手
私の手は、よく取れる。
私の母も、私の母の母(つまり、私のおばあちゃんだ)も、よく取れる人だったらしい。
左手よりも、右手ばかりがよく取れるので、小学校の時のあだなは「右手番長」だった。「忘れ物番長」が由来らしいが、当時の私はどこか誇らしく、「番長ー、また校庭に右手忘れてたよー」と声を掛けられても、「はいはーい」と元気に返事をしていた。
恥ずかしさよりも得意げの方が勝っており、右手が取れるおかげで皆や先生に注目されることが嬉しかったのだ。純粋に。
小学校高学年になる頃、少し疑問に思った。
「みんなの手は、どうして取れないのだろう」
何度か友達の手を引っ張らせてもらったことがあるが、左手も右手も取れない。「痛いよ」と友達が怪訝そうな顔をして、「私は番長とは違うから」と呟いた言葉を聞いて、はじめて私は自分の手をまじまじと見つめた。赤や青紫色の血管も通っているし、手首を覆えばドクドクと脈を感じることも出来る。首を傾げることしか、あの日は出来なかった。
母に勇気を出して尋ねてみると、「あなたは特別なのよ」と言う。その後、少しだけ寂しそうに「まあ、特別だからといって、何か素敵なことが起こるわけではないけどね」と笑った。言葉の表側からでは覗けない表情が見え隠れしていたけれども、母が何らかの答えをくれただけで私は安心してしまった。
開き直ってしまえば早いもので、そのまま小学校を卒業し、中学校・高校生活も過ぎていった。環境が変わるたびに奇異なものを見る目は至る所で感じたが、相変わらず私の右手はよく取れたし、今更どうすることも出来ないので開き直ることにしたのだ。意地を張っていた訳ではない。「まあ、いいか」と半分苦笑いも交えた開き直りであった。
高校では友達にも恵まれたし、何でも話せる親友にも出会えた。小学校で私の右手を誰よりもからかっていた男の子と高校で再会し、急に「右手も含めて好きです。付き合ってください」と文化祭で告白された時には、あまりにも上向きに進み始めた自分の人生に少しだけ寒気がしたものだ。寒気と同時に、苦笑いで抑えてきた右手に対する感情がどこか優しさを含んだものになっていくような気がした。
そして、今日という日を迎えた。
まだ、ほんのりと冷たい風が私と彼の間を通り過ぎる。同じくらい充血した目で、何度も互いの顔を見合わせては「忘れないでね」「おう」と声を掛け合う。駅のホームで、もう何十分もこうして声を掛け合うものだから、さっきふと目が合った駅員さんはどこか呆れたような表情をしていた。ごめんなさい、駅員さん。今日だけは許してもらおう。遠くの町の大学に行ってしまう、彼との別れの日なのだから。
何度目かの発車のベルが鳴る。彼が決心をしたようにドアの向こう側へ足を進める。考えるよりも先に右手が彼の手を掴んでいた。「元気でね」「お前もな」「絶対会いにいくからね」「今時、携帯もあるんだからそんな今生の別れみたいな顔するなよ」軽口を叩いてくる言葉とは裏腹に、私の右手を握りしめる彼の手が力を込めたものだから空いている手で彼の額にデコピンをした。「そっちこそ」
再び発車のベルが鳴り、ドアが閉まった。いつもより、大きな音を立てて閉まった。気がした。
さあ、帰ろう。まだギリギリ期限が残っている定期を取り出そうとして気づいた。
あ、右手、取れてる。
思わず笑いながら左手で母に電話を掛けた。さっきの駅員さんは、まるでこの世の終わりのような顔をして私の右手を見ている。ごめんなさい、駅員さん。本日こうして駅員さんに謝るのは二度目だ。恐らく、今日の体験は駅員さんの中で将来語れる鉄板ネタになるだろうから許してください。信じてもらえればの話だけれど。
母が電話に出る。彼との別れの日だと知っている母の声は、いつもより暖かかった。
「ちょっと帰るの遅くなるから。ごめんね。あ、あのね。また帰ったら話すけどね。あったよ、いいこと。手が取れて。うん、また話すから」
戸惑っている母にそう告げて電話を切る。そして深呼吸。今日は晴天。右手番長の気分も上々。
「さて、右手を取り戻すために、あいつに会いに行きますか」
fin.