狼神戦①
裕が全力疾走で到着したのは、山頂だった。
そこは、龍剣山とは違って木々が生い茂っていたが、そこの中央だけ草原となっており色とりどりの花が咲き乱れていた。
そして、そこに“ソレ”は佐々木と共に居た。
『……来たか。思っていたよりも早かったな』
「やっぱり、てめぇか……」
『ほう? 名乗らなくても我が何者であるか理解できるか……通常であれば、ただのデカい狼と思うか、理解したとしてもその瞬間に発狂するのもだが、流石はあのトカゲが契りを交わした人間というわけか』
眠っている佐々木を守るように座って居た白銀の毛を持つデカい狼は、そう言ってクツクツと笑う。裕はそんな狼――上位存在の一柱である狼神に舌打ちをする。
その顔は「如何にも私は不機嫌です!」というのを隠そうとしない物であり、それを見て更に狼神は笑った。
『なるほど、興味深いな……』
「俺は、てめぇに興味なんかねーよ。それより、何で佐々木を連れ去った?」
『連れ去った? それは、誤解というものだ。我はこの者が力を求めていたからここまで導いたまでだ。つまり、この者が勝手に来たのだよ』
「なら、返してくれるんだな?」
左腰に差してある白華の柄を握りながら、狼神を睨みつけつつもジリジリと裕は間合いを詰めて始める。
決して油断はしておらず、白華を選んだのも狼神の毛皮が硬そうだから斬れる可能性が高い魔刀を選んだにすぎない。
『それは出来ないな』
「なんだと?」
狼神はゆっくりとした動作で立ちあがり、佐々木の前へと出る。その行動には隙一つ無く、裕も白華を抜くことさえ出来なかった。
『勝手に来たとは言え、ここで帰してしまったら上位存在の名折れだ。故に、ただで返してやるつもりはどこにもない』
「そうか……」
『さて、こういう時、お主はどうするんだ?』
裕は静かに溜息を吐いた後に、白華を抜刀した。
そのまま、峰に付いている刃物に親指を付けて、同じく峰に彫られている溝へと自らの血を流し込んだ。血を吸った事で刀身を美しい銀色から紅く染める。
「力尽くでも返してもらう」
『くっくっく……よかろう。我に勝てるのであれば、返してやろう』
狼神は笑った後にその毛を全て逆立てる。
その際に発せられた威圧感に裕は一歩も動かず、それを見守る。今ここで斬り込んだとしても弾かれるか逆に自分がダメージを負うという事はわかっていた。
「ふぅ……」
威圧感が収まった後、狼神が居た場所には長身の男が立っていた。整った顔立ちに美しく光を反射する長い銀髪。普通に歩いていたら男女問わずに振り返る程の美形だ。
だが、その手に握られた無骨な剣は人型になった狼神よりも存在感がある。一見、何の変哲もない数打ちの剣だが、内部に秘めている力は下手をしたら魔刀よりも上だという事が嫌でもわかる程だ。
「この姿になるのも、久しぶりだな……」
「……」
肩を回したりしつつ身体を解す狼神を真っ直ぐ見つめつつ、裕は静かに息を飲んだ。
記憶が正しければ、今まで戦ってきたどんな敵よりも遥かに格上だという事が嫌でもわかったからだ。
「ふむ……あまりの実力差に声も出ないか?」
「まさか。上位存在ってのは、顔の造りも常識外なんだなって呆れていただけだ」
「ふっ、それは当たり前だ」
「嫌味のつもりだったんだがな」
白華を持ったまま手首を回し“全ての一ノ瀬 裕が最終的に必ず辿り着く構え”である脇構えに構える。その目は真っ直ぐと狼神を貫いており、その視線を受けた狼神はニヤニヤと笑いながら剣を構えた。
「先手は譲ってやろう。来るが良い」
「――ふッ!!」
狼神の言葉が終わらない内に大きく一歩踏み込んだ裕は一瞬で距離を0にし、そのまま身体を捻りつつ白華を右から左へと振るう。
神速――そう言っても過言ではない程の速度で振られた白華は紅い軌跡を残しながら狼神へと迫る。誰が見ても確実に捉えたと言える一閃だったが、それはいとも簡単に狼神が適当に持っていた剣に受け止められる。
「――ッ!」
「ふっ……そんな剣術では、まだまだ我には届かんよ。さて、次は我の番だ」
「クソッ!!」
言葉の終わりと共に剣が突き出される。
裕は完全にその軌道が見えていなかったが、勘で半身となりソレを避ける。だが、続いて振るわれた一閃には対応出来ず、白華を立て、左手を峰に添える事で簡易的な盾とし、ソレを受け止める。
「グゥッ!!」
甲高い音が響き渡る中、衝撃を逃がしきれなかった裕は真後ろへと吹き飛ぶ。
このままでは木にぶつかる――そう判断した裕が空中で体勢を立て直そうとした時、自らを誰かが追って来ている事に気づいた。
(誰が……いや、ここにはアイツしかいない!!)
裕が空中である程度体勢を立て直したのと、狼神が剣を振るうのは同時だった。
咄嗟の判断だった。これまでの実戦経験と、前世の記憶……そして、今まで数回、平行世界の自分から受け取った知識が集結して初めて出来た事だった。
「――くぅッ!!」
背中に背負っていた凍華を咄嗟に立てて、鞘ごと地面に突き刺す。凍華は大太刀に分類される程に長く、それを立てれば自らを固定する事が出来るのだ。
「アアアアアアアッ!!」
口から咆哮を上げながら無理矢理、凍華で身体を止めた裕は白華を振るう。空中での急制動のせいで身体に尋常じゃない負担を掛けながらも狼神が振った剣を受けとめ、無理矢理鍔づり合いへと移行する。
「グゥッ……!!」
「ふっ……中々、やりおる」
互いに力を込めつつも、狼神との圧倒的力の差にジリジリと押され始める。通常であれば、狼神と鍔づり合いなど出来るはずもないのだが、龍神と契約した事で得た強靭な肉体と、今まで鍛えて来た事で作られた肉体の基礎。そして、未だに自分を固定してくれている凍華のお陰でどうにか力勝負をする事が出来ていた。
だが、それも長くは持たない。そう判断した裕は一瞬のうちに左手を離して、左腰に差した桜花を逆手に持って、抜刀し、振るう。
「む……っ」
桜花を避けるために身体を逸らした狼神。その間に裕は左足で凍華を蹴り上げ、地面から抜いて大きく後ろへと跳ぶ。
そのまま、白華と逆手に持った桜花を構える。
「変則二刀流か……その構えも久しぶりに見たな」
狼神は左手で顎を啜りながら、裕の構えを分析する。
その顔はどこか懐かしい物を見るようであり、裕はその視線がとても不快だった。




