正義令嬢VS悪役令嬢~恐怖! 婚約破棄デスマッチ編~
悪あるところに正義あり。光あるところ必ず闇がある。正義と悪は表裏一体。どちらも絶えることはない。それは、悪役令嬢と正義令嬢の戦いもまた、絶えることはないという悲しき宿命を意味していた。
「やはり令嬢といえばティータイム。この時間をどれほど優雅に過ごせるか……これも一つのレッスンですわ」
「マリアベル様あああああああぁぁぁぁ!!」
優雅にティータイムを楽しむ、正義令嬢の若きエースマリアベル。
金髪が陽の光に照らされて美しく輝いている彼女のもとに、執事のセバスチャンが駆け込んで来た。
「騒がしいですわ、それでもセバスチャンマーク2零式ですの?」
「はっこれは失礼を」
セバスチャンマーク2零式。令嬢に仕える執事を育成するセバス星の出身であり、全部門トップにより誰も並び立つもの無しという意味で零式の称号を持つ万能執事である。
「マリアベル様。婚約破棄デスマッチの果たし状が」
「なんですって? これは……悪役令嬢ジェミニ様から」
婚約破棄デスマッチ。それは王族・貴族と悪役令嬢からの挑戦状。
果たし状には、令嬢ファイトで正義令嬢が勝てば婚約破棄し、独身のまま。負ければその貴族と婚約しなければならないというルールが記載されていた。
「ですがまだ受けるにはマリアベル様は……」
「お黙りなさい。正義令嬢として、挑戦から逃げるなどあってはなりませんわ」
「では……」
「ええ、この勝負、受けてたちましょう!」
そして数日後。
『あーあー、マイクテスト。さああああぁぁぁやってまいりました! 正義令嬢マリアベル様VS悪役令嬢ジェミニ様の時間無制限一本勝負! 婚約破棄デスマッチだああぁぁ!!』
天国と地獄に通じている向かい合わせの門『ビューティー・ヘブン・オア・ヘル』の中央に設置された最高級素材で作り上げられた四角いリングの中央では、マリアベルと謎の悪役令嬢ジェミニの死闘の幕が上がろうとしていた。
『実況はわたくし、セバスチャンがお送りいたします。ルールはこちら』
セバスチャンの手から画面に映し出された果たし状には、マリアベルが負ければ婚約。勝てば婚約破棄し、悪役令嬢ジェミニは引退と書かれていた。
「今回のお相手、ジェミニ様はいったいどこにいらっしゃるのかしら?」
プラチナのコーナーポストに寄りかかり対戦相手を待つマリアベル。
この日に備えてコンディションを整えた均整の取れた体と、よく手入れが行き届いた金髪。純白のパーティードレスはまさに正義令嬢の模範である。
「わたくし達をお呼びかしら?」
重厚な音を立て、ゆっくりと天国・地獄の両門が開く。そこから現れたのはまったく同じ容姿の二人。
前髪ぱっつんロングの令嬢であった。髪の赤か青かの違いはあれど、黒いフリルのついたゴスロリに近いドレスまで瓜二つである。
両者のギラついた真っ黒な目はマリアベルを捕らえて離さない。まるで獲物を狙う猛獣のそれだ。
「双子? 二対一ということですの?」
「早とちりなさらないで」
『おおおおおっと!? これはどうしたことか! 二人の姿が重なって、一人になっていくううぅぅぅ!?」
「わたくし達は、二人で一人の……」
『悪役令嬢ですわ!』
声までも重なり、完全に一人になったジェミニは紫の髪をなびかせ、リング中央へと歩を進める。
「改めましてごきげんよう。悪役令嬢ジェミニと申します」
「ごきげんよう。正義令嬢マリアベルですわ。ジェミニ様とお呼びしても?」
「ええ、わたくしはジェミニ。名はそれ一つですわ」
『令嬢ファイト! 開始いいいぃぃぃぃ!!』
今、令嬢ファイトの開始を告げるゴングが鳴り響いた。
先に仕掛けたのはジェミニであった。右腕から禍々しい黒炎を、左腕から神々しい光を吹き出しながら、マリアベルへと迫る。
「参りますわ!」
リング中央で令嬢チョップの打ち合いが始まる。お互いに一歩もひかずに打ち合う姿は堂々たるものであった。毅然とした態度で受け止め、倍返し。これこそ令嬢の流儀である。
「これは……光と闇の力を同時に使っている?」
「その通り。天国と地獄を見てきたわたくしは、両属性が染み付いておりますの」
「天国と地獄を? 穏やかではありませんわね」
一瞬の疑問が隙を作った。マリアベルの両腕はしっかりと掴まれてしまう。
「情けは無用。悪役令嬢奥義――――フュージョンロンド!!」
ジェミニは掴んた両腕から流れるようにマリアベルの背後を取り、間接を決めて正負の力を流し込む。
「うっ!? なんですの……この……体が内側から引き裂かれるような痛みは……」
「正と負の力は相反するもの。それを同時に、しかも一人の体に流し込めば、内側で反発し合い……やがて大きな渦となってその身を襲う!」
「脱出しなければ……っ! うああぁぁ!!」
「無駄ですわ。力の源である令嬢パワーをかき混ぜられては、脱出などままならないはず」
令嬢の魂が極限まで燃え滾るその瞬間、無限の力が生まれる。それこそが令嬢として生まれたものの真価である。だがその力の方向性が滅茶苦茶にされてしまってはひとたまりもない。
「もうじき立っていることすらできなくなりますわ。わたくしの勝ちですわね。これでめでたくカイル様との婚約も成立。どうかお幸せに……わたくしのぶんまで、どうか……カイル様を幸せに……」
ダイヤモンド製のリング越しにマリアベルは見た。ジェミニの目に、うっすらと涙が滲んでいるのを。
「カイル様とは……今回の婚約者の……? いったい何故……ここまでして私と婚約させようと……」
「貴女が知る必要はございませんわ! さようならマリアベル様」
「負けるわけには参りません。貴女の涙の理由を知るまでは! はあっ!」
つかまれている両腕ごと飛び上がり。体を捻ることで両足をジェミニの首にかけ、三角絞めにかかるマリアベル。
「なっどうして……令嬢パワーを使えば使うほど、貴女の体は壊れていくはず」
「私がただ技を食らっているだけだとでも? 解けましたわ! 貴女の技の秘密が!」
「なんですって!? ありえませんわ!?」
「貴女の技は相手の令嬢パワーを正と負に変換して流れを操作し、ぶつけ合っている。ならば令嬢パワーをゼロにすればいいだけのことですわ。完全に令嬢パワーを消し、流し込まれる力に同化すれば、後は単純な体術の勝負!」
マリアベルの洞察力は正義令嬢の同期の中でもズバ抜けていた。
金にものをいわせた英才教育の中には、クンフーを積んだ正義令嬢による気のコントロールレッスンが含まれていたことも察知に一役かった。
「負けられない……カイル様が幸せになるためには……正義令嬢筆頭マリアベル……貴女と結ばれることこそが幸せへの道」
首を絞められたまま、ジェミニは天高く飛び上がった。
まるで己の身など意にも解さぬ振る舞いである。
「このまま叩きつけて差し上げますわ」
「無駄ですわ。衝撃を殺す手段くらい、令嬢なら熟知して然るべしですわ」
全身を振り子にし、空中で回転を始めるマリアベル。
やがて回転に耐えられずジェミニの手が離れる。
「ですが、ただやられるばりかりも令嬢の恥。反撃と参りましょう」
『三角締めを解いて素早くジェミニ様を捕らえたこの体勢は! 出るか! マリアベル様の令嬢奥義!』
「令嬢パワー開放! 婚約破棄ハリケーン!!」
婚約破棄ハリケーン。それはまるで嵐のように過ぎ去る愛と恋。友情と愛情。身分の差。望まぬ婚約。そんな令嬢必須の青春を力に変え、高速回転しながら相手をリングに突き刺す必殺技である。
「ふふっ、正義令嬢敗れたり!!」
『なああ!? ジェミニ様が! ジェミニ様が二人に増えたあああぁ!!』
令嬢ファイト開始前のように二人に増えたジェミニは、マリアベルの拘束を打ち破り、逆にしっかりとマリアベルをホールドして落下する。
「いきますわよ! 悪役令嬢究極奥義――――ざまぁヘブン・オア・ヘル!!」
マリアベルは轟音とともに頭からリングに突き落とされた。リングが砕け、ダイヤモンドが散っていく。
「美しい……まるでこの婚約を祝福するかのよう。さあ、早く決着の合図を!」
『待ってくれジェミニ!』
突如実況席に現れ、セバスチャンのマイクを奪った男がいた。金髪碧眼で高身長イケボのイケメン。今回の婚約相手である某国王子のカイルである。
「カイル様!? どうしてここに!?」
『ああ、ジェミニ。生きていたんだね!! だがなぜだ! なぜなんだいジェミニ! なぜこんなことを!』
「わたくしはカイル様の幸せを願って……」
『僕の幸せは君無しでは有り得ない!』
「いいえ、わたくしは幸せなど知らぬ身。天国と地獄をさまようだけ」
「そのお話、詳しく聞かせていただきますわよ」
リング中央には不屈の闘志で立ち上がったマリアベルがいた。
「そんな……生きているなんて」
「死ねませんわ。そんな悲しそうな顔をされたら……心配で成仏もできなくってよ」
『話してくれ、ジェミニ。この婚約破棄デスマッチは僕の与り知らぬもの。だが事情を聞く権利はあるはずだ』
ジェミニはしばし逡巡し、やがてゆっくりと語り始めた。
「わたくしは幼き頃、悪役令嬢でも正義令嬢でもありませんでした。正と負の力を持ちながら、どちらも扱えない落ちこぼれ。そんなわたくしに、たった一人だけ優しくしてくれた方、それがカイル様」
『ああ、覚えているよ。幼い僕はパーティーというものがどうも慣れなくてね。人気のない場所を探していたら君と出会ったんだ』
「それからでしたわ、カイル様とお会いすることがわたくしの生きがいであり希望となったのは」
昔を懐かしむような、決して戻らぬときを悲しんでいるような声で語り続けるジェミニ。
「ですが、母はわたくしを許さなかった。令嬢として不出来だったわたくしは、この天国と地獄の門の前で母に絶縁され、門が開かれました。母は初めからわたくしをあの世へと捨てるつもりだったのです。もうカイル様に合わす顔が無い……そう思いただ死を待つ我が身は、天国と地獄の両側へと引っ張られました。そして……」
ジェミニの姿が二つに増える。どちらの顔も目に大粒の涙を貯め、うつむいている。
「正と負の力を完全にコントロールできる代わりに、このように二人で一人になったのですわ」
『そんな……君と君の母は令嬢としての訓練中に死んだと……そう君のお姉さんから聞かされて……』
「ええ、悪役令嬢として力を付けたわたくしが家に戻ると、姉はカイル様との婚約を何とか取り付けようと躍起になっておりました。わたくしはカイル様の財産目当ての姉が婚約するのを阻止するために一計を案じたのです」
「それが私との婚約破棄デスマッチ……」
「ええ、正義令嬢のエースであるマリアベル様なら、姉も文句は言えないはず。姉はわたくしが死んだと思い込み、油断していましたから。死んだことにしておき、隠れて準備を進めました。今頃この試合を聞きつけて慌てふためいているでしょうね」
自嘲気味に笑うジェミニはもう、溢れ出る涙を止める事ができなかった。
「ジェミニ様のお母様は?」
「地獄に引きずり込まれておりましたわ。弱いものをいたぶることしかできない愚かな女でしたから、地獄には耐えられないでしょうね」
「もうこのような体で、カイル様にお会いすることなどわたくしには耐えられません……どうかわたくしのことは忘れて、マリアベル様と生涯をともになさってくださいまし」
『嫌だ! 僕には君を忘れることなどできない。君が死んだと聞き、この身が張り裂けそうだった! 亡霊だろうが二人に増えていようが構わない! 君と離れたくないんだ!!」
「カイル様……わたくしも……いいえ、やはりこんな体では……」
「やれやれですわ。これは意地でも、なにがなんでも勝つしかありませんわね」
ジェミニの話を聞いて、マリアベルの魂はこれ以上ないほどに燃え上がる。
「私は……私は正義令嬢ですわ。ジェミニ様のような穢れの無い方に涙を流させないために……そんな涙を一滴でも拭えるように……今こそ燃え上がるのです! 私の令嬢パワー!!」
マリアベルのブロンドが輝き世界を染める。誰もがその美しさに見惚れるその僅かな時間。一秒にも満たない刹那に彼女のドレスはウエディングドレスへと変わる。
そのあまりの美しさに世界すらも息を止め見入ってしまう。時は止まり、マリアベルだけの時間が流れた。
「さて、準備は上々といったところですわね」
「いつの間に背後に!?」
「ジェミニ様。この勝負、勝たせていただきますわ!」
ジェミニの背後から急襲をかけるマリアベルの姿がぶれる。
「マリアベル様が二人に! いいえ違いますわ、これは闘気。令嬢パワーを集めて分身を作ったということですの!?」
「いきますわよ。正義令嬢究極奥義!!」
二人のジェミニを抱えて天高く舞い上がるマリアベル。
「ごきげんようバスター!!」
逃れる術など無い究極の業。それがごきげんようバスターである。
「負ける。わたくしが負ける。カイル様、どうか……幸せに……」
あまりの衝撃にリングが粉々に砕け散り、倒れ伏すジェミニ。その姿は一つであった。
『決まったあああぁぁぁ!! 勝者マリアベル様!! これでこの婚約破棄デスマッチは……』
「私の勝ち。つまりジェミニ様がカイル様と婚約するのですわ」
「なんだって?」
「果たし状をよーくご覧くださいまし」
セバスチャンが手元の果たし状をモニターに映す。そこにははっきりと、負ければマリアベルが婚約。勝てばジェミニが婚約。と記されていた。
「そんなっ!? うぐっ、そんなばかな……私は確かに……」
目が覚めたジェミニがふらふらと歩き出し、果たし状を強引に奪い取る。
「これは……これはいったい誰が!?」
「誰がもなにも初めからそうだったのでしょう。誰にも気付かれず、果たし状の内容を書き換えるなど、時間が止まりでもしなければありえないことですわ」
「時間……まさか……貴女が時間を止めたのは、わたくしを倒すためではなく、果たし状を書き換えるために……?」
「さあ? そんな証拠はありませんわよ」
時の止まった世界では、なにがあろうとマリアベル以外には知りえないことである。それが果たし状の書き換えであってもだ。
「ジェミニ!!」
倒れそうになるジェミニをカイルが優しく抱きとめる。
「カイル様……」
「ジェミニ。結婚しよう」
「カイル様。ですがわたくしは……」
「もう二人にはなりませんわよ。ジェミニ様の力が頂点に達した時、ごきげんようバスターを打ち込みました。完全に魂も肉体も結びつき、決して離れることは無いでしょう。ジェミニ様とカイル様のように」
何度二人になろうとしてもジェミニはもう一人の令嬢であった。
「今の貴女なら、正と負の両方を完璧に使いこなせるはずですわ」
「私の体が……戻った?」
「ジェミニ! もういいんだ。戦わなくてもいい。これからは私の妻として、ずっとそばにいて欲しい。もう二度と、君と離れたくない……」
「カイル様! わたくしも、わたくしもずっと……おそばに……カイル様!!」
二人は泣きながら強く強く抱きしめあっていた。この絆は、たとえどんな障害が待ち受けていようとも、切れることは無いだろう。
「ありがとう存じますマリアベル様」
「ありがとう。僕にはそれしか言葉が出てこない。本当にありがとう」
「お幸せに。式には呼んでくださいまし」
それだけ言って立ち去ろうとするマリアベル。
「マリアベル様! どちらへ?」
「正義令嬢として、穢れなき涙を流させたという貴女の姉に……お仕置きをして参りますわ」
光あるところに闇がある。悪役令嬢と正義令嬢は表裏一体。戦いはこれからも続いていく。
しかし、誰かを愛する心は、案外同じものなのかもしれない。