否定しないために
右腕にあった重みがほぼ無くなった時、俺は全ての終わりを感じていた。
閉じていていた右目を開けてみれば、既に俺の腕には沙織の姿はなくただ光の粒子が空へと昇っているだけだった。
「……」
もう、ここまで来れば俺の支えなど必要ないだろう。
右腕をダラリと下げてから、ゆっくりと深呼吸。乱れていた気持ちを落ち着かせて黒いコートを着なおしてから背負っていた白華の柄を握る。
鞘の代わりに巻き付いていた黒龍布がハラリと解け、白銀の刀身が月明りを反射して現れた。
「誰だ……」
ずっと、気になっていた俺を見つめる視線へと問いかける。
本当ならすぐにでも排除してしまいたかったが、向こうから手を出す気が無さそうだったのと沙織を見送るという最優先事項があったためにスルーしていた。
「気付いていましたか」
透き通るような女性の声と共に目の前に一人の女性が現れる。
輝く金色の長い髪にスラリとした体型。それを包む緑色の少しだけ装飾がされた服。それだけならばかなり美人の女性といった所だが、その背中に生えている透き通る蝶のような羽が目の前の存在は人間ではないという事を物語っていた。
「個にして有限なる者よ――私は精霊たちの女王」
名前は名乗らないが、ソレがその存在にとって当たり前のことだから気にしない。
この存在にとって自分の名前とはすなわち弱点であり、服従の証でもある。名前を知られればそこら辺の子供にさえ命を奪われかねないのだ。
「俺に、何の用だ」
ただまぁ、相手が誰であろうと関係なかった。
自分が愛して、自分が救えなかった人の別れの時に乱入してきた相手は憎悪を向ける対象でしかないからだ。
「天に昇りし、我が娘を生き返らせたくはありませんか?」
「――」
思考が止まった。
今の今まで、目の前に相対する存在とどう戦うべきか。どう斬り込めば殺す事が出来るのかと高速で頭が回っていたはずなのに、彼女の言葉を聞いた瞬間に全てが霧散した。
コイツは、今、何と言った……?
いや、いい。
二度言って欲しいわけではない。
コイツは今、沙織を生き返らせたくはないかと俺に聞いてきたんだ。
「個にして有限なる者よ。貴方の魂は呪われている――ですから、それ以外を差し出すと言うのであればあの子を生き返らせましょう」
「……それで、何をさせたいんだ」
「貴方には永遠にこの湖を守護する存在になってもらいます。この湖は我らの聖域――それを“二度”も穢されたとあっては私たちも黙ってはいられないのです」
「……」
なるほど、言いたい事はわかった。
ここで俺が全てを差し出せば沙織は生き返る。確かに、最愛の人を失った人間にとってはソレは望んでも手に入れられない程の福音に聞こえるだろう。
だが、あぁ……それはダメだ。
受けれ入れてはならない。受け入れられるはずがない。どうして“無かった事”に出来るのか。どうして、目を背ける事が出来るのか。
柄を握る手に力が入った。
「貴方にとっても悪い話ではないでしょう? 貴方はあの子と共に過ごせるのですから」
「あぁ、そうだな……悪い話じゃない」
「ならば――」
「だけど、ふざけてるとは思う」
右腕を動かす。
俺の中にある魔力はもう水の一滴程も残っちゃいない。
元々、魔力量は少ないってレベルじゃないほどに無いのだ。連戦など出来る身体ではない。
「死んだ人間は生き返っちゃいけないんだ」
だが、俺は――剣先を目の前の存在へと向けた。
コレは、沙織の死を否定しないための戦いだからだ。
「交渉は決裂だ。お前は――俺の敵だ」
片方しかない目でしっかりと相手を見据えて、俺はそう言い切った。




