閑話・六腕の剣鬼
魔界西部の一角に轟音と共に凄まじい炎が巻き上がる。岩も地面も根こそぎ溶かすほどの熱量を持った炎の竜巻は、しかして一瞬で真っ二つに切り裂かれた。
己が放った技を切り裂かれてなお笑みを浮かべるのは、戦王五将筆頭であるアグニ……彼女は笑みを深めたままで地を蹴り、桁外れの速度で炎を纏った拳を放つ。
その拳を六本の剣が迎え撃ち、強大な魔力のぶつかり合いで周囲には再び轟音が響き渡った。
かなり激しい戦闘を繰り広げたあと、アグニは清々し気な表情で汗をぬぐい、戦っていた相手に声をかける。
「素晴らしい戦いだった。礼を言わせてもらおう」
「……いや、こちらもよい鍛錬になった。しかし、今日はずいぶんと気合が入っているように見えた」
「最近新たな強者と巡り合う機会があってな、その者は死王様の配下となったらしいので、再戦の機会が楽しみでな」
「ふむ」
アグニに話しかけられた相手……玉虫色のショートボブに触覚が生え、背に甲虫を思わせる羽を持つ長身の女性は、六本にだった腕を二本に戻しながら頷く。
「しかし、シリウス殿の剣技は相も変わらず凄まじいな。以前よりもさらに腕を上げたように思う」
「称賛はありがたく受け取っておく」
「いままでも何度か尋ねたので返答は予想できるが、いちおう再度言ってみるか……シリウス殿、戦王陣営に属する気はないか? 貴殿ならすぐに幹部にもなれると思うが?」
「私を評価してくれるのは、ありがたいが……生憎と興味はないな。私は己を鍛えることで手いっぱいだ。どこかの陣営に属する気はない」
「……そうか、残念だが無理強いはできないな。またこうして模擬戦に付き合ってくれ」
「ああ、それならば喜んで、お前との戦いは私にとっても有意義だ」
シリウスと呼ばれた虫人の女性は、アグニからの勧誘を断る。これはいままで何度も繰り返されてきたやり取りではある。
シリウスは魔界でも珍しいいずれの陣営にも属さない、伯爵級最上位の実力者であり、『六腕の剣鬼』などとも称される存在であり、魔界一の剣士としても有名な存在だった。
だが彼女は挑まれれば誰からの戦いにも応じつつも、どの陣営からの勧誘も断り、日々ひたすらに己の鍛錬のみに時間を費やしていた。
長い付き合いのアグニも、シリウスが断るのは分かっていたのか、特に気にする様子もなく挨拶をしてその場から去っていった。
アグニを見送ったあとで、剣の手入れをしながらシリウスは物思いにふけっていた。彼女は魔界一の剣士と称される存在ではあるが、本人はその称号に関しては強く否定していた。
ソレには理由がある。彼女は今もなおひたすらに鍛錬を続ける理由……それは、かつて彼女が出会ったひとりの剣士が原因だった。
いまから一万数千年前、己こそ魔界最強の剣士であると疑っていなかったシリウスの前に現れた二刀流の剣士。さすがにずいぶん昔のこと過ぎて、ハッキリと顔を覚えているわけでは無いが、己と同じ虫人でカブト虫のような長い角と黒いダイヤのような甲殻があったことは覚えている。
そして、その時の戦いについてはいまのなお鮮明に思い出せる。己の剣技こそ魔界最強だと信じていたシリウスは、その相手とまともに打ち合うことすら出来ずに敗北した。
――超絶飛翔蛇流、一の剣・敵倒!
それは、舞うような美しい剣だった。美しさだけでなく空を飛ぶ竜の如き力強さも兼ね備えたその剣技は、あまりにも壮絶だった。
たったの一撃で敗北しながらも、その敗北に悔しささえ湧いてこない、むしろ負けて当然だと思えるほどの差……アレこそが、己の目指すべき頂だと確信した。
――強くなれ……。
敗北して地に倒れ伏すシリウスに、そう一言だけ告げて去っていった謎の剣士。その時から、シリウスの挑戦は始まった。
敗北に悔しさは無かった。だが、あの剣士の本気を引き出せなかった未熟さは、血を吐くほどに悔しかった。強い憧れを抱きながら、シリウスは己を磨き続けた。
あの剣士に勝つために、一から己の剣技を作り直し、伯爵級最上位となったいまも鍛錬を続けている。
だが不思議なことにその謎の剣士の足取りはそれ以降まったく追うことができず、あれほどの実力者であったにもかかわらず、噂を聞くことすらない。
もしかしてアレは己が見た夢ではないかと疑いかけたこともあったが……右手の甲に残る……いや、あえて残している傷跡があの戦いが現実のものであったことを証明していた。
なぜ見つからないのかは、分からないが……現時点ではシリウスはそのことに関してはあまり気にしていなかった。今の時点で再会したとしても、あの時と結果はさほど変わらないだろうと、そう思っていたから……。
(……強くなれたという実感はある。だが、あの剣士に届いた実感は少しもない……まだまだ、遥かに頂は遠い)
剣の手入れをしつつ、シリウスは今日のアグニとの戦いを思い出す。さすがに伯爵級最上位の中でも有数の使い手たるアグニとの戦いは、実りの多いものだった。
シリウス自身の課題も多く見つかったし、今後の鍛錬にも身が入るだろう。だが……少しだけ、シリウスは伸び悩みを感じていた。
(同格の相手との鍛錬は、有意義ではある。だが、少々頭打ちに感じる部分があるのも事実だ……出来れば、『格上』との戦いを行いたい。近接戦闘をすることが多かったし、中~遠距離に圧倒的力を持つ相手と戦ってみたい。そうすれば、いま以上に成長するためのナニカが得られそうな気がする)
いまよりもさらに強くなるために、格上との戦いを望むシリウスだが……伯爵級最上位である彼女を越える存在というのは、かなり限られてくる。
となれば、シリウスが戦いを望む相手は必然的に……。
(……戦ってみたい。『王』と呼ばれる存在と……アグニに頼めば、戦王様に渡りを付けてもらえるかも知れないが、戦王様と戦いたがる相手は多い。私が戦ってもらえるまでに時間がかかりそうだ……それに、できれば私の苦手な魔法戦を得意とする相手と戦ってみたい。となると、候補は冥王様、死王様、界王様か候補だが、冥王様と界王様は本人に会うのが難しいとなると……会いやすいのは死王様か、果たして挑戦を受けてもらえるだろうか?)
そんなことを考えながらシリウスが不意に顔を上げると、空には美しい満月が輝いていた。それを見てなんとなく、本当になんとなくではあるが……死王アイシスの元を訪ねることが、己にとって大きな転機となるような、そんな漠然とした予感が頭をよぎった。
シリアス先輩「……ふむ、この感じだと一番早くアイシスと会いそうなのはシリウスかな? どう思う? 謎の剣士よ」
???「……なんのことですかね? 私はあの超絶美少女剣士とはなんの関係もありませんよ」




