麦畑の少女
暖かい風を頬に感じてそっと目を開けると、そこは一面黄金色に輝く畑だった。空には青空が広がり、その光を受けて麦が金色に輝いているという事を理解するのに左程時間は掛からなかった。
黄金の穂波が風に吹かれて揺れる。
ぼーっとその光景を見回していると、人を見つけた。
「……?」
顔はわからない。
わかるのは、白いワンピースを着ていて、この輝く麦と同じ金色の長い髪を風に揺らし、麦わら帽子を被っているという事だけ。
「ああ……」
会った事も見たこともない女性。
それなのに、俺はどうしてかその少女の事が愛おしくてたまらなかった。
「……」
少女が俺を見る。
相変わらず顔は見えないが、どこか困ったように微笑んでいるというのはわかった。
「――」
「え……?」
少女が口を開いて何かを言うが、声が聞こえない。
俺はどうしてもその言葉が聞きたくて、一歩踏み出す。
そして、ぐしゃっと何かを踏んだ。
「……?」
気になって見下ろしてみると、そこには赤黒い肉塊が転がっていた。
この美しい光景に似つかわしくない代物。
「え……?」
思わず一歩引いた俺の耳にカチャッという音が聞こえる。音がした右手の方を見てみれば、そこには刀身にベッタリと血を付けた一振りの刀があり、右手はソレの柄を握り締めていた。
「――ッ!!」
どうしようもない嫌悪感を感じてソレを手放そうとするも、俺の手はガッシリと柄を掴んで離さない。いや、コレは刀が俺を離してくれないんだ。
「――」
「なんだよ……聞こえないんだ!!」
少女がまた何かを言うが聞こえない。
どうしても、どうしても聞きたくて……俺は肉塊を跨いで歩き出す。
「――……」
ザワッ! と向かい風が俺を襲う。
まるで、この先に行く事は許さないと言いたげに俺が前へと……少女へと近づく事を拒んでくる。それを無視するように無理矢理進んでいた時、ふと気になって振り返った。
いや――“振り返ってしまった”
「――!!」
俺が歩いて来た場所は全ての麦が枯れ、地面には肉塊が散乱し、空は黒く曇っていた。
慌てて刀を見てみれば、そこには先ほどよりも沢山の血とナニカの肉片が付着していた。
「嘘だ……そんな……だって、さっきまではあんなに……」
理解できない恐怖心が俺を襲う。
ソレを無視するように、逃げるように、意識しないようにがむしゃらに前へと進んでようやく少女の前へと辿り着きそうになった時――
「……早く、迎えに来てね」
「ぇ……?」
――鈴の音のように綺麗な声に顔を急いで上げた時、そこには何もなくなっていた。
少女も、右手に持っていた刀も、麦も、肉塊も、空も、何もない。
「あ……」
だが、俺の中には確かな“喪失感”があった。
あんなに愛おしい存在を失ってしまった……言いようのない程に重い喪失感。
「嘘だ……嘘だああああああああああああああッ!!」
俺は自分の口から発せられた絶叫と共に意識を失った。
◇ ◇ ◇
「嘘だ……」
氷像に囲まれた平原で横になっていた裕の口から漏れた言葉に凍華はピクリと反応した。
「夢……を見ているんですね」
時刻は既に深夜となってきており、そろそろ夜は肌寒い季節となってきていた。
いや、この周辺が寒いのは季節だけが原因ではない。裕を中心として王都にまで広がっている“氷の大地”も原因の一つだろう。
コレは、裕が最後に放った【序曲:氷姫の嘆】の効果で生み出された物だ。
残っていた魔力の全てを込めて放たれたソレは、平原に居た魔物だけでなく王都の門から燃えていた部分も含めて様々な建物やらなんやらを凍らせてしまった。
幸いだったのは、人間が凍らなかった事だろう。
裕のスキルで死亡した人間は現在の所は確認されておらず、凍らされてしまった家の人間は簡易テントが用意されてそこで寝泊まりをする手はずとなっている。
「兄さんが保有していた魔力を見誤りましたね……いえ、前の私だったらどれだけ魔力があってもここまで持続時間が長い氷を生み出すのは不可能でしたから、コレも進化した結果なんでしょうか……?」
ちなみに、何で裕が気を失った場所で横にさせられているかと言うと、佐々木とシエル姫を除いた人間がここまで来る事が出来なかったからだ。
戦闘終了後、裕を連行しようと騎士団や近衛騎士団が来たが、その悉くが裕の居る場所に辿り着く前に足を凍らされて動けなくなってしまっていた。
救助が少しでも遅かったら、あのまま彼らはあそこで魔物のように氷像と化していただろう。
「ん……」
ふと、凍華の耳は足音を捉えた。
だが、ここまで来れるという事は敵対している人間ではないと割り切って、裕の寝顔を見つめる。
「あの……毛布持ってきたんだけど……」
「あぁ、やっぱり佐々木さんでしたか。ありがとうございます」
「ううん。ここら辺はやっぱり寒いね」
「まぁ、氷漬けですからね」
佐々木から受け取った毛布を裕に掛けながら、凍華は笑う。
若干ズレている事に引きつった笑みを浮かべた佐々木は、裕の方をチラリと見る。
「その……大丈夫、なんだよね?」
「ええ。外傷は佐々木さんが治療してくれましたし、命に別状はありません」
「他の子達は?」
その言葉に凍華はチラリとゴブリンの氷像に立て掛けられている魔刀を見た。
翠華は佐々木の手伝いでこの場に居ないが、桜花、白華、寝華はこの場に居る。
桜花と白華は先の戦いで疲弊して刀状態で眠っており、寝華はいつも通り刀状態で寝ている。
「そちらも大丈夫だと思います。私達は魔素があればいくらでも回復できますからね。幸い、ここは魔素が濃いので明日にでも目を覚ますと思いますよ」
「なら、よかった」
「ところで……その手に持っている毛布はどうしたんですか?」
凍華が未だに佐々木が手に持っている二つの毛布を指さして聞くと、佐々木はあわあわと慌てだす。それと同時に顔が真っ赤に染まる。
「こ、これは、その……っ!」
「あぁ……なるほど」
「ちょ……っ! まだ何も言ってないのに納得しないで!!」
「ここで寝るつもりなんですよね? 二つあるという事は、一つは私のためでしょうか?」
「うぐっ……本当にわかるのね」
佐々木が諦めたように毛布を一つ凍華に渡し、もう一つを自分の肩に掛けるようにしてから裕の近くに座る。
「王都の方……ちょっと居づらくてさ」
「そうですか……まぁ、私も色々とやりすぎてしまったとは思っています」
「ううん。凍華さん達はみんなを守るためにやってくれた事だからいいんだよ。逆に、ソレを逆賊だなんだって責め立てる方がおかしいよ……」
凍華は「人間は相変わらず面倒くさい生き物だなぁ」と思いながら、夜空を見上げた。
そこには星がいつもと変わらず輝いていた。
「一ノ瀬君、早く目を覚ますといいなぁ……」
佐々木の小声を聞きながら、凍華はそっと目を伏せた。




