無力
やけに心臓の音が大きく聞こえる。白華しか持っていないのに、桜花を抜いていた時以上に心臓は激しく脈打ち、全身は緊張した時のように硬くなる。
「な、なんで……」
白華を構えて、しっかりと相手を見据えているはずなのに視界がグニャリと歪んで上手く構えられているのかさえわからなくなってくる。
それだけじゃない。息も無意識のうちに切れ始め、呼吸が浅くなっていく。
「ん~? おにーさんはさっきから何を言ってるのかなぁ?」
本当にわからないと言った感じのリベージは可愛らしく首を傾げる。
そこに嘘はない。そう、俺の左目は教えてくれる。
それでも、納得できるかと聞かれれば答えはNOだ。
すぐにそんな事を納得できるはずがない。
「本当に俺と会った事がないのか……? 一緒に“クレープ”を食べただろ!?」
「クレープ……? 何それ?」
「なっ……!?」
目の前に居るリベージは“クレープを知らない”と言った。
あの時、彼女は確かに「故郷にそういう食べ物がある」と言っていたはずだ。
(何がどうなってるんだ……!? 目の前に居るのは、確かに俺が知っているリベ―ジだ。それなのに、中身は違う……?)
「それよりさ……私もおにーさんに聞きたい事があるんだよね~」
思考を限界まで回していた俺にリベージはいつの間にか近寄ってきていた。
そして、その右手を無造作に白華に伸ばし――
「――ッ!!」
――刀身をまるで木の枝を掴むように握ろうとした所で、俺は一歩引いてそれを躱す。
リベージの指が落ちるのを嫌ったというのもあるが、何か……そう、言葉に出来ない嫌な予感がしたからだ。
「ふぅん? やっぱり、ソレ、本物なんだ?」
「さっきのヤツも同じ事を聞いてきたが……コレが本物か偽物かなんてそんなに大事な事なのか……?」
俺が聞くと、リベージはさぞ面白い事を聞いたかのように両手を広げて笑い出した。
その姿は、一見すれば可愛い女の子が大袈裟に笑っているように見えるのに、今の俺にはとても恐ろしい物に見えた。
「そりゃそうだよ! おにーさんだって、王国の人間だったら知ってるでしょ? 数千年前、魔王様を殺した時に使われた武器は魔刀なんだよ??」
「それは知ってるが……ソレとコレと何の関係が……」
「おにーさん、鈍いねぇ? 私……ううん、魔族はみんなその武器を恨んでるんだよ? 本物を見つけたら徹底的に壊すに決まってるじゃない!」
狂っている。
そう思わせるような顔で笑うリベージを見て、俺は内心で首を振った。
(目の前に居るコレは俺が知っているリベージじゃない……外見は瓜二つだが、中身が全く違う。あの時会った彼女はこんな思想の持主じゃなかったはずだ)
「だが……魔王も最近になって魔刀を手にしたはずだが?」
「へぇ……お兄さん、詳しいね?」
リベージの顔が愉快な物から不機嫌な物へと変わる。
「そう。魔王様はね……数千年前の過ちを繰り返そうとしてる。あの時“魔王の嫁”が魔刀だったから、命を落とす事になったのにね? 今回だって、拷問でも洗脳でも何でもして、武器を変えさせればいいのに……ううん。それだけじゃない。あんな女なんて殺して、新しい魔王の嫁を探し出せばいいのに……それなのに、いつまでもあんな女に拘ってるなんて、おかしいよね?」
早口で紡がれた言葉に、俺は唖然とするしかなかった。
美咲を殺せばいいとかそういう発言に腹が立つが、それよりも驚くべき発言があったのだ。
「魔王の嫁は……複数、存在しているのか……?」
「あ、知らなかった? そうだよ~。魔王の嫁はね……あの女以外にもこの世界には存在しているの」
その事実に気づけば俺は、奥歯を噛みしめ、両手を強く握りしめていた。
他にも居る……他にも、選べたはずだ。
それなのに、どうして――。
「どうして、俺から奪った……」
口から漏れだした言葉は低く、冷たい。
無意識のうちにリベージを突き刺すように掲げられた白華は、その刀身を一層紅く染めて脈動している。
「ん~? おにーさんが何で怒るかなぁ?」
「……」
「あっ! わかった! あの女って、おにーさんの好きな人だったんでしょ! 私、あの女が呟いてるの聞いた事あるもん! えっとぉ……確かぁ……」
「……れ」
「もうちょっとで出てきそうなんだけどなぁ~」
「……まれ」
「あっ! 出てきそう!」
「……黙れ」
「一ノ瀬 裕だったかな?」
「黙れぇえええええええええッ!!」
白華の刀身が煌めく。
目の前の女を確実に殺すために。女の首を刎ねるために。その刃はただそれだけを目的として素早く振るわれる。
「大当たり~♪」
あぁ、だが、現実は非情だ。
俺が放てる必殺の一撃さえも、目の前に居る女はひらりと舞い落ちる木の葉の如く避けてしまう。
「クソがああああああああああッ!!」
白華を振るう。振るう、振るう、振るう、振るう、振るう。
どれだけ避けられようと、そんなのは関係ない。
俺にとって、この女を斬る事さえ出来れば過程などどうでもいいのだから。
「そんなに必死になっちゃって、おにーさん可愛い~♪」
「――ッ!!」
コイツは、どこまでも俺の神経を逆撫でしてくる。
「殺してやる……お前だけは、俺がッ!!」
「ふふ、そんな熱い目で見られたら本気になっちゃいそう。でも――」
女がその手を振るうと、いとも簡単に白華を持った俺の右手首は掴まれてしまった。
そのまま、捻るように絡め止められ、俺は女に組み伏せられる。
「“今は”その時じゃないから、お預けね?」
「ぐ、おぉぉぉおおおッ!!」
「暴れちゃダメだよ~」
どうにかもがいて抜け出そうにも、ガッチリと固定された俺の右腕は動かない。
それどころか、腰に体重を掛けられているせいで立ちあがる事さえ出来ない。
「もぉ~、仕方ないなぁ」
少女が本当に困ったように言った後、右肩からゴキリと嫌な音がするのを耳にした。
例えるならそう、手羽先の関節を外した時のような感覚。それと同時に右肩に走る鈍い痛み。
「――ッ!!」
「お、悲鳴を上げないなんて偉い偉い。まぁ、悲鳴を上げたとしてもだーれも助けに来てくれないと思うけどね」
もがいていた右腕が動かない事で、肩を外されたという事を理解した。
それと同時に後頭部を掴まれ、俺は強制的に王都の方へと視線を向ける事になる。
「ほら、そろそろ花火の時間だからちゃんと見てね」
「なにを……」
「ばーん」
女の言葉と同時に、王都の方で炎が上がる。
それも、一本ではない。何本も火柱が上がったのだ。
「なッ……」
「ふふ、上手く行ったみたい。でも、あんまり綺麗じゃないね?」
絶句する俺を無造作に投げ捨てた女は、手で枠を作りながら王都を見る。
俺はというと、あまりの急展開に動けずにいた。
「ま、いっか! それじゃあ、おにーさん。私はもう行くね。次会う時は……って、それまで生きてないか! じゃあね~、ばいばい」
女はそう言って手をひらひらとしてから、その姿を消した。
俺の耳には、ずっと、女の声が残っていた。
あの女に対して、俺は……無力だった。




