▽
女性に促されるままに二つあった椅子の内片方に座ると、正面に女性が座る。
少年は木の根元で丁度いい長さの木の枝を見つけて、嬉しそうにそれを持って俺達から離れていく。やはり、どんな世界でもああいう物に喜んでしまうのは共通らしい。
「どうぞ。こう見えて、私、お茶を淹れるのが得意なんですよ?」
「いただきます」
丸テーブルの上に置かれたポットからティーカップへとお茶を注ぎ、目の前に出された物を受け取りながらお礼を言う。
匂いは……昔、母親が好き好んで飲んでいたアールグレイに似ているような気がする。
ただ、この世界のお茶は紅茶の風味に珈琲の味だったりするのでまるっきり同じという事はないだろう。
そう思いながらカップを手に持って口へと運ぼうとすると、視線を感じた。
「……何か?」
「あっ、不躾に見てしまってごめんなさい。貴方がここに来た目的を考えていたんです」
「え……?」
「ここは、普通の人が来れるような場所でもなければ、認識できるような場所でもないんです。そんな場所に突然現れたのだから興味を持つなという方が難しいと思わないかしら?」
「は、はぁ……」
女性の言葉を聞いて、軽く混乱した。
ここは俺の心の奥――言ってしまえば、俺の一部だ。それなのに、女性の言い方ではまるで別の場所だと言っているようだ。
「それで……わかったんですか?」
「人の心はそんなに簡単にわかりませんよ。ですから……少し、お話しませんか?」
「話……」
「はい。もしよろしければ、貴方の事を教えてください。もしかしたら、私との会話で貴方が求める答えが見つかるかもしれませんよ?」
そう言われて、気付けばこの世界に召喚されてから今までの事を話していた。
本当は話す気なんて無かった。なのに、静かに微笑んで座る女性の目を見た瞬間に自然と口から言葉が漏れ出していた。
聞いていて特に面白い話でもなく、むしろ平和を愛していそうな女性にとっては苦痛に感じるかもしれない話にも文句一つ言わず、たまに相槌を打っていた女性は俺が話を終えると静かに頷いた。
「そうでしたか……」
「だから……俺は、ここに力を求めて――自分の根源を見つけに来たんです」
そういえば……俺は何でこの人に敬語で話しているんだろうか。
理由はどれだけ考えてもわからないが、何となくそうしなければならないという気持ちがあったのかもしれない。
「残念ながら、ここは貴方の深層心理ではありません」
「そう……ですか……」
何となく、わかっていた。
恐らく何かが起こって俺はこの空間に迷い込んでしまったのだろう。
答えが無いのであれば仕方ない。帰ってもう一度やり直そうと席を立とうとした俺に女性は待ったを掛けた。
「ですが、貴方の根源ならわかります」
「え?」
「話を聞いた限り、貴方は大切な人を助けるために自分を捨てたのでしょう。自分を捨てた、と一言で言っても言葉の通りではなく、自分に対する優先順位を捨ててしまったのです」
女性は語る。
本来、物事を考えたり行動をする時に必ず生物は『自分の優先順位』を考えるのだと。
その行動を起こした際に発生する自分へのメリットとデメリット。それらを考えた末に生物は行動を起こすものだと。
「ですが、貴方はソレを捨ててしまったんです。貴方の中には『大切な人を救うためにはどうすればいいのか』という基準しかない」
「それは……いや、だけど……」
俺は自分のために美咲を救いたいと願った。
そして、そのために行動を起こしてきたはずだ。
「俺は、自分のために切り捨てた物だってあります。だから……そんな事はない」
「本当にそうでしょうか? 貴方が何かをする際に『大切な人を救うため』以外の理由があった事はありますか?」
言われて、考えて――無かったかもしれないと思った。
「確かに、大切な人を救いたいというのは貴方の意思で気持ちでしょう。ですが、それ以外に貴方の気持ちは配慮されていません」
そう言い切った女性は、フッと空気をやわらげた。
「そこから考えるに……貴方の根源は【献身】でしょう」
「献身……?」
「歴史に名を残す人たちの中にも献身の根源を持っていた人はいます。その誰もが、コレと決めた目的以外には目を向けずに走り続けました。今の貴方のように」
そう言われてもピンと来なかった。
献身という言葉の意味は勿論知っているが、果たして自分の行動とソレが一致するだろうか。
「戦う事は好きですか?」
考え込む俺に女性はそう聞いて来る。
その問いを考えてみるが、別に好きだと思った事はない。
ただ、必要だったから力を振るっている。
「いや……」
「なら、武器を振るうのは?」
「それも特には……」
白華は最高の武器であり、最高の相棒だ。
だが……彼女を振るう事が好きかと聞かれると、別にそういう訳ではない。
「傷つく事は痛いですか?」
「そりゃ、勿論」
傷が付けば痛い。
痛いのは嫌だが、そういうのを気にしていられなかった。
「死ぬ事は怖いですか?」
「怖くないわけがない」
いつだって、強敵と戦うと死を実感させられる。
その度に襲ってくる恐怖心を抑え込んで戦ってきた。
自分が死ぬよりも大切な人が死ぬ方が怖い――そう思って戦い続けてきた気持ちは、沙織の時に経験してしまった事で今では更に大きくなっている。
「なら――何故、剣を置かないのでしょうか? 戦う事が好きではなく、剣を振るいたいわけでもない。傷つけば痛いと感じ、死を恐怖しているのにも関わらず、貴方は戦い続けている」
「それは……大切な人のために――」
そこで、ハッとさせられた。
「そういう事です。大切な人のために戦うというのはどんな生物でもあり得る事ですが、ソレも一時の事……貴方のように戦い続ける事は稀でしょう」
そして、ソレが出来る生物の根源は【献身】なのだと女性は語った。
大切な人のために常に自分を捧げ、歩き続ける事はその根源を持つ生物にしか出来ない事なのだと。
「……」
理解は出来た。
だけど、納得は出来なかった。
しばらく黙って考えていると、木の棒を持った少年が俺達の元に戻ってきた。
「おにいちゃんおにいちゃん」
「ん……?」
「はい!」
目の前に差し出された左手に握られていたのは一本の木の棒だった。
よく見てみれば、少年は右手にも同じような木の棒を持っている。
「……?」
どういう意味があるのかと首を傾げていると、女性が困ったような声を上げた。
「貴方と遊びたいみたいです」
「なるほど……」
木の棒をお互いが持って、男がやる遊びといったらチャンバラとかだろうか?
どうしたものかと女性に目を向けてみると、申し訳なさそうな顔が飛び込んできた。
「……わかった」
何となく、女性にそんな顔をしてほしくないと思った。
この人には、笑っていてほしいと……あの柔らかい微笑みを浮かべていて欲しい。
そう、頭に浮かんだ時には少年から木の棒を受け取っていた。
裕「やっぱりというか何というか……匂いはアールグレイなのに味は麦茶なんだな……」
女性「お口に合いませんでしたか?」
裕「いや……美味しいです」
女性「なら、よかったです。あ、よかったらこのお菓子も食べてみてください。美味しいですよ?」
裕「ありがとうございます」
女性「あ、お茶のおかわりも今用意しますね」
裕「何か、親戚のおばあちゃんみたいだ……」




