別れ
「何も言わなくていいの?」
「誰に? てか、何を?」
「わかってる癖に……サオリに、さよならを言わなくていいの?」
夕方。
まだ、神崎が仕事から帰ってきていない時間に俺と白華は貸してもらっている部屋に居た。
服装を借りていた村人の物から元々来ていた黒いシャツと同色のズボンに着替え、最後の準備を行っている。
服はボロボロで所々穴も空いているが、防御力は折り紙付きだから仕方ない。そういえば、ペリースはあの戦場に捨ててしまったが、元々来ていたコートは一体どこに行ってしまったのか……。
「朝に言ったから大丈夫だろ」
「そっかぁ……」
白華はそう言って背後から首へと抱き着いて来る。
重さを感じないのは白華が自身の魔力で浮いているからだと前に説明された。ソレは魔力の無駄遣いな気がするが彼女にとっては水一滴にも満たない魔力らしい。
「ここにも世話になったな」
「いつか全部終わったら帰ってきたいね」
最後に部屋を一瞥して歩きなれた廊下を行く。
何となくリビングを一瞥すると、テーブルの上に先程までは無かった黒い布が畳まれて置かれていた。
「バレてたね」
「……みたいだな」
広げてみればソレは俺が来ていた黒いコートだった。
右袖の部分は切断され、ボロボロだったが所々に補修された跡がある。きっと、神崎が直してくれていたんだろう。
「――ありがとう」
キッチンの方へとそう言って玄関へと向かう。
「……気付いてるなら、直接言ってよ――バカ」
そんな小さな呟きを背に受けながら俺は外へと出た。
「よぉ……」
辺りが暗くなりつつある外で俺を待っていたのは一人の少年だった。
小麦色の髪を持つ俺と同じくらいの年齢であろう少年の事は一度だけ顔を見た事がある。この村で目を覚まして自分のこれからを決める話し合いがあった日に、神崎が俺の面倒を見ると言った際に嫌そうな顔をしたのが印象に残っていた。
まぁ、その後は俺自身が白華のために魔物狩りやら何やらをやっていた事もあって直接関わる事もなかったから特に親しいというわけでもない。
「……もう行くのか?」
少年は俺を睨みつけたまま低い声でそう言う。
コイツが俺の事をどう思っているかは知っている。恐らく、神崎に好意を寄せており突如として現れた俺に対していい感情は持ち合わせていないんだろう。
「ああ。傷も癒えたしな」
「……アイツは――サオリの事はいいのかよ」
声に含まれるトゲなど隠そうとしない態度を目にしても、俺の心は揺らがない。
ちゃんとスイッチが切り替わっている事に内心でホッとしつつ、少年を見る。ジッと俺を睨みつける茶色の瞳はこちらの言葉を何も聞き逃すまいという意思を感じさせた。
「いいって? 別に俺と神崎はアンタが思っているような関係じゃない」
「――ッ!!」
右腕を振りかぶり、俺の顔面を狙って拳が飛んでくる。
何もしなければ綺麗に入る右ストレート。だが、その速度はあまりにも遅く――俺としても殴られてやるわけにはいかない。
「……んでだよ」
右手で包むように受け止めた拳は予想よりも重かった。だが、脅威ではない。
先に攻撃されたのだからここで少年を斬り捨ててもいいが、そこまでする必要性を感じなかった。
「じゃあ、なんで……サオリは泣いていたんだよ!」
「……」
顔を伏せ、肩を震わせて青年は吠える。
何故、泣かせたんだと。何故、傍に居てやらないのかと。自分ではどれだけ願っても叶わない位置に居るのに何故なにもしないのかと俺に対して叩きつけた。
「なんとか言えよ!!」
「……」
俺が物語の主人公なら――ああいう心を持っていたなら、きっとここで少年の言葉に感化されて俺は今すぐ家に戻って神崎を抱きしめるんだろう。
だけど、現実は違う。
こうしてどれだけ少年が俺に叫び散らかした所で俺の心には何も響かない。なんだったら、面白くない劇を見せられているような空虚な気持ちにさえなる。
『結局、この子も他人任せだよね。ちょっと記憶を見させてもらったけど、想いを寄せててソレを伝える時間もあったのに行動に移さず、ただ今ある幸せを謳歌して……最終的には他人に自分の気持ちを押し付けて怒ってる』
いつの間にか背中で刀状態になっていた白華が呆れた声でそう言う。
『どうして自分じゃないのかって運命を呪って、自分から踏み出すことをしない人が何を言ってるんだろうね。傷つくことを恐れた臆病者なのに……』
【何かを犠牲にしなければ――傷つくことを無視できなければ何かを手にする事は出来ない】
【人生とは選択の連続であり、決まって自分が欲しいと思う選択肢へ進むには傷つく可能性が付き纏う。それを怖がって楽な選択をする者は結果として何も得る事は出来ない。】
いつかのどこか、誰かに言われた言葉が脳内に響く。
白華ではない、低く腹に響くような男性の声だ。
【選択肢に使える対価は決められている。ソレをどう使うかは――君次第だ】
青年の手を放すと、彼はその場に崩れ落ちた。
傍から見たら、完全に俺が悪者だ。
「神崎には感謝してる。ただ……お前の言う通り俺に対してそういう感情を持っている確証なんてない。それに俺にはやらなければならない事があるし、何よりも……この手は一つしかない」
「……」
「俺は物語の主人公じゃない。誰これ構わずに手を差し伸べる事は出来ない。どうしてもお前が神崎を救いたいと言うなら――他人の手に頼らずにお前が自分でやれ」
項垂れたまま何も言わない青年を一瞥してから背を向けて出口へと歩き出す。
今、俺は目の前にあった二つの選択肢《道》を選んだ。
『間違ってないよ』
「何も言ってない……」
右腕に掛けたままだったコートを羽織る。
寒い時期じゃないはずのに肌寒さを感じつつ、急激に暗くなる道を歩いた。




