エピローグ
戦場から遥か遠くの魔族領にほど近い森を裕は足を引きずりながら歩いていた。木漏れ日に照らされ、土と緑と獣の匂いしかしない場所に人間が歩いている姿は異様だったが、その姿はその異様さを上回っている。
白い骨が見えている右腕は出血を止めてはいるが見るからに重症。纏っている黒いコートはボロボロでぱっと見ではただの黒い布切れでしかない。そして、右手に持った長方形の細いナニカ。ソレは三分の二ほど白くなった黒い布で覆われている。
「はぁ……はぁ……」
ここに裕以外の人間が居たとして、彼の姿を見たらアンデットだと思って逃げ出す程にボロボロで足取りが怪しい状態。
先の剣聖との戦いで負った傷だけならばどうにかなったかもしれないが、現在の彼は自らに唯一許された魔法を使った反動で全身の筋肉が断裂している状況だった。本来なら白華が歩くだけの治療をしているはずだが、その白華も先の戦いで予想外に消耗したために休眠状態へと入っていた。それ故に、裕は全身の痛みとまともに動かない身体をどうにか引きずって安全地帯と呼べる森まで逃げて来たのだ。
「狼神の森までは帰れそうにないな……」
だが、それも限界を迎えようとしていた。
既に意識も途切れ途切れになってきており、身体が動かなくなるもの時間の問題。
そんな中、裕は一本の大樹の根本に出来た樹洞を見つけた。軽く中を見てみればどこかの獣が利用しているというわけでもなさそうだった。
「……神の恵みってか」
どこか嘲笑うように呟いてから裕はその樹洞の中へと入り、横になってから意識を闇へと落とした。
せめて、起きた時には最低限動けるようになっている事を祈りながら。
◇ ◇ ◇
水の王都エスティアの王城。その中に存在する豪華な一室に白いドレスを着こんだシエル・ウェル・エスティアは椅子に座って報告を聞いていた。
「それでは……無事、彼にあのペンダントを渡せたという事で間違いありませんね?」
「はい」
「……素直に渡すと疑われて受け取ってもらえない可能性があったために、戦闘をしたというのは本当ですか?」
シエルの前に跪くのは左腕を失った剣聖アルドルノだった。
彼は裕が立ち去った後に来た援軍によって回収され、瀕死の重傷を負っていたにも関わらず、持ち前のスキルを総動員してどうにか生き残っていた。いや、正確にはアルドルノ自身はあの場で果ててもいいと思っていたのだが、数えるのも億劫になるくらいあるスキルのいくつかが自動的に持ち主を守ろうと発動してしまった結果だ。
「勿論です。まさか、シエル姫は僕が彼と戦いたいがためにわざと死闘をしたと言いたいのですか?」
「はぁ……剣聖アルドルノ。貴方の強さとその性格は騎士団長によく聞いています。なので、仮に私利私欲で彼と戦ったとしてもそれに対して文句を言うつもりはありません」
個人的な感情を抜きにしてですが、と内心で呟きつつシエルは席を立ち何時ぞや裕が部屋に入る時に使った窓へと近づく。
窓の外には勿論裕の姿などなく、代わりに広がるのは市民が仕事を終えてその後の生活を満喫しているであろう民家や店の光だけだった。
「重要なのは、彼にあのペンダントを渡せたという事です。アレは我が王家に長年保管されていた物でしたし、何よりも彼に渡す方法が無かったのが問題でした。それに関して受け渡し役を承諾してくださった剣聖アルドルノには感謝しています」
「勿体なきお言葉です。それに、思っていたよりも早く彼と会えましたから大した手間でもありませんでしたよ」
「その報告も聞いています。彼があの場に居たという事は……」
「シエル姫の想像通りだと思います。彼はあのペンダントを手に入れるために王城に潜入するつもりだったのでしょう。いや、彼の事だから潜入というよりは襲撃だったかもしれませんね」
アルドルノの言葉を聞いたシエルはゆっくりと頷いてから、再度窓の外へと目を向けた。
「彼に対抗できる者など貴方以外には居ませんから、今回は助かりました。……その代償として左腕を失わせてしまったのは我が国の損失ですが……」
「いやぁ……本当は左腕もまた生やす事が出来るんですよね」
その言葉にシエルは振り返り、未だ跪くアルドルノを一瞥する。一人の剣聖を見つめる二つの瞳には「では、何故回復させないのか」という問いが含まれており、剣聖はそれを正確に読み取った。
「コレは私個人のプライドなんです。あの戦場で私は彼に負けました。本来ならばあそこで果てていたでしょう……それなのに、生き残ってしまった。だから、この左腕は“私が彼に負けた”という証明なんです」
「剣士ではない私にはわからないですが……貴方がそう決めたのであれば何も言いません」
「ありがとうございます。大丈夫です、右腕しかなくとも彼以外に遅れを取る事などあり得ませんよ」
不適に笑うアルドルノに苦笑してから、シエルはまた窓へと目を向ける。
彼がこの部屋に来てからずっと、無意識にしてしまう行動の一つだ。二つ目は紅茶を二人分用意してしまう事。
「貴方が聖属性を持っていれば彼らを召喚せずに済んだのですが……」
「仕方ありません。聖属性は神に祝福された異世界人にしか宿りませんから」
あるいは、他の方法を彼は見つけているかもしれませんけどね、というアルドルノの小さな呟きは広い部屋へと薄く広がっていった。
密かに目標としていたブックマーク100人まであと二人となりました。
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